第三千五百八十話 救いをもたらすもの(三)
数多の想い、幾多の祈り、無数の願い、数々の望みが、世界中からそれこそ怒濤の如く押し寄せ、流れ込んでくる。
人間、皇魔、竜――この世界に息づく代表的な生物たちが発する思惟。
それはもはやひとつの意思だ。
統一されたひとつの意志。
救いを求めるという純粋極まりない意志が、莫大な力となり、熱量となり、世界を包み込んでいる。まるでそれが世界の意思そのものであるかのように。
そして、救いの神たるミヴューラの元へと集まっているのだ。
ミヴューラ神は、救いの声を力の源とする。救済を求めるひとびとの祈りが形となった神であり、その信仰もまた、救済と救世に纏わるものだった。それは、異世界たるイルス・ヴァレに召喚されたあとも変わらなかった。だから、世界に仇なす聖皇に反発し、離反した。それからおよそ五百年、神卓に封印されていた間も、ミヴューラ神は、この世界を救うことだけを考えていたのだ。
この世を救う。
それがミヴューラ神のすべてであり、存在意義だ。
真躯を駆り、ミヴューラ神と合一しているオズフェルトもまた、そのために己が命を捧げる覚悟を持っている。オズフェルトだけではあるまい。騎士団幹部のいずれもが、先代騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースが掲げた救世の理念に共鳴していた。故にこそ、フェイルリングと一部幹部たちは命を擲った。残された幹部たちは、その命懸けの戦いに自分が選ばれなかったことを嘆きこそすれ、喜ぶものはひとりとしていなかった。
幹部どころか、正騎士以下、騎士団騎士全員が同じ志を持っている。
そのための革命であり、改革だったのだ。
「聞こえる」
オズフェルトは、頭の中に反響する数多の悲痛な叫びに胸を痛めた。ひとびとは、世界中、あらゆる地域、あらゆる国で、この絶望的な戦いを見守っている。故にこそ、獅子神像の圧倒的な力を目の当たりにしているのであり、絶望的な声を上げるのも無理はなかった。
だからこそ、だれもが救いを求めるのだ。
救いを求める声が、いままさに、ミヴューラ神の力を爆発的に増幅させていたし、オズフェルトは、その急激な変化を実感していた。オズフェルトの肉体は、ミヴューラ神とともにある。真躯ライトブライトワールドがミヴューラ神の依り代であり、ミヴューラ神が力を増せば、ライトブライトワールドもまた、力を増した。
吹き荒ぶ神威の嵐の中で平然と佇んでいられるのも、力が増し続けているからだ。
「だれもが救いを求めている」
『そうだ、オズフェルト。我が半身よ』
ミヴューラ神の聲は、力強く、オズフェルトを後押ししてくれる。
『いまこの瞬間こそ、我が最大の力を発揮するときなり』
「ああ……!」
オズフェルトは、なにかをしようとしているらしいミヴューラ神に身を委ねた。
ミヴューラ神がなにをするのかは、わからない。わからないが、神の力の使い方は、神のほうがよく理解しているはずであり、それならば余計なことをする意味がなかった。
獅子神像の攻撃は苛烈さを増している。神威によって引き起こされる天変地異は、もはや小大陸の上だけに留まらなくなっていた。大地は引き裂かれ、天は割れ、瀑布の如く降り注ぐ豪雨と氷雪、荒れ狂う竜巻の数々に止まらない落雷、小大陸周囲の海は荒れ狂っている。大津波が沿岸を襲い、なにもかもを海に引きずり込んでいく。
そんな中にあって、微動だにしないのはオズフェルトだけだ。ライトブライトワールドだけが、夥しい神威の暴走の中で身動ぎひとつしなかった。
獅子神像の攻撃すらも寄せ付けなくなっている。
力の増大。
ミヴューラ神は、際限なく膨れ上がる力を束ね、縒り合わせ、身に纏わせていく。真躯ライトブライトワールドを作り替えているのだ。より堅牢な甲冑に、より強靭な肉体に、より破壊的な武器に、より圧倒的な力に。
それはすべて、救いの声に応えるためにほかならない。
そして、そうである以上、なにも恐れるものはなかった。覚悟も決意も疾うにしている。
たとえそのためにこの身が砕け、命を失い、魂さえも消え去ろうとも、構いはしない。
オズフェルトは、叫んだ。
「救え、ミヴューラ!」
その瞬間、ミヴューラ神の依り代たる究極の真躯が顕現した。
真躯ワールドガーディアンを元とし、そこに十二の真躯の象徴を織り交ぜたような姿形は、騎士団にとって特別な存在であった十三騎士へのミヴューラ神なりの思い入れを感じずにはいられなかった。
ワールドガーディアンの燦然たる城塞の如き威容に、ライトブライトの光輪、フレイムコーラーの炎の意匠、デュアルブレイドの双戟、ランスフォースの大槍、フルカラーズの色彩、ミラージュプリズムの透明感、エクステンペストを象徴する竜巻、クラウンクラウンの王冠、ディヴァインドレッドの武装、ハイパワードの巨腕、ヘブンズアイとオールラウンドの光背などなど、様々な要素が複雑に重なり合い、最大最強の真躯を構成していた。
大きさだけでも、元の数十倍はあるだろう。
なにせ、獅子神像に引けを取らないほどの巨大さだったのだ。その圧倒的な巨躯は、救いを求めるひとびとの声によってできている。救いを求める声が、ミヴューラ神の力を際限なく膨れ上がらせているのだ。
「おお……」
「これがミヴューラ様の力か……」
「凄い……」
「これなら……」
ベイン、シド、ロウファ、ルヴェリスの四人が感嘆の声を上げる中、オズフェルトは、真躯ミヴューラに漲る力が体に馴染んでいくのを感じていた。あまりにも膨大過ぎて扱い切れないのではないかという不安は瞬時に消え去る。指先が思い通りに動けば、手足も自分のもののように動いたし、飛べば、光より疾く獅子神像の眼前へと至った。
獅子神像が吼えた。
大気が激しくうなり、巨大な竜巻が無数に発生する。
「逆巻け、エクステンペスト」
脳裏に浮かんだ言葉を紡げば、真躯ミヴューラの力が発動し、旋風が巻き起こった。それはまさに真躯エクステンペストの力だったが、ただその能力を際限したわけではない。何倍、何十倍にも威力を高め、精度を上げていた。しかも、獅子神像の竜巻とは逆回転の竜巻を生み出している。神威の竜巻が激突すると、相殺し合い、消滅した。
竜巻だけではない。
オズフェルトは、真躯ミヴューラの力でもって、獅子神像が引き起こす様々な天変地異をつぎつぎと相殺して見せたのだ。海を静め、大地を黙らせ、雲を散らした。雲がなくなれば、雨も雪も止み、雷も落ちなくなる。簡単なことだ。獅子神像が天候を操っているだけだったからこそ、ではあるのだが。
(まずは、ひとつ)
天変地異が収まったことで、連合軍将兵は、多少なりとも安堵したことだろう。だが、無論、これだけで終わりではない。獅子神像の攻撃は、天候操作だけではないのだ。
間髪を容れず、ミヴューラの左腕を掲げる。
「貫け、ランスフォース」
左腕に格納された大槍が凄まじい勢いで射出されると、大気に巨大な穴を開け、そのまま獅子神像に直撃した。




