第三千五百八十二話 救いをもたらすもの(五)
獅子神像も、ただやられているばかりではない。
獅子の咆哮とともに撃ち出した衝撃波でもってミヴューラを吹き飛ばすと、巨人が手にした矛を振り抜いた。斬撃が空間ごとミヴューラを切り裂く。しかし、巨人の矛が切り裂いたのはミヴューラの幻影であり、幻影はたちまち閃光を発しながら四散した。そしてそのときには、ミヴューラは獅子神像の背後に回っている。
ミヴューラの速度は、神速をも超えているのだ。神速では、ミヴューラに追い着くことは出来ない。
獅子神像の巨人部分だけがこちらを振り返り、左腕の盾を掲げた。巨人は、矛と盾を身につけていたのだ。黒き矛と白き盾を模したものなのだろう。形状的にはそっくりだが、内実は大きく異なる。矛には、魔王の魔力は宿っていなかったし、盾にも大いなる意思の力を感じ取ることができなかった。ただ似せただけの偽物に過ぎない。
故に、躊躇する必要がない。
極大剣ワールドガーディアンを振り下ろし、盾に叩きつける。
巨人は、盾で剣撃を防いだ隙に矛を突き刺してくるつもりだったのだろうが、思い通りにはいかなかった。盾が左腕ごと真っ二つになったからであり、極大剣は、そのまま、巨人の胴体を半ばまで切り裂いたのだ。もう少し間合いを詰めておけば、巨人と獅子を切り離すことすらできただろう。
獅子が吼え、巨人が唸る。
莫大な神威によって傷口を塞ぎ、失った腕を復元して見せた獅子神像は、さらに力を増大させた。爆発的に膨れ上がった神威が純白の光となって吹き荒ぶ。
『見ているだろう。獅子神皇に従い、我らに仇なす神々よ』
ミヴューラは、神威の嵐の忠臣で、獅子神像の巨人がさらに変容していく様を認めながら、戦場に存在する神々に向かって話しかけた。
『我は救世神ミヴューラなり』
神々がこちらを注視していることは、わかりきっている。神々とて、仕方なく獅子神皇に付き従っているだけであり、心服しているわけでも、心底忠誠を誓っているわけでもないのだ。もしほかに自分たちの望みが叶う方法があるのであれば、獅子神皇に従いはしなかっただろう。
『世界を救い、ひとびとを救い、皇魔を救い、竜を救い、そして神々をも救って見せよう』
それは、神々にこれ以上連合軍将兵に手出しはするな、という忠告でもあった。
獅子神像の顕現以来、混沌と化した戦場にあって、神々の行動は極めて消極的なものになっていた。なにせ、獅子神像の攻撃は、敵味方の区別がないのだ。獅子神像に攻撃され、取り込まれてしまった神も少なからず素材する。不老不滅の神とて、取り込まれてしまえばどうにもならない。
故に獅子神像の動向を警戒し、注視しなければならなくなり、結果、連合軍への攻撃がおざなりになっていたのだ。
そのおかげで連合軍は護りを固めやすくなってもいたのだが。
ミヴューラの降臨とともに天変地異が静まり、獅子神像の攻撃がミヴューラに集中し始めたことで、状況は変わった。神々が連合軍に対し、攻撃をし始めようという気配があったのだ。獅子神像に取り込まれる可能性がなくなったのであれば、話は別だ、とでもいわんばかりにだ。
連合軍は護りを固めているとはいえ、神々の攻撃が集中すればどうなるかわかったものではない。ただでさえ、連合軍将兵は消耗している。神々はともかく、竜も皇魔も人間も、無尽蔵に力があるわけではないのだ。神々に攻撃され続ければ、いずれ被害が出る可能性があった。
故に、ミヴューラは、神々に話しかけた。彼らをも救うという約束を掲げることで、少なくとも考える時間を作ったのだ。
神々にしてみれば、自分たちが救われる方法があるのであれば、獅子神皇に従い、連合軍と戦う道理はない。無論、契約に縛られている以上、抗い続けるのも困難を極めるだろうが、不可能ではないはずだ。
その実例が、ミヴューラなのだ。
ミヴューラもまた、聖皇によって召喚された神だった。聖皇のやり方を否定し、反発したが故に封印され、結果、聖皇との契約も無効になってしまった。そのためにミヴューラはおよそ五百年に及ぶ眠りの時を過ごさなければならなかったが、同時に自由にもなれた。
神々も、獅子神皇に抗って見せてくれればいい。
その結果、獅子神皇に封印されたとしても、なんの問題があるだろう。
ミヴューラが救うのだ。
すべてを救い、この戦いを終結させる。
そのための力が、いま、この手の内にある。
神々が動きを止めたとき、獅子神像の変容もまた、終わった。
異形の獅子がさらなる異形と化し、巨人もまた、大きく変貌を遂げていた。
獅子は、複数の頭部を持ち、それぞれ異なる表情をしているように見えた。ひとつは憤怒、ひとつは悲哀、ひとつは歓喜、ひとつは愉快――喜怒哀楽を表現しているとでもいうのだろうか。
それ以外にも無数の翼が背中を覆い尽くすように生えていたし、尾は、まるで巨大な矛のようになっていた。足の数も増えている。その場を動かない獅子神像の足が増えたところでどうなるものでもなさそうだが、それは変貌そのものにもいえることだ。
巨人も大きく変わっているが、どうでもよかった。
ミヴューラにとって、獅子神像など敵ではないのだ。
世界中のひとびとが、皇魔が、竜が、救いを求めている。
その救いを求める声がミヴューラに無限の力をもたらしているのだ。
そして、その力こそが、この世に救いをもたらす。
ミヴューラは、極大剣を掲げた。
獅子神像の四つの頭部が吼え猛る。神威が波動となって広がり、周囲一帯の時空を歪めていく。すべてが緩慢になっていく世界で、巨人の速度だけは変わらなかった。巨大化した矛を振り回し、ミヴューラに斬りつけてくる。が、ミヴューラの巨躯から溢れる力は、巨人の矛の一撃をも撥ね除けてしまった。
ミヴューラは、極大剣ワールドガーディアンに集めた力を束ね、天をも貫く光の帯を作り出した。そして、そのまま真っ直ぐに振り下ろす。巨人が盾と矛を掲げ、極光の刃を受け止めようとする。だが、しかし、極光の刃は、意図も容易く矛も盾も両断し、巨人の腕を、手を、胴体を真っ二つに切り裂いていった。
極光の刀身は、長大だ。
小大陸を真っ二つにしかねないほどの長さの刃は、当然のように獅子神像の獅子の部分をも断ち切っていく。あっさりと、容易く、これまでの苦労がなんだったのかと想うほどに簡単に。
ミヴューラは、しかし、獅子神像を完璧に両断することはなかった。
途中で手を止めたのだ。
それはなぜか。
極光の刃が切り裂いた獅子神像の胴体、その内側が覗いたからであり、そこにセツナたちがいたからだ。
そしてそこには、獅子神皇もいる。
ミヴューラは、極光の刃を消滅させると、極大剣を獅子神像の背中に突き立てた。
そして、獅子神像の胴体の切れ目を両手でこじ開けて見せた。
『このときを待っていた。待っていたぞ、獅子神皇!』
ミヴューラは、咆哮とともに獅子神皇への攻撃を開始した。




