第三千五百八十六話 支離滅裂
「この世界をひとつに纏め上げ、戦乱をなくし、恒久の和平を築き上げると、陛下は仰られましたね。そのためにネア・ガンディアを立ち上げたのだ、と。ガンディアを新生させたのだ、と。それならばなぜ、この世界は斯様な有り様に成り果てたのですか」
ナージュは、毅然とした表情で、獅子神皇に問う。
「いまの陛下ならばわかるはずです。聞こえるはずです。感じるはずです。罪もないひとびとが嘆き、苦しみ、絶望し、救いを求め喘いでいる現状が理解できているはずではないのですか」
セツナが振り下ろした矛が空を切れば、まったく別の場所に獅子神皇は出現する。いまやありふれた空間転移術。だが、セツナにはなにかが引っかかった。黒き矛による空間転移にせよ、別の力、別の技法による空間転移にせよ、予兆があり、余波があるはずだ。
(ただの空間転移じゃねえ)
それが、獅子神皇に一切攻撃が通用していない理由と関連しているのではないか。
でなければ、さすがにおかしい。
獅子神皇は、聖皇の後継者、聖皇の力の器であり、神々の王と呼ぶに相応しい力を持っていることは確かだ。しかし、だからといって、セツナたちの攻撃が完全無欠に通用しないなどということはあるまい。特にセツナは、魔王の力を完全に引き出すことに成功したのだ。いまやセツナは魔王と等しいといっても過言ではない存在となった。
時空にすら穴を開ける魔王の一撃がまったくもって意味を為さないのには、なにかしらの理由があり、その理由を突き止めなければ勝ち目はない。
などとセツナが考えている間にも、ナージュと獅子神皇の会話は続く。
「陛下は――」
「君は、なにもわかっていない」
「陛下」
「君はなにひとつ理解していない。なにひとつ、なにひとつだ。力がなければ、なにもなしえない。いや、力があったとしても、より大きな力に直面すれば、その瞬間、たちまちに崩れ去る。それが真理だ」
獅子神皇は、力強く、いった。
「わたしはあの日、あの瞬間、理解したのだ。力だ。とてつもなく大きな力が必要なのだ。ひとを統べ、国を統べ、世界を統べ、この世に存在するすべてのものを統べるには、このように大いなる力が必要なのだ」
獅子神皇が軽く手を翳せば、動けなくなっているものたちの体が空中高く持ち上げられていった。見えない巨人の手で掴み上げているような、そんな印象を受ける光景だった。ファリアたちが動けなくなったのは、その見えない手のせいなのだろう。
セツナは、咄嗟に獅子神皇に飛びかかり、叫んだ。
「その力をなぜ、ひとびとのために使わないのかと聞いているんだ! 獅子神皇!」
「使っているさ」
こちらを振り向き様、あやすような優しい手つきで黒き矛を撫でた。すると、カオスブリンガーは空を切り、セツナは危うく宙返りするところだった。斬撃に込めた力を完璧にいなされたからだ。
「すべては、ひとびとのためだ」
獅子神皇は、平然とそんなことをいってきた。
「ひとびとのためにこそ、わたしはここにいる」
「笑えない冗談だな」
「本気だよ。わたしは本気でひとびとを救おうとしている」
声音からは彼の本音を知ることはできそうになかった。
「そう、この世を救うのは、偽神などではなく、このわたしだ。そうだろう、セツナ。わたしこそがこの世界を救うのに相応しい」
「……あんたは、さっきからなにをいっているんだ?」
「なに?」
「俺には、あんたの考えていることがわからないよ」
セツナは、獅子神皇の目を真っ直ぐに見つめ返しながら、告げた。
獅子神皇率いるネア・ガンディアのこれまでの行動を考えれば、彼の発言は支離滅裂にもほどがあった。
「世界を救う、ひとびとを救うというのなら、なんで世界を滅ぼそうとする? 俺たちと戦う?」
「……まだ、わからないのか?」
困り果てたといわんばかりに、彼は頭を振った。
「君たちと戦うのは、君たちが邪魔をするからだ」
セツナは、獅子神皇の発言などお構いなしに空を蹴った。アックスオブアンビションの能力を発動させる。虚空を伝播する破壊の力が、空間そのものを破砕しながら獅子神皇の元へと到達する。伝播する破壊の波動に触れた瞬間、獅子神皇の体の表面にも亀裂が走り、破壊が起こった――かに見えた。だが。
(なんだ? なにが起こっている?)
セツナは、なにか錯覚でも起こしているのではないかと思った。破壊の波動は確かに獅子神皇を捉え、肉体に亀裂を走らせたはずだ。だのに、つぎの瞬間には、無傷の獅子神皇がそこにいた。破壊されたのは周囲の空間のみであり、それも獅子神皇の神威によって修復されている。
やはり、獅子神皇がなんらかの方法で身を守っているのは間違いない。その方法を知り、突破しない限り、こちらの攻撃は一切通用しないと見ていいだろう。そしてそのまま戦い続けるのは愚の骨頂だ。
「わたしが見る夢の続きの道の前に立ちはだかる壁。それが君たちだ。だから、君たちを斃すと決めた。わたしの夢の道標たる君を斃し、その屍の先に新たな夢を見よう」
獅子神皇は、こちらを見ていた。透き通るような金色の瞳で、厳かに、まるで至高の存在であるかのような超然とした様子だった。
しかし、いっていることはやはり支離滅裂だ。
なにかがおかしい。
(違うな)
セツナは、胸中で頭を振った。
なにもかもが、おかしい。
異様だ。
レオンガンドのようであってレオンガンドではなく、獅子神皇のようであって獅子神皇ではない。彼の中で、なにかが決定的に食い違っていないような、そんな感じがした。言動の支離滅裂さは、それ故なのか、どうか。
「そう、決めた」
獅子神皇が右手を掲げると、その手の内に神威が収斂し、杖が具現した。王冠を被った獅子の頭部を模した飾りが先端にあり、その獅子の双眸は金色に輝いている。
「陛下!」
叫び、獅子神皇とセツナの間に割って入ってきたのは、ナージュだった。桜色の羽が揺らめき、輝く。
「ナージュ」
獅子神皇がナージュを見つめる目は、冷ややかだった。さっきまで激情に震えていた人物と同一人物のものとは想えないくらいに冷え切っている。
「君までわたしを裏切り、敵に回るとは、残念でならないよ」
「陛下……わたくしの声は、もう、届かないのですね……」
「届いていないのは、わたしの声だろう。君は、わたしを裏切り、セツナについた」
獅子神皇がそう言い切った瞬間だった。
セツナの目の前に浮かんでいたはずのナージュの姿が忽然と消えた。
「愛していたよ」
名残惜しそうに、しかし、冷徹につぶやく獅子神皇の心境など、セツナには一切理解できなかった。
「なにを……なにをしたんだ! 獅子神皇!」
叫び、飛びかかれば、黒き矛が杖によって受け止められた。凄まじい力と力の激突に轟音が鳴り響き、衝撃波が発散する。
「敵は斃す。敵は殺す。敵は滅ぼす。それがガンディアの未来を切り開いてきた君のやり方だったじゃないか。なにをいまさら問題にしているんだ?」
獅子神皇の冷厳なまなざしには、セツナの意識を惑わせるような魔力はなかった。
「わたしには、君が支離滅裂に見えるよ」
「それはこっちの台詞だ!」
セツナが激昂していたからかもしれないが。




