第三千五百七十三話 神の目の瞬き(三)
「あれは……」
セツナは、クオンとナルフォルンのやり取りをじっと見つめていた。疑問はあるが、疑念はない。クオンがこちらに悪意を持っていないことが明らかな以上、彼とナルフォルンのやりたいようにやらせるしかなかったし、セツナたちにはそれを見届けるしかなかった。
「あやつに似ておるのう」
「そっくりですね」
「本人じゃないんですか?」
「本人はあそこにいるでしょ」
「そうですけど、ほかに考えようがないじゃないですか」
セツナの周囲が様々に反応するのも当然だった。いくらなんでも予想だにしない出来事であり、だれにも想像のつかない事態だった。ナルフォルン“真聖体”の中から、クオンが出現したのだ。それも、人間時代のクオンそのものといっていいほどそっくりだが、微妙な違和感がある。
なにがどう違っているのか。
すぐにわかった。
セツナが知っている人間時代のクオンより、幾分、年を取っているようなのだ。
かつて“大破壊”で命を落としたクオンは、獅徒として蘇った。神の徒であり、人間を、生物を超越した存在である獅徒は、年を取らないらしい。だから、ヴィシュタルとしてのクオンの外見的な変化は、黒髪が白くなったり、皮膚が白化していたりといった程度であり、年数による変化が見受けられなかったのだ。
しかし、いま、クオンの目の前に出現したもうひとりのクオンは、まるで“大破壊”から今日まで普通の人間として生きてきて、年月を重ねてきたように感じられた。
「待たせたね、ヴァーラ」
「そうでもないよ、クオン」
ふたりのクオンが言葉を交わす。
声もそっくりそのままだったが、人間のクオンのほうが上品に感じられたのは気のせいではあるまい。そしてそれは、セツナが知っているクオンの声音とは、少し違った。クオンよりも余程育ちのいい別人であり、クオンの発言からもその正体は理解できた。
「あれが……ヴァーラ」
「ヴァーラ?」
「イルス・ヴァレにおけるクオンの同一存在。いわば、俺にとってのニーウェに当たる人物だよ」
ミリュウの疑問に答えながら、セツナは、クオンとヴァーラが抱擁する様を見ていた。ヴァーラの存在については、クオンからの手紙で知ったことであり、ミリュウも知っているはずだったが、彼女が忘れていたとしてもなんら不思議ではない。
激動の日々は、たかだか数年前の出来事を遙か久遠の彼方へと追いやってしまうものだ。
セツナ自身、クオンにヴァーラという同一存在がいたことを思い出したのは、クオンがその名を口にしたからだ。
同時に疑問も湧く。
(でも、なんでだ?)
なぜ、クオンとヴァーラは分かれ、ヴァーラはナルフォルンの中に隠されていたのか。
そんな疑問を抱いている内に、ヴァーラの体が光となり、クオンの体に溶けていく。クオンが顔を上げたときには、ヴァーラの姿は完全に消え去り、彼ひとりとなっていた。再び合一した、ということなのだろうか。
「クオン殿。後のことはよろしくお願い致しますね」
「約束したからには、必ず」
クオンが強くうなずくと、ナルフォルンがこちらに顔を向けてきた。顔には目がないが、それでも、彼女にははっきりとセツナたちの姿が見えていることだろう。なにせ、神の目なのだ。体中の目が、セツナたちを余す所なく捉えているに違いない。
「セツナ様、皆様、エインくんも、御武運を――」
彼女が言葉を続けられなかったのは、その体が突如として崩壊したからだ。なんの前触れもなく、瞬く間に崩れ始め、あっというまに消滅してしまった。
「えっ!?」
「なっ!?」
「どうして!?」
「どういうこと!?」
「獅子神皇が配下の裏切りを許すわけもない。それだけのことだよ」
セツナたちが愕然とする中で、クオンだけが冷静だった。しかし、声音は震えていて、彼が感情を押し殺していることははっきりと伝わってくる。
「だから、彼女は滅び去った」
「……アレグリアさんは、あなたに協力していたというわけですか」
「この戦いが始まる少し前」
エインの質問に対し、クオンは、地上に降りてきながら、いった。
「ぼくは、獅徒を率い、獅子神皇に戦いを挑んだ。獅子神皇の力はあまりにも強大過ぎて、あのままではこの世界を維持することすらままならないと見たからだ。でも、結局、ぼくたちの力は及ばなかった。まったく、歯が立たなかった」
「獅子神皇は裏切り者を許さないっていいましたよね? でしたら、どうして獅徒の皆さんは無事だったんです?」
「それはきっと、彼女の加護だろうね」
そういってクオンが見つめた先には、ナルエルスが立っていた。ナルエルスは、ナージュだ。そして、ナージュはレオンガンドに愛されていた。獅子神皇にレオンガンドの意識が残っているのであれば、ナルエルスにナージュを見出していてもおかしくはなく、故にナルエルスを放置していても不思議ではなかった。
そもそも、ナルエルスが自由に行動していることそれ自体が不思議だったのだが、その正体を考えると、納得もいくというものだろう。
「彼女の加護があればこそ、ぼくたちは裁きを免れ、生き残った。そして再び、獅子神皇の使徒に舞い戻ったんだ」
「それもこれも、このときのため、ですか」
「そうだよ」
エインの察しの良さに、クオンは満足げに頷いたようだ。
「獅子神皇は、討ち果たさなければならない。でなければ世界は滅亡する。けれど、ぼくたちの力だけじゃ不可能だ。それは、獅子神皇に挑んだときに判明しているからね。だから、君が必要だった」
「でも、それだけじゃあ駄目だった。だから、おまえは俺がこの力を完全に自分のものにするよう仕向けたんだな」
「まさか、ぼくが生かされるとは想わなかったけどね」
クオンが苦笑を交えつつ、いった。
「ぼくは滅ぼされても問題はなかった。そのときのための保険を用意していたからね」
「それがさっきの……」
「ヴァーラはぼくの同一存在。いわば、ぼくの半身だ。合一してからの数年、魂の深度で響き合い、わかりあってきた。ヴァーラならば、ぼくの代わりを果たすことができる。ヴァーラなら、シールドオブメサイアを、神理の鏡の護持者になれる」
「随分とまあ、周到ですね」
「ただ、問題があった」
「獅子神皇の監視か」
「ああ。獅子神皇はナルンニルノルのみならず、この地のすべてを見ている。どこにいても監視されているようなものさ。ただし、シールドオブメサイアの能力を用いれば、話は別なんだけどね」
シールドオブメサイアの守護領域は、獅子神皇の監視さえも逃れることができる、ということだろう。
「それでも、完璧じゃあない。獅子神皇の監視を逃れられるのは、シールドオブメサイアの能力を使っている間だけ。守護結界の中でだけのこと。結界の外にでれば、その瞬間、監視下に戻るんだ。獅子神皇打倒の策謀や計略を練っていても、それでは意味がない」
「なるほど」
「ただひとつ、例外があった」
「それが、アレグリアさんだった、と」
「もちろん、彼女が協力してくれなければ始まらなかった話だけれど、彼女は、全力で協力してくれた。自分が滅ぼされることも織り込み済みで、ね」
「どうして……」
「……彼女だって、望んでいなかったんだよ」
クオンがエインを見つめる目は、どこまでも悲しく、切なかった。
「こんな未来」




