第三千五百九十一話 無駄じゃない
「おまえが世界中から集めた祈りも、その祈りによって顕現した救いの神も、泡の如く爆ぜて消えた」
獅子神皇は、冷ややかに笑った。
それは否定しようのない厳然たる事実だ。
救世神ミヴューラは消滅した。
獅子神像を一蹴するほどの力を持っていても、獅子神皇の圧倒的な力の前では為す術もなかったのだ。しかも、獅子神皇がいったとおり、ミヴューラ神は、シールドオブメサイアの庇護下には入っていなかった。故に、事象を跳ね返し、死をなかったことにするという神理の鏡の能力も、ミヴューラ神には発動できない。
百万世界の神の化身たるシールドオブメサイアも万能ではない、ということだ。
「残る希望は、君だけだな。セツナ」
獅子神皇がこちらを一瞥した瞬間、セツナは、掲げていた矛から魔力を撃ち出した。黒き光の奔流が、空間を蹂躙しながら獅子神皇へと襲いかかる。“真・破壊光線”だ。
「だが、君の刃も、魔王の力も、わたしには届かない」
“真・破壊光線”が粉々に砕け散り、その狭間から獅子神皇が確信に満ちた顔を見せた。
「神々の王たるわたしこそが、唯一無双の存在なのだから」
宣言とともに獅子神皇の光背が輝いた。黄金色の炎のような、獅子の鬣のような光背から無数の光線が撃ち出されると、それらはセツナたちひとりひとりに分散していった。ひとりにつき数百本の光線だ。セツナは捌き切ったが、何人かは直撃を免れられなかった。苦悶の声が聞こえたが、それも一瞬のことだった。直後には、それらの傷も、たとえ致命傷であっても元通りに戻っている。それがクオンの力なのか、トワやマユリ神の力によるものなのかはわからないが、いずれにせよ、その程度の攻撃では、セツナたちが怯むような結果にはならない。
とはいえ、獅子神皇の力が凶悪極まりないのは認めなければならない。
直撃を受けたものたちも、シールドオブメサイアの庇護下にあるのだ。極めて堅牢な守護結界に包まれているはずだった。それなのに、獅子神皇が軽々と繰り出した攻撃に撃ち抜かれ、重傷を負った。シールドオブメサイアの守護結界すら撃ち抜くなど、生半可な力ではない。
「そうだな。そこに疑問はねえよ」
獅子神皇に肉薄しながら、いう。
「あんたは強い。そりゃそうだよな。世界を改変するほどの力を持った聖皇、その力の継承者なんだから。弱いわけがない」
獅子神皇が、剣を振るう。ただの一閃。しかし、虚空に刻まれた剣閃は数百に及び、そのすべてが空間そのものを切り裂きながらセツナに殺到した。
「でもな、俺は、俺ひとりであんたに勝てるなんて、ひとりで斃そうだなんて考えちゃいないんだよ」
セツナは、獅子神皇の斬撃が自分に当たる直前、四方八方に逸れていったのを目の当たりにすると、確信を持って告げた。
「俺は、ひとりじゃない」
空間を歪めるほどの力は、ミリュウのラヴァーソウルによる擬似魔法だろうか。
続いて、獅子神皇の頭上から降り注ぐ極大の雷は、ファリアのオーロラストームによるものに違いない。雷撃の嵐の真っ只中に飛び込みながら、セツナは、仲間の存在を実感した。心強く、頼もしい。ひとりでは斃せない相手も、皆がいれば斃せると想える。
多量の雷を浴びても、獅子神皇の様子に変化はない。盾を翳して受け流すことも、剣で断ち切ることもせず、ましてや避けようともしなかったのは、自分には効かないという確信があり、絶対の自信があったからに違いなかった。
当てることができても、手傷を負わせることすらできなければ、意味がない。
獅子神皇が嘲笑うかのように剣を振り翳せば、またしても光背が瞬いた。閃光が無数の光線となって四方八方に飛んでいく。その直後だ。セツナは、獅子神皇の懐に飛び込むなり、黒き矛を叩きつけた。盾で防がれると、凄まじい衝撃と轟音に時空が震撼した。手応えは十分過ぎるほどにあった。
盾が砕け散る光景も、見た。
しかし、つぎの瞬間には、その光景が幻だったかのように、獅子神皇の盾は元に戻っていた。超高速の再生だとか復元だとか、そんなものではない。それだけは確かだ。
では、なんだというのか。
それがわからなければ、獅子神皇を斃すことはできない。
それもまた、確かだ。
「それに……案外無駄じゃなかったみたいだぜ」
「なに?」
「アズマリアの行動も、ミヴューラ様への祈りも、ミヴューラ様の戦いも、全部」
セツナは、獅子神皇の眼前で不遜に笑って見せた。
「無駄なんかじゃあなかったのさ」
先程、獅子神皇の光背が放った光線は、セツナたちのだれひとりとして射抜けていなかった。全員が守護結界に護られていたからではない。守護結界をも貫くほどの力と、簡単には反応できないほどの速度を持った光線が無数に殺到したのだ。最初のように致命傷を負うものが出てきても不思議ではなかったし、獅子神皇としては、そうすることでクオンの力を削ごうという意図があったはずだ。でなければ、無意味になってしまうような攻撃をするとは、考えにくい。
だが、獅子神皇の攻撃は、完全に無意味となった。
皆が回避して見せたからだ。
光線を見切って見せた。
一度見たから、などではない。
セツナが、突如として沸き上がってきた力があらゆる感覚をさらに肥大し、さらに鋭敏化していることに気づいたのは、いまさっきのことだった。召喚武装を由来としないその力がなんなのか、瞬時にしてわかった。ミヴューラ神だ。ミヴューラ神に集まった力が、ミヴューラ神の真躯が霧散したことで周囲に拡散し、セツナたちを包み込んだ。そして、セツナたちに莫大な力を与えてくれた。
だから、皆、獅子神皇の光線を軽々と回避できたのだ。
そして、セツナの速度は、獅子神皇の反応を上回った。獅子神皇の背後に回り、その光背ごと背中を貫いたのだ。さらに“真・破壊光線”を体内に撃ち込む。
「いま、俺たちの力になった」
セツナは、全身に満ち満ちていく力を実感しながら、告げた。
もっとも、普通ならば、致命的な一撃となるはずだが、やはり、獅子神皇には損傷ひとつ負わせられておらず、獅子神皇は、こちらを振り向き様、剣を振った。凄まじい威力を持った一撃を矛で受け止めれば、時空が震撼し、破壊的な波動がセツナの全身を貫く。普通の人間の肉体ならば、それだけで粉微塵になっているはずだが、魔王とその眷属たちの力は、セツナの肉体を生かした。無論、クオンの加護のおかげもある。
そのとき、突っ込んでくる気配があった。
「うおおお! やれる! やれますぜ!」
エスクだ。
遠距離からでも攻撃できるはずの彼だったが、獅子神皇の背後を取ると、ソードケインではなく、左腕を掲げた。虚空砲だ。それもただの虚空砲ではなかった。救世神の加護と祝福を受けた虚空砲は、まさに虚空に巨大な穴を開けるほどの威力を持っていたのだ。
セツナが慌ててその場を飛び離れなければならないほどだった。
見れば、エスク自身、呆然としている有り様だった。
「あれ?」
「なんだよ、その反応」
「いや、いくらなんでも威力ありすぎかなって」
「そうだが……威力はいくらあっても足りないくらいだぜ」
セツナは、虚空砲が貫いた空間が自然に修復していく光景の真っ只中で、まったくの無傷の獅子神皇を見ていた。




