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第三百五十七話 矛と盾(七)

(わかっていたさ、そんなことは)

 セツナは、竜の右肩を足場に定めると、黒き矛に運命を委ねた。両手で握り、迫ってくる巨拳目掛けて叩きつける。火花が散り、激しい激突音が聞こえた。鉄の塊でも殴りつけたかのような衝撃が両手から肘を貫く。右に流れる竜の拳に傷痕が見えたが、気のせいかもしれない。

(手応えはあった……!)

 竜の肩から滑り落ちないように気をつけながら、セツナはそれだけは確信していた。不安定な足場では全力を出しきることはできない。それでも、こちらの攻撃は通ったように思えるのだ。さすがは黒き矛、というべきだろう。

 しかし、竜は、余裕のある態度を崩してはいない。実際、ドラゴンは毛ほどの痛みも感じていないのかもしれない。たとえ、さっきの一撃で指や手に傷を負ったとしても、ドラゴンの体躯を考えれば、蚊に刺された程度かもしれない。

 そう考えると、ファリアがセツナを救うために行ったことの凄まじさがわかるというものだ。彼女は、破壊力ではカオスブリンガーに大きく劣るオーロラストームで、ドラゴンの腕を破壊したのだ。

(あれはビューネルのドラゴン……ここはヴリディア。違いはあるのか? 能力は同じなんだよな)

 竜の首であったころ、ビューネルとヴリディアの違いは、その全身を覆う鱗の色しかなかった。姿形も大きさもまったく同じであり、召喚武装を模倣するという能力も同じだ。ヴリディアのドラゴンも、ビューネルと同じように黒き矛を模倣し、黒き竜となった。

 なにもかも同じならば、黒き矛が通用しないはずがない。

(ファリアには悪いけど、オーロラストームが通用したんだ)

 セツナは、黒き矛を握り直しながら、竜の目を睨み返した。手が痺れている。続けざまには攻撃できない。

(カオスブリンガーが通用しないわけがない)

 オーロラストームを馬鹿にしているわけでも、見下しているわけでもない。破壊力においてオーロラストームがカオスブリンガーに劣るというのは、召喚主であるファリア自身が認める事実だ。もちろん、それは、破壊力という一点のみにおいて、という前提があってのことである。

 オーロラストームも、強力な召喚武装なのだ。もっとも、非力な召喚武装という言葉自体が矛盾したものかもしれない。

 足場が動いた。竜が右腕を動かしている。セツナを払い落とそうとでもいうのかもしれない。セツナは、竜の視線と左腕の動きに注意しながら、前方に飛んだ。一足飛びに首元まで、と思ったが、届かない。竜の体はとにかく巨大だった。右肩から左肩まで数十メートルはあった。四肢を形成するにあたって、一回りも二回りも小さくなっているようなのだが、それでも巨大だった。

 巨人の体によじ登っているような感覚がある。

 ふと眼下に視線を向けると、クオンの姿は豆粒のようにしか見えなかった。戦場は竜の光で破壊し尽くされ、そこに打ち込まれた拳が決定的な一撃となってしまった感がある。原型などもはやないに等しいに違いない。砦が存在していたころの風景など知る由もないが、変わり果てたことくらいは想像がついた。

 そんな破壊跡に悠然と聳え立つのが黒き竜の巨躯だ。太い足は地に根を張る大樹のようであり、長い尾は、大地に穿たれた大穴の奥底に向かって伸びている。まるで地の底に繋がれているかのようだが、実際その通りなのかもしれない。

 ビューネルのドラゴンは、セツナたちの追撃の気配を見せたものの、砦跡から離れることはなかったらしいのだ。ドラゴンが自由に飛び回ることができたとすれば、セツナたちは間違いなく死んでいただろう。

 地に縛られている。

 そこが付け入る隙といえば、隙なのだろう。

 だからこそ、ガンディア軍はこんな作戦を取っている。

 南方を見やれば、土煙を上げて街道を驀進する軍勢がみえた。無数の軍旗がはためいている。最前列を進む銀獅子はガンディアの紋章であり、続く聖なる杯はルシオン、最後列の炎の盾はミオンの旗だ。

《白き盾》は旗を用いないため、どこにいるのかはわからないが、一団のどこかにいるに違いない。《蒼き風》も旗を掲げていないようだった。戦場では自己主張の激しい旗を掲げるに違いない。戦場での活躍を認められてこそつぎの仕事に繋がるのが傭兵なのだ。行軍中はどうでもいいのかもしれないし、ガンディアとの契約でしばらくは食っていけるから、というのもあるのだろう。

 凄まじい数の人馬の群れが、全速力でこの戦場を目指していた。予定では、昼には到達するらしい。

(それまでにどうにかできるか?)

 空を仰ぐ。

 太陽が中天に至るにはまだ二、三時間はある。しかし、この黒き竜を数時間で撃破できるかというと首を傾げざるを得ない。そして、そんなことを考えている場合でもなかった。

 人体でいえば鎖骨の上辺りを進みながら、セツナは迫り来る殺気に戦々恐々とした。伸びてくるのは右腕だけではない。左腕もセツナを捕まえるために向かってきている。

(無駄なことを)

 自分を叱咤するのと同時に、足場を蹴った。竜の体は頑丈であり、セツナが全力で踏み抜いたところでびくともしないのは確認済みだった。首の根元に向かって跳躍する。竜の右手が背後を通過したのが、凄まじい拳圧でわかる。まるで強風に背を押されたようにして、飛距離が伸びた。

 が、前方からは左手が迫ってきている。目を凝らすと、左手の中指に切り口があった。流れているのは血ではなく、なにか別のものだった。どろりとした闇色の液体には赤い光点が揺らめいている。

(んなもん、どうだっていい!)

 セツナは、胸中で叫ぶと、猛烈な速度で迫ってくる鉄拳に意識を集中した。首の根元まではまだ遠い。一足飛びで届く距離でもない。かといって、ほかに攻撃するべき場所が思いつかないのも事実だ。思考を巡らせている間にも竜の左手は迫ってくる。

 セツナは歯を食いしばると、その場から飛んだ。迫り来る左腕に向かって跳躍したのだ。竜は盛大に空振り、まるで自縄自縛に陥ったかのような格好になる。そんな中、セツナは黒き竜の左腕への着地に成功すると、透かさず矛の切っ先を腕に突き立てて、自身の落下を阻止した。矛は突き刺さったものの、やはり毛ほどの痛みも与えられていないに違いない。

 目線を少し上げるだけで、竜と目が合った。黒き竜の顔は、相変わらず禍々しい。無数の赤い目は、ひとつだけ切り裂かれたままだ。セツナが先制の一撃でもって切り裂いたものが、そのまま残っているということだろうか。

「ようやくここまで登りつめたぜ」

 とはいったものの、風景は流れている。

 竜が、左腕をそのままにするはずもなかったのだ。竜が腕を振り回せば、いくら矛を掴んでいても振り落とされるのは明白だ。そんなわかりきった未来に身を委ねる気は、セツナにもない。腕が頭部周辺から離れようとする直前には、彼は矛を腕から引き抜いていた。腕を蹴り、またしても跳ぶ。竜の顔面は目前だった。躊躇する必要はない。恐れるものなどなにもないのだ。

 地上数百メートルの空中。全身が震えた。恐怖ではない。武者震いというものかもしれない。矛を大きく振りかぶる。竜は眼前。その無数の目が、嗤ったような気がした。

(なにがおかしい)

 胸中で問いかけたとき、竜の顎が開き、巨大な空洞が目の前に広がった。当然、空中で急停止などできるはずもない。口の中に飛び込んでいく格好になり、覚悟を決めたのも束の間、熱気がセツナの顔面を撫でた。

(それかよ!)

 胸の内で吐き捨てるように叫んだとき、紅蓮の炎が眼前の闇を焼き尽くした。


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