第三千五百七十五話 神の目の瞬き(五)
「もちろん、あなたたちの実力あってこその結果ではあるんだけどね」
クオンがそう締めくくったの受けて、セツナは、力強く頷いた。
「ああ。アレグリアさんの想いは、確かに受け取った」
断言し、周りを見れば、皆も一様に頷いてくれる。
クオンによれば、ナルンニルノル突入後、セツナたちが突如として空間転移現象に襲われ、離れ離れになったのは獅子神皇の力なのだが、その際、ナルンニルノルの各所で待ち受けていた獅徒、神将と、突入組の面々のだれとだれを戦わせるのか、その組み合わせを決めたのはアレグリアだというのだ。
獅子神皇が最初から決めていたセツナとクオンの対峙だけは変えようがなかったものの、それはそれでよかった。そのための保険もかけていたのだから、クオンとしてはなんの問題もなかっただろう。それどころか、ほかの獅徒や神将がセツナと対決するような羽目になれば、クオンの目的は達成できなかったのだ。クオンは、このナルンニルノルの戦いにおいて、セツナを完璧に仕上げなければならなかった。完全無欠の状態に到達させなければならなかったのだ。故に、クオンは、全身全霊で戦い、滅ぼされることすら視野に入れていた。
そして、その際の保険として、ヴァーラをナルフォルンの中に隠していたのだ。
しかし、だ。
いくら、魔王の杖と神理の鏡が揃ったところで、獅子神皇の力は強大だ。戦力は多ければ多いほどよく、突入組の面々をひとりでも多く生かすことができれば、獅子神皇との戦いをより有利に進めることができるに違いなかった。
故に、アレグリアは、突入組ひとりひとりの能力を考慮し、転移先を決定したのだ。
もっとも実力の劣るエリナがラグナ、トワと一緒に転移されたのもそうだし、三名の神将の相手がファリア、ルウファ、ミリュウの三人になったのも、アレグリアが考え抜いた結果だ。エインがナルフォルンと対峙する羽目になったのも、だ。
神将は、獅徒よりも圧倒的に強い。
最終試練を終えた武装召喚師であってようやく立ち向かうことができるというほどにだ。
ファリアたち以外ならば、トワを加えた二対一、三対一であれば、勝ち目も見えたかもしれないが、いまとなってはわからない。
いずれにせよ、アレグリアがクオンと手を組み、セツナたちに暗に協力してくれていたことが功を奏したことはいうまでもない。
無論、クオンがいうように、ファリアたちがそれぞれの戦闘に勝利することができたのは、紛れもなく、個々人の実力あってのものであることは疑いようがない。ファリアたちの話を聞く限りでは、獅徒や神将が手加減をしてわざと敗れたようには想えなかったし、そんなことはありえないはずだ。神将も獅徒も、獅子神皇に支配されている。その命令を破ることはできない。
獅徒ヴィシュタルも、神将ナルフォルンも、本質的には獅子神皇の支配を断ち切れてはいなかったのだ。だから、ナルフォルンは消滅したし、ヴィシュタルは再び転生しなければならなかった。獅徒から、使徒へ。神を鞍替えする新たなる契約は、死と新生に等しい。
そうでもしなければ断ち切れないほどの縛鎖。
故にこそ、クオンとアレグリアの覚悟のほどがわかるというものだろう。
「でも、あたしがこうして生きてセツナを実感していられるのは、全部トワちゃんのおかげよ。そのことは忘れないで欲しいわ」
そういってセツナの腕を引っ張ったのは、ミリュウだ。
「トワのおかげ、か」
セツナが見下ろすと、幼い女神がこちらを見上げていた。トワという名の女神。まさに奇跡そのものといっても過言ではない少女の存在は、この戦いになくてはならなかっただろう。ミリュウの発言の通りなのだ。トワがいなければ、突入組の大半が死んでいたか、瀕死の重傷を負っていたのだ。
トワの加護と祝福があればこそ、こうして再会を果たすことができたのだ。
「トワ、役に立った?」
「ああ、もちろんだ」
「そんなこといってないで、ご褒美、あげなさいよ、もう」
「なんで怒られるんだよ」
「セツナがトワちゃんに優しくしないからでしょ! あたしたちの命の恩人なのよ! セツナの大切なあたしの!」
などと全力で怒鳴ってくるミリュウの剣幕の凄まじさに押されていると、周囲から様々な声が聞こえてきた。
「ミリュウ、あなたねえ……」
「師匠、凄い……」
「なにが凄いんだか……」
「あれに張り合うのも大変だあな」
「じゃが、面白いものじゃぞ」
ミリュウに呆れる声もあれば、感嘆するものもいて、肩を竦めるものもいる。いつもの光景、いつもの空気。なんだか、世界の命運を決める戦いの真っ只中に身を置いていることを忘れそうになる。ミリュウの前では、緊張感など何処吹く風なのかもしれない。
とはいえ、トワのおかげなのは確かであり、また、ミリュウがいったようになにかしらの褒美をあげるべきだという気持ちもないではなかった。この状況下でできることなど、たかが知れているのだが。
「ま、なんだ……ありがとう、トワ」
セツナは、考えた末にトワの頭を撫でた。すると、トワが満面の笑顔になったものだから、心底ほっとした。褒美などといって、いまこの場で与えられるものなどなにもないのだ。
「ううん、当然のことをしただけ、だよ」
「当然のこと……か」
「うん。兄様の気持ち、わかるから」
「俺の気持ち?」
「皆を大切に想う気持ち」
トワにはっきりと言葉にされてしまって、セツナは、なにも言い返せなかった。図星以外のなにものでもないからであり、また、なにをいったところでどうにもならないからだ。少し、気恥ずかしくなる。そのとき、ぐいと腕を引っ張られたのは、ミリュウが身を乗り出したからだ。
「あたしも?」
「うん。皆」
トワは、少しばかり驚きながら、しかし、笑顔でもってミリュウに答えた。ミリュウは満面の笑みを浮かべて、セツナの腕に絡めている腕の力をきつくした。そして、周囲を煽る。
「うふふ、大切だってえ。セツナがあたしのこと、大切って」
「本当、幸せ者よね、ミリュウ」
「ファリア様も、幸せ者ではございましょう?」
「まあ、否定はしないけど」
「さすがにミリュウと一緒にしてもらいたくはねえよな」
「確かに」
「じゃが、ミリュウの在り方はわしは嫌いではないぞ」
「先輩に同意です」
などと、各人の反応を見たり聞いたりしながら、セツナは、なんともいえない気分になったりした。
状況が状況だけに、これ以上、この話を続けるつもりはなかった。続けても、傷口を広げ、塩を大量に投げ込むような結果にしかならない。
「さて……軽い気分もここまでにしよう」
セツナは、周囲を見回して、いった。
「俺たちは託されたんだ。アレグリアさんだけじゃない。皆から、託された」
すると、ルウファが決然とした表情で口を開く。
「父上からも、ですよ。隊長」
「アルガザードさんが?」
「はい。父上は最期、俺に陛下のことを託しました。父上も、アレグリアさんと同じだったんです。きっと。思い悩みながら、神将として振る舞い続けていた。そうするよりほかはなかったから」
「……そうか。そう、だったんだな」
アルガザードも、アレグリアと同じく、獅子神皇とレオンガンドを完全に同一視していなかったのだろう。だから、最後の最期、ルウファに託した。
ふと、考えたのは、もうふたりの神将のことだ。
ナルガレスとナルノイア。
ラクサス・ザナフ=バルガザールと、ミシェル・ザナフ=クロウ、その成れの果て。ファリアとミリュウが対峙し、いずれもが辛くも勝利をもぎ取ったという死闘を繰り広げたという。ふたりは、どうだったのだろうか。アレグリアやアルガザードのような気持ちだったのだろうか。それとも、満ち足りていたのだろうか。
いまさらだれに問うたところで答えなどでるわけもないが、考えざるを得なかった。




