第三千五百八十七話 敵
ナージュの消滅による激昂は、セツナ自身、予期せぬものではあった。まさかここまで感情が激しく揺さぶられることになるとは想ってもいなかった。無論、それは獅子神皇への怒りだけでなく、消滅するナージュを前になにもできなかった己自身への怒りでもあるのだ。
反応すらできなかった。
ナージュは、獅徒や神将と同じく獅子神皇の力によって転生を果たした存在だ。その生死は獅子神皇が握っている。獅子神皇の一存で生き死にが決まるのだから、獅子神皇がその気になれば、その瞬間、ナージュが消滅するのも当然の結果だ。
だからといって心の底から納得できるかといえば、そんなわけはなかった。
ナージュをトワの使徒にしていれば、こうはならなかったのか。
そんな機会も時間もなかったとはいえ、考えざるを得ない。
判断を見誤ったのではないか。
だとしても、だ。
「獅子神皇!」
吼えるようにして、セツナは、矛を振り回した。何度となく斬りつけようとするが、そのたびに獅子神皇の杖に阻まれる。激突のたびに轟音と衝撃波が周囲を震撼させた。獅子神皇の表情に変化はない。冷厳に、神々しいまなざしでこちらを見ている。
まるで神そのもののように。
「君がなぜ怒っているのか、わたしにはわかりかねるな」
「あんたがナージュ様を殺したからだろ!」
それも、二度も、だ。
一度目は、人間として生きていたナージュを殺した、という。二度目は、神将と同等の存在に転生させたはずなのに、殺した。消滅させた。
沸き上がった怒りが一瞬にして沸点を超えるのは当然だった。
「ナージュ様は、あんたの中に陛下を見て、だからあんたのところにいったってのに、なんで!」
「敵は斃す。敵は殺す。敵は滅ぼす」
獅子神皇が、杖で矛を受け止めたまま、左手をこちらに翳した。瞬間、セツナは右に飛んだ。掌から放たれたのは、圧縮された神威の奔流であり、極大の光芒となって飛んでいったそれは、虚空に巨大な歪みを生んだ。それほどの力だ。シールドオブメサイアに護られているとはいえ、直撃を受けるのは避けるべきだというセツナの判断は間違っていないはずだ。
「それは、君がこれまでやってきたことだよ、セツナ。そうして君は血塗られた道を切り開き、屍で築かれた未来への階段を駆け上がってきた。そうだろう?」
「俺がいっているのは――」
「彼女は君に味方し、わたしの敵となった。だから滅ぼした。それだけのことだ。そこになんの問題がある。そこになんの間違いがある。疑問が湧く余地などどこにもない。彼女は敵だったのだ。斃すべきわたしの敵だった。敵は、滅ぼさなければならない。ひとり残らず、徹底的に、根絶しなければならない。でなければ、我が王国が、我が楽土が、乱され、侵され、壊されるかもしれない。我がネア・ガンディアに刃向かうすべてのものを討ち滅ぼし、この世に真の救済と平穏、そして安穏たる日々をもたらすために――」
獅子神皇が杖の先端をこちらに向けてきた。獅子の顔が動き、セツナを睨み付けてくる。
「――最大最強の敵たる君を斃す」
宣言とともに獅子神皇の攻勢が始まるのかと思った直後だった。
「だが、その前にだ」
彼は、セツナを見つめたまま、静かにいった。その発言がなにを意味しているのか、セツナにはまったくわからなかったが、つぎの瞬間に理解できた。
「ベル」
獅子神皇の声は、ずっと遠くから聞こえた。遠く、しかし、はっきりとその位置がどこなのかわかるのは、魔王の力のおかげだ。研ぎ澄まされたすべての感覚を総動員し、戦場となったこの空間のどこにだれがいて、どのような状態なのか、精確に把握できている。
声は、ファリアの目の前からだった。
「いや、ファリア・ベルファリア=アスラリアだったな。君の本当の名。君には感謝している。心から。君がいたからこそ、わたしは武装召喚術を知り、セツナと巡り会えた。君がいなければ、あのとき、セツナは死んでいたのだから」
「なにを――!」
叫び、振り向こうとするが、目の前の獅子神皇が杖を突きつけてきたことで、それさえも阻止される。獅子の杖は莫大な神威を振り撒き
「セツナとともにガンディアに属し、ガンディアのために尽くしてくれたことも、忘れてはいない。君の活躍の数々は、《獅子の尾》隊長補佐の名に恥じぬものだった。ありがとう」
ファリアの気配が消えた。
「ルウファ・ゼノン=バルガザール。アルガザードが扱いに困り果てていた次男坊が、優秀な武装召喚師として王家に仕えてくれた日のこと、いまでもはっきりと想い出せる。以来、それまでの風評を吹き飛ばすような獅子奮迅の活躍ぶりは、《獅子の尾》副長に相応しいものだった。ありがとう」
ルウファの気配が消失する。
「ミリュウ=リヴァイア。忌むべき敵国ザルワーンの人間が、まさかガンディアのために尽くしてくれるとは想いもしなかったが、しかし、君が重ねた武功の数々、忘れもしない。無論、セツナあってこそのものだということはわかっているがね。ただ、ありがとう」
「レム。ジベルの死神がセツナの下僕となり、影となり、彼のため、引いてはガンディアのために戦い続けてくれたこと、感謝しているよ。君の人生は辛いことばかりだっただろう。だが、それもこれまでだ」
「シーラ=アバード。アバードの姫君よ。君に取ってみれば、失い続けるだけの苦しい人生だっただろう。それなのにセツナとともにあり、ガンディアのために働いてくれたこと、感謝しているよ」
「エスク=ソーマ。傭兵上がりの君がセツナの家臣として上手くやっていけるものかと不安だったものだが、杞憂だったようだ。セツナを支えてくれたこと、感謝している」
「ラグナ。ラグナシア=エルム・ドラース。緑衣の女皇よ。まさかおまえほどの存在がセツナの従属しているとは思わなかったが、人間時代のわたしにはわかるはずもないか。とはいえ、感謝はしているよ。おまえのおかげでセツナが命拾いしたのだから」
ミリュウ、レム、シーラ、エスクにラグナまでもがほとんど同時に消えて失せた。
セツナには、なにもできない。獅子神皇の攻撃を防ぐだけで手一杯だった。獅子神皇の目の前から離れようとはした。だが、回り込まれて進路を妨げられてしまえば、どうにもならない。怒りに任せて矛を叩きつけても、軽々と受け流される。あるいは、直撃しても、獅子神皇にはなんともない。
「ウルク。神聖ディール王国の魔晶人形。ひとの心を持たない人形だったはずの君が、いまや人間以上に感情豊かになった事実は、奇跡としかいいようがない。その奇跡も無意味なものとなったが」
「エリナ=カローヌ。カランの街のただの少女が、いまや立派な武装召喚師か。君の母は、それを望んでいたのかどうか。君自身の人生。君が選び取ってきた道の果てがこれだ」
「エイン=ラジャール。いや、エイン=ラナディースか。ナーレスの弟子が、我が最大の敵を率いる軍師とは、運命の皮肉を感じるな。無論、君が為してきた業績の数々、忘れてはいないよ。ありがとう」
「エリルアルム・ザナール・ラーズ=バレルウォルン。エトセアとの同盟がための政略結婚は果たせなかったことは、君の人生にとってどう影響したのかな。それだけが気がかりだよ」
さらにウルク、エリナ、エイン、エリルアルムの四人が、獅子神皇の声とともに消滅した。




