第三千五百七十一話 神の目の瞬き(一)
「セツナたちは、ここへ至った」
そういって、クオンは、ナルフォルンに対してセツナたち一行を指し示すようにした。
無論、ナルフォルンには見えているだろうし、突入組のだれひとりとして死んでいないこともわかっているのだろうが、クオンにはいわざるを得ない事情があったらしい。そんな彼の言動は、セツナには不可解なものがあり、訝しんだ。
もちろん、クオンを疑ったというわけではない。
クオンの身も心もトワのものである以上、彼を疑う理由などはないのだ。だからといって、クオンのすべてを理解できているわけでもなく、怪訝に感じることだってあるというだけのことだ。
「まさか、だれひとり脱落しなかっただなんて想像以上だったし、ぼくまでここにいるという結果は想定外のなにものでもないけれど……まあ、そういうことだ」
「本当に……」
クオンの説明を受けて、ナルフォルンも感嘆するようにいった。アレグリア=シーンの顔と声、仕草でもってそのような反応をされると、彼女は姿以外なにひとつ変わっていないのではないか、と想ってしまう。
ファリアたちの話によれば、ほかの神将たちもそうだったようだ。
神将ナルガレスはラクサス・ザナフ=バルガザールのままだったといい、神将ナルノルンはミシェル・ザナフ=クロウそのものだったという。神将ナルドラスも、アルガザード・バロル=バルガザールそのひとだった、と、ルウファがいっていた。それぞれ死闘を演じた相手ではあったのだろうが、三人が三人、複雑な感情を抱かざるを得ないという様子だった。
それはそうだろう。
ラクサスもミシェルも、アルガザードも、ガンディア時代においては親しくしていた人物だった。特にラクサスとミシェルは、《獅子の尾》と同じ立場である王立親衛隊の隊長であり、関係性は深かった。それにアルガザードは、ルウファの実父だ。敵対する羽目になり、命のやり取りをすることになったとはいえ、憎悪や殺意をぶつけられるような相手ではなかったはずだ。
勝てても、すっきりできたわけではあるまい。
むしろ、心に深刻な傷を負ったとしても、なんら不思議ではなかった。
だから、ルウファは、クオンがこうして生き残ったことに対し、だれよりも複雑な想いを抱いているに違いない。
ただし、神将たちは、獅徒以上に獅子神皇との結びつきが深い存在であり、魔王の力でその繋がりを断ったとしても、クオンのように新たにトワの使徒となることで生き延びるなどという荒技が使えたかどうかは、わからない。
おそらく難しかっただろう、というのが、セツナの見立てだった。
ナルフォルンもそうだ。
セツナの目は、ナルフォルンの肉体のみならず、精神の形、魂の形をも見通している。神将の魂は、隔絶された領域の外、ナルンニルノルの中心へと向かって伸びており、そのことから、獅子神皇と結びついていることが明らかだった。
その点は、獅徒ヴィシュタルと同じだ。
獅徒と神将の違いは、その結びつき方であり、魂の形だ。
獅徒の魂と獅子神皇は、極めて強靭ではあるが、一本の紐で繋がっているように見えた。故に、魔王の力でもって容易く断ち切れたのであり、獅徒の肉体が完全に崩壊するまでに時間的猶予があったのではないだろうか。そして、その時間的猶予が、トワとの契約という荒技を用いる好機となった。
一方、神将はどうかというと、まったく異なっているといっても過言ではなかった。
神将と獅子神皇は、魂そのものが結びついているとでもいうべき状態だったのだ。
どういうことかといえば、ナルフォルンの魂の形、大きさの帯が、獅子神皇の居場所に向かって伸びているのだ。つまり、ナルフォルンと獅子神皇の結びつきを断つということは、ナルフォルンの魂そのものに深刻な損傷を与えることになりかねない、ということになるのではないか。
獅徒もそうだったが、神将は、神に等しい存在だ。魔と相反する性質、属性の存在であり、故に魔王の杖は大いに力を発揮するのだが、だからこそ、魂に魔王の力を叩きつけられれば、いかな神将といえど、ただでは済むまい。
獅子神皇との繋がりを断てたとして、トワの使徒として生まれ変わるまでの時間的猶予があるものか、どうか。
魂そのものが崩壊する可能性が高い。
だから、他の神将たちをクオン同様トワの使徒にできなかったことを納得しろ、とはいわないが。
そもそも、神将たちがそうなることを望んだかどうかは別の話なのだ。
ファリアたちの話によれば、いずれの神将も、獅子神皇への忠誠は揺るぎないものだったという。
セツナが強引に獅子神皇との魂の結びつきを断ったとして、クオンのようにトワの使徒になってくれたかどうか。その可能性は限りなく低いのではないだろうか。
クオンは、ガンディア人でもなければ、ガンディア王家に忠誠を誓っていたわけではない。ガンディアのために戦い、果て、獅徒となったわけではないのだ。その点、神将たちは違う。神将のいずれもがガンディアの重臣であり、忠臣でもあった。レオンガンドに忠誠を誓い、ガンディアのために戦い、ガンディアとともに命を落としたものたちだ。
なにからなにまでクオンとは立場が違うのだ。
そんなことを考えていたのも一瞬のことに過ぎない。
「本当に、よくぞここまで辿り着きましたね、セツナ様。皆様」
「……まるで俺たちがここに辿り着くことを待ち望んでいたような言い方だな」
セツナは、ナルフォルンの表情からその心情を読み取ろうとしたが、無理だった。感嘆に満ちていた表情は、冷静さを取り戻し、軍師らしい無表情に戻っていたからだ。すると、すぐ近くから声が上がった。
「ええ、きっとそういうことなんですよ」
エインだ。
「彼女は、自分たちには見守ることしかできないといっていたんです。神将の力をもってすれば、俺を殺すことくらい造作もなかったでしょうに」
彼の発言から、ナルフォルンが積極的に戦闘をしかけてこなかっただけでなく、エインを殺そうとさえしてこなかったことが窺い知れる。
「造作もないというのは、買い被りです。さすがに神に護られた人間を殺すのですから、多少なりとも骨が折れるでしょう」
「殺せることは否定しないんだ?」
「もちろん」
「……つまり、わざと殺さなかった」
エインの結論を、ナルフォルンは否定しなかった。むしろ、肯定するように告げてくる。
「軍師たるもの、無闇矢鱈に命を奪うような策は立てないものですよ」
「師の教え、か」
エインが小さくつぶやいた。
「確かに、通常の戦闘、戦争ならそれもわかる。けれど……」
「この戦いは通常のそれではない、と?」
「世界の存亡を賭けた戦いですよ。だれもが命を懸けて、この世界の未来のために戦っている」
既に多くの命が失われてしまった。
特にナルンニルノルの外では、いまもなお、死者が増え続けている。異形の獅子と化したナルンニルノルが暴れ回っているからだ。異形の獅子の攻撃は凄まじく、連合軍が壊滅するのも時間の問題ではないか、と思えた。
しかし、セツナに焦りはない。
一刻も早く獅子神皇を討ち斃さなければならないが、それとこれとは別の話だ。
「……わたしも、命を懸けて、ここにいますよ。エインくん」
ナルフォルンが、静かに、語り聞かせるようにいった。




