第三千五百七十九話 救いをもたらすもの(二)
オズフェルト・ザン=ウォードは、真躯ライトブライトワールドを駆り、嵐渦巻く戦場を見渡している。
天変地異の規模は、ナルンニルノル周辺のみならず、ガンディア小大陸全土にまで及んでいる。猛吹雪に瀑布のような豪雨が降れば、大津波が地上に存在するものすべてを洗い流し、大地を砕くほどの地震に無数の竜巻を伴う大嵐が巻き起こっている。落雷も止まない。降り注ぐ雨と雷、そして轟音は、ガンディア小大陸を地獄のような様相へと変えていた。
そもそもが地獄のような戦場ではあったが、それでも、これほどまで絶望的な状況ではなかった。
押されてはいたが、戦線を維持できるほどには連合軍も健闘していたのだ。
ひとも、皇魔も、竜も、神も、だれもが協力し、連携し、連合軍の底力を遺憾なく発揮していた。ともすればネア・ガンディア軍を押し返せるのではないか、そう想えるほどに、だ。
しかし、ナルンニルノルが変貌したことで、そのような楽観論は消え果てた。
いまや連合軍は、護りに徹する以外に道はなく、それであっても被害を消し去るには至っていなかった。
オズフェルト率いるベノアガルドの騎士団も、護りに徹した。真躯を用いることのできる騎士団幹部たちは、率先して皆の盾となり、壁となった。押し寄せる津波や吹き荒ぶ竜巻から連合軍将兵を護るだけではない。神々の攻撃も防がなければならなかった。
防戦一方。
「このままでは埒が明かねえぞ」
ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートが、怒号とともに、怒濤の如く押し寄せる神兵の群れを殴り飛ばす。神兵は、獅子神像の攻撃の的になっているにも関わらず、連合軍への攻撃の手を止めていないのだ。津波に浚われようとも、嵐に吹き飛ばされようとも、雷に撃たれようとも、意思なき神兵には関係がなかった。
命じられるまま、連合軍を襲いかかり続けるだけだ。
しかも、神兵の生命力は尋常ではない。ただ雷に撃たれるだけでは滅びようがないのだ。
故にこそ、獅子神像は、敵味方の区別なく攻撃をしているのかもしれない。
ただし、獅子神像が直接行う攻撃を食らえば、神でさえ只では済まないことがわかっている。神兵など一溜まりもあるまいし、使徒も消滅を免れ得ないだろう。
それは、オズフェルトたちも同じだ。
獅子神像が起こす天変地異はともかく、獅子神像の放つ攻撃にだけは細心の注意を払わなければならない。
そうしながら、ネア・ガンディア軍の絶え間ない攻撃を退けなければならないのだから、戦闘の厳しさは遙かに上がっているといっていい。
「確かに。ラナコート卿のいうとおりです」
「そうですね。このままでは……」
「弱音を吐いている場合じゃあないけれど……」
シド・ザン=ルーファウス、ロウファ・ザン=セイヴァス、ルヴェリス・ザン=フィンライトの三人が真躯を駆り、天変地異ら敵軍の猛攻を凌ぎながら、悲痛なまでの胸の内を聞かせてくる。
オズフェルトも、そんなことはわかっているのだ。
光となって戦場を駆け巡り、使徒や神兵を撃破し、神々を傷つけながら、これだけではどうにもならないことも理解している。
獅子神像を止めなければならない。
でなければ、いずれこちらが力尽き、連合軍が壊滅の憂き目に遭うだろう。
だが、現状では、獅子神像に対抗する手段がなかった。
連合軍の全力を結集したところで、獅子神像に傷ひとつつけられるものか、どうか。
(突入組の皆は……)
オズフェルトは、周囲を見回し、虚空に浮かぶ物体に目を遣った。それは、いつからか戦場各所で見られるようになったものだ。巨大な門のような造形物であり、門の向こう側にどこかの戦場が映し出されていた。それらがなんであるか、すぐに理解できたのは、騎士団とは浅からぬ縁があったからだ。
魔人アズマリア=アルテマックスの召喚武装ゲートオブヴァーミリオンだ。
そして、ゲートオブヴァーミリオンの向こう側に映し出されているのは、ナルンニルノル内部の光景であり、突入組の面々が戦っている様子だった。連合軍から選び抜かれた精鋭ではなく、魔王の加護と祝福を受けたものたち。つまり、セツナとその仲間たちだが、獅子神皇と戦うためには、魔王の加護と祝福は必要不可欠であるという話だった。
魔王の加護と祝福がなければ、獅子神皇に対抗することすらできないのだ。
であればこそ、突入組に任せたのだが、そんな彼らの戦いぶりは、想像を絶するものといってよかった。
一部始終を見ていたわけではない。が、一部を見ただけで、彼らが凄まじいまでの死闘を繰り広げていることははっきりとわかった。だれもが命懸けで戦っている。だれもが、命を燃やしている。瀕死の重傷を負い、それでも勝利を諦めず、前に進む。
そんな突入組の戦いぶりを見せつけられれば、オズフェルトたちも負けてはいられない、という気持ちにもなる。
しかも、突入組の面々が獅徒を撃破し、神将までも撃滅したとあれば、奮い立たないわけがなかった。
「泣き言をいっている暇はないぞ」
オズフェルトは、告げた。
ナルンニルノル内部の戦況は、わかった。
ナルンニルノルに残された戦力は、獅徒も神将のみだった。
それらが一掃されたいま、残っているのは、獅子神皇ただひとりだ。
つまり、連合軍の勝利まであとわずかというところまできている。
ここで、獅子神像に負けるわけにはいかない。
突入組が獅子神皇を討ち滅ぼしたというのに、連合軍が壊滅していては、意味がない。
「セツナ殿たちの戦いぶりに応えるのだ」
「意気だけでどうにかなるなら疾うにしていますがね」
それも、正論だ。
どれだけ奮起したところで、どれだけ力を振り絞ったところで、命を燃やしたところで、足りない力を補えるものではない。
だが。
「聞こえないか?」
オズフェルトは、獅子神像の竜巻を伴って殺到してきた神の分霊を光の剣でもって一刀両断に切り伏せると、、竜巻をも消し飛ばした。力が増している。しかも、それは留まるところを知らないようだった。
「わたしには聞こえる」
耳に届いているわけではない。頭の中に届き、心の中に響いている。
「ひとびとの声が」
いくつもの声。
それは絶望的な慟哭であり、絶叫であり、悲鳴であり、嘆きであり、哀しみであった。
「皇魔の声」
人語とは異なる咆哮もまた、負の感情に支配されていた。
「竜の声」
魔法を生み出すほどの力に満ちた叫び声すら、現状への絶望に満ちていた。
しかし、それらの声が行き着く先はひとつだ。
「世界が救いを求めている」
絶望の果てに救いを求めている。
だれもが、絶望を塗り替える希望の到来を待ち望んでいる。
「ミヴューラよ。世界があなたを求めている」
『ああ……見える。聞こえる。感じる』
ミヴューラの聲が震えていたのは、満ちていく力を理解しているからこそだろう。
『だれもが、我を求め、我の救いを待っている』
世界中の救いを求める声が、ミヴューラの力を爆発的に増大させているのだ。
『我はミヴューラ。救世神ミヴューラなり』




