第三千五百七十話 大いなる矛盾の果て(七)
軍神の間は、極めて広大な空間であり、ナルンニルノルとその周辺を模した戦場を挟んで、エインと神将ナルフォルンが対峙していた。
希望の女神マユリは、エインと同化しており、故にその姿は見えない。エインとマユリ神の同化は、獅子神皇対策だったのだが、こうしてみると、ナルンニルノル突入前に同化していたのは大正解だったことはいうまでもない。もし、突入し、獅子神皇と対峙したあとに合一しようなどという作戦だったのであれば、いまごろ、エインはどうなっていたものか。
(いや……案外……)
セツナは、エインとナルフォルンの間に横たわる広大な戦場を見下ろしながら、考えを改めた。
案外、どうにかなっていた可能性がある。
神将ナルフォルンは、アレグリアだ。その外見からすぐにわかった。かつてガンディアの黄金時代の始まりを告げた軍団長のひとりであり、軍師ナーレスが立ち上げた参謀局に入ったエインの同僚。ナーレスの弟子として、腹心として、その薫陶を受け、才能を寵愛された人物。そして、エインとともにナーレスの後継者として、ガンディアを支え、栄光に満ちた将来を切り開くことを期待されていた。
ガンディアが滅び、大陸が破局を迎えたとき、彼女は王都にいた。アルガザードやラクサス、ミシェルとともに命を落としながら、獅子神皇として転生したレオンガンドによってその命を現世に繋ぎ止められたとして、なんら不思議はなかった。
アレグリアは、生粋のガンディア人であり、ガンディアへの忠誠心の塊のような人物でもあった。レオンガンドが声をかければ、喜び勇んで転生しただろうことは想像に難くない。ほかの神将たちと同様にだ。
そして、それを否定することは、なにものにもできない。
セツナだって、彼女たちと同じ立場なら、同じ道を選んだかもしれない。
そんな可能性を考え、即座に頭の中から排除する。いま考えるべきは、いまするべきは、そのようなことではない。
アレグリアの転生である神将ナルフォルンが相手であるからこそ、エインがたとえ、ただの人間そのものだったとしても、いまのいままで生き残ることができた可能性は低くない。
アレグリアは、エインとともにナーレスに師事し、切磋琢磨し、研鑽し合った間柄だ。互いの才能を認め、実力を認め、だれよりも理解し合ってもいたという。エインが、ネア・ガンディア軍の戦術からアレグリアの存在を感じ取ることができたのも、彼が彼女のことを真に理解していたからだろう。
そんなアレグリアの成れの果てたるナルフォルンが、エインを問答無用に殺すとは、少々考えにくい。
なにかしら対決する方法を考えたのではないだろうか。
そしてそれがいま眼下の戦場ならば、人間のままのエインでもなんとかなった可能性はある。飽くまで可能性の話に過ぎないし、だからどう、ということはないのだが。
「セツナ様!」
セツナがエインの頭上に降下していくと、エインが歓喜に満ちた大声を上げてきた。想定通りといわんばかりの反応は、彼がセツナたちの動向を知っていたことを窺わせる。
無論、セツナひとりがこの領域に転移してきたわけではない。あの場にいた全員を連れてきている。ただ、セツナとクオン以外全員、飛竜と化したラグナの背に乗っており、セツナよりも大分遅れて地上に降下しようとしていた。
エインは、塔のように聳え立つ狭い足場の上に立ち尽くしており、その近くに降り立つことは難しかった。なので、セツナは、“闇撫”でもってエインを抱え込み、エインごと大地に降りることにした。
『皮肉なものだな』
地上に降りている最中、マユリ神の声が聞こえた。
「なにがです?」
『忌むべき魔王の力が、まさにこの世を救う希望となっているのだ。これを皮肉といわずして、なんという』
「魔王の力だけじゃあないですよ」
セツナは、ちらりとクオンを見上げた。十二枚の翼を広げ、ゆっくりと降下する天使の姿は、太陽のように眩しく、神々しい。
『わかっているとも。だから、驚いている』
「驚く?」
『まさか。神理の鏡の護持者までも味方につけるとはな』
心の底から驚いているといわんばかりのマユリ神の反応には、セツナも少しばかり満足した。セツナ自身、ヴィシュタルを斃さず、むしろ味方にするという道を見いだせたことには、驚きを禁じ得ないのだ。それが最善最良の道であるということも含めて、だ。
着地とともに“闇撫”からエインを解放すると、彼はきらきらとした目でこちらを見ていた。
「それもそうですが……セツナ様だけでなく、皆さんが無事でなによりですよ」
「エインこそ、無事でよかった」
「俺が無事なのは、相手のおかげですが」
「やっぱり、そういうことか」
「そういうことです」
エインが静かにうなずく。
セツナが思っていた通りだったようだ。
アレグリアの成れの果てたるナルフォルンが、エイン相手に殺し合い挑むことなどありえないと想っていたが、事実、その通りだったようなのだ。だから、エインはいまのいままで傷ひとつ負うこともなかったのだろう。さらにいえば、彼が精神的に消耗している様子もない。
どのような戦いが繰り広げられていたのか、セツナには想像するほかないが、おそらくは知恵比べのようなことをしていたのだろう。
ほかの戦場との温度差が圧倒的だが、そればかりはどうしようもない。
ナルフォルンがアレグリアで、その相手がエインだったからこそなのだ。
ナルフォルンの相手が、エイン以外のだれかならば、まったく別の戦いが繰り広げられていたに違いないのだ。
やがて、クオンが降りてきて、皆を背に乗せたラグナの巨躯が着地する。ラグナの背中からつぎつぎと降りてきた突入組の面々を見て、エインがにこやかに手を振った。
すると、
「……まさか」
懐かしいアレグリアの声が聞こえるとともに、風圧がセツナの頬を撫でた。振り向くと、エインとナルフォルン、広大な空間を挟んで対峙する両者の間に存在した戦場が消し飛んでいた。ナルンニルノルの模型も消え去っており、ナルフォルンだけが、ゆっくりと地上に舞い降りてくる様が目に映っていた。
「まさか、このような形でこの局面を迎えるとは、さすがのわたくしも想定外です」
「アレグリアさん」
「セツナ様……お久しぶりですね。随分と勇ましく……そして禍々しくなられたようで」
ナルフォルンの声も表情も、アレグリア=シーンそのひとのものであり、セツナは、なんともいえない感情に襲われた。まさか、彼女とこのような形で再会することになるとは、想いもしなかったものだ。エインが戦術からアレグリアの気配を感じ取っていたとはいえ、だ。アレグリアが神将のひとりとして立ちはだかるとは、想定しようもない。
神将ナルフォルンとしての彼女の姿は、人間時代に比べるとより美しくなったように感じられた。白く神々しい光に包まれているから、というのもあるだろう。
セツナの背後で突入組の面々がそれぞれに驚きの反応を示す中、ナルフォルンに向かって言葉を発したのは、クオンだった。
「ナルフォルン。見ての通りだ」




