第三千五百七十八話 救いをもたらすもの(一)
ナルンニルノルの変貌。
それこそ、地獄のような戦いをさらなる地獄に叩き落とすものだった。
異形の獅子と異形の巨人がひとつになったような姿のそれは、反ネア・ガンディア連合軍のみならず、自軍であるはずの神々とその分霊、使徒、神兵に聖軍将兵をも攻撃し始めたからだ。
苛烈極まりない攻撃の数々は、一大決戦の地となっていた結晶の大地を粉々に打ち砕き、原型すら留めぬほどの被害をもたらしていた。
災害だ、と、だれかがいった。
あれこそ、具体化した災害だ、と。
確かに、その通りだった。
それはまさに天変地異が具体的な形となって現れたものといってよかった。
神々しさの中に禍々しささえ感じられるような姿をした獅子が吼えれば、それだけで大気は荒れ狂い、天候もまた激変した。天を分厚い雲が覆えば、雹雨が吹雪き、かと思えば瀑布のような大雨が大地を塗り潰した。しかも、降りしきった大雨は地面に浸透するのではなく、地上に存在するものすべてを押し流すような大津波となって、小大陸を掻き混ぜた。
連合軍は、それまでの戦いで既に痛手を負っていたが、ナルンニルノルの変貌を境に、攻撃の手を止め、護りを固めざるを得なくなった。
神も竜も皇魔も人間も、だれもかれもが自軍の損害を減らすために全力を尽くした。神々がその御業で守護結界を構築し、竜や皇魔の魔法が皆の傷を癒やし、武装召喚師たちの力が様々に機能する。魔晶人形や魔晶兵器は、ナルンニルノルの攻撃から連合軍将兵を護る盾となり、壁となった。
獅子神像と、変貌したナルンニルノルを呼称するようになったのは、ナルンニルノルの攻撃によってネア・ガンディア軍が半壊した後のことだ。
敵味方の区別なく攻撃し続ける異形の獅子は、ネア・ガンディアに属するものたちにとっても予期せぬ存在であり、想像しようもない事態だったのだろう。神も人も、使徒も神兵も、まさか、自分たちが獅子神皇によって切り捨てられるとは、考えてもいなかったのだ。
それは、そうだ。
“大破壊”以来、ネア・ガンディアに忠誠を誓ってきたのだ。神々も、ひとびとも。ネア・ガンディアの成立以降徴兵されたであろう神兵たちはともかくとして、それ以外のだれもが、獅子神皇に忠を尽くし、すべてを捧げてきたはずなのだ。獅子神皇が切り開くネア・ガンディアの未来のために全力を尽くし、働いてきたはずだ。
それが、突如として裏切られた。
依然攻撃を続ける神軍とは異なり、聖軍の命令系統が突如として大混乱に陥ったのは、当然としか言い様がないだろう。神軍を構成する神兵に自我はなく、意思もない。故に、獅子神像の攻撃に曝されようとも、命令通りに動く。しかし、聖軍の将兵は人間なのだ。ほとんどがかつてのヴァシュタリアの軍人であり、ヴァシュタラ信徒だった。
ヴァシュタラ信徒が信じた神に裏切られたのは、これで二度目だ。
一度目は、至高神ヴァシュタラによって贄とされた。聖皇復活のための贄。儀式に失敗し、“大破壊”が起きた際、生き残ったヴァシュタラ軍の将兵の大部分がネア・ガンディアに取り込まれたのは、神に裏切られ、絶望していたところをつけ込まれたからなのか、どうか。なんにせよ、ほかに生き延びる方法がなかったのだから、致し方なかったに違いない。
だからこそ、ネア・ガンディアに縋った。縋り付き、懸命に働いてきたはずだ。それなのに、獅子神皇は、彼らを見捨てた。切り捨てた。
獅子神像の攻撃に曝された途端、聖軍将兵が、哀れなほどに取り乱すのも無理はなかった。
それはネア・ガンディアの神々も同じだ。
神々は、聖皇との契約に従い、獅子神皇にも付き従っていた。獅子神皇は、聖皇の力の器だ。聖皇の継承者といっても過言ではない。その契約も受け継いでいる。故に、聖皇と契約した神々――皇神たちは、隷属する以外に道はなかった。
二大神ナリアとエベルを始め、獅子神皇に従わなかった神々もいないではない。だが、それができたのは、“大破壊”直後の混乱のおかげであり、その機会を逃した神々には選択肢など存在しなかった。いや、仮に獅子神皇から、聖皇との契約から逃れる機会を見つけたとしても、行動に移さなかった神々も多いのかもしれない。
なぜならば、神々は、本来在るべき世界への帰還こそ望んでいるのであり、そのためにこそ聖皇の力を借りなければならないのだ。
そのための復活の儀式であり、そのための五百年の沈黙だった。
儀式が失敗に終わったからといって、諦められるはずのない神々がいたとしてもなんら不思議ではなかったし、一縷の望みを獅子神皇に見出したとしても、なにひとつおかしくはない。
獅子神皇は、聖皇の後継者だ。
聖皇の力を受け継ぎ、契約も受け継いだのであれば、神々の悲願を叶えることだって不可能ではないはずだ――そう、神々の多くが捉えたのであれば、納得も行く。
故に神々は、ネア・ガンディアに、獅子神皇に付き従った。
獅子神皇の野望の果てに、悲願を達成することができるのであれば、なんの問題もない。
そう考えていたはずだ。
だが、そうはならなかった。
聖皇の完全なる復活にこそ希望を持ち、つぎの機会、つぎの儀式にこそ期待したナリアやエベル、それにわずかばかりの神々の判断のほうが正しかったのだ。
ネア・ガンディアの神々が、みずからの判断の誤りに気づいたときにはすべてが遅すぎた。
獅子神像の攻撃を喰らった神々は、あるいは力を取り込まれ、あるいは消滅した。存在そのものが獅子神像に吸収されてしまったのだ。
だからといって神々が獅子神像に抗えるかといえば、そうではなかった。
神々は、獅子神皇に隷属している。
獅子神皇の命令に従いこそすれ、抵抗することすらできないのだ。
獅子神像の苛烈なまでの猛攻に曝されながら、連合軍に攻撃し続けなければならない神々は、実に哀れだった。
もっとも、彼らに救いの手を差し伸べられるだけの余裕が連合軍にあるわけもない。仮にそんなことをしたとして、神々から遠慮のない攻撃を食らうのが関の山だ。
連合軍は、護りに徹するよりほかはなく、それでも被害は甚大であり、戦線の維持など不可能に近かった。
そもそも、戦場そのものが崩壊している。
大嵐、洪水、大地震等々、間断なく巻き起こる天変地異の数々は、獅子神像周辺の地形を激変させており、それまで築き上げていた戦場の様相を完膚なきまでに破壊してしまったのだ。もはや、戦争などと呼べるものではなかった。
一方的かつ理不尽極まりない攻撃の数々から身を守ることで精一杯だった。
「獅子神皇の力、まさかこれほどとは……」
マリク神の愕然とした発言は、連合軍全員の代弁に等しかった。
獅子神皇どころか、その力の一端に過ぎないはずの獅子神像にすら、連合軍が力を合わせても太刀打ちできないのだ。
このまま防戦を続けていたとしても、どうなるものでもない。
こちらの力が削られ続ければ、いずれ敗北するのは目に見えている。
では、どうすればいいのか。
どうすれば、この危機を乗り越えられるのか。




