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第三百五十六話 矛と盾(六)

 視界を埋め尽くしたのは、暴力的な白さだった。

 音もなく、圧力もなく、しかし、極めて苛烈で圧倒的な白は、彼の世界をも一色に塗り潰していった。破壊があったのだろう。大地は蹂躙されたのだろう。舞い上がった土砂も粉塵もさらなる圧力の前に叩き伏せられ、純白の世界が汚れることはなかった。

 そんな中で、セツナは目を見開き、竜を仰いでいた。戦場を破壊する光の洪水も、彼に触れることはかなわなかった。どれだけ強烈な破壊の力を持ってしても、セツナたちを害することはできなかったのだ。

 シールドオブメサイアの力を改めて認識する。純白の圧力も破壊も物ともしない無敵の防壁に護られている。クオンの庇護下にあるというのに、どうしてここまで心が安らぐのだろう。

 恐怖もなければ焦燥もない。

(これがクオンの力……)

 白一色の視界に影が過った。黒く巨大な影は、翼を羽撃ばたかせていた。

(だったら俺は……!)

 戦場を破壊し尽くした光の奔流が途絶えた。ドラゴンの攻撃が止んだのだ。だが、セツナの視覚が正常化するより早く、ドラゴンが動いていた。大気が唸り、黒き竜の巨体が反転した。地上に向かって、頭から落ちてくるのがわかる。

「セツナ!」

「わかってる!」

 叫び返しながら、セツナはその場に腰を沈めた。柄を握る手に力を込め、深く構える。ドラゴンの落下速度はやはり圧倒的だ。大気が悲鳴を上げている。何百メートルもの巨躯が真っ逆さまに落ちてくるのだ。凄まじい質量と加速。いかな黒き矛といえど、耐えられるものかどうか。

(普通なら、逃げの一手だな)

 しかし、いまは逃げる必要はない。こちらには無敵の盾があるのだ。なにも恐れることはないのだ。

 竜の赤い目がセツナを見ていた。真紅の目。無数の目。何度となく夢に見た黒き竜の目は、見ているだけで腹が立ってくるほどに傲岸不遜だった。黒き矛ならばそれもしかたがないとは想う。しかし、いま実際に見ている竜は黒き矛ではない。偽物だ。矛を模倣しただけの贋物なのだ。そんなものに偉そうにされるいわれはない。

(ふざけやがって)

 竜が顎を開くと、闇が覗いた。咆哮が聞こえた。衝撃波がセツナの足元の地面を抉った。足が地面に埋まる。構わない。竜はもはや眼前。

「うおおおおっ!」

 竜の鼻先に黒き矛を叩きつける。硬質な金属を殴りつけたような衝撃が両手に伝わってくるが、それは矛を叩きつけたことによる反動だった。ドラゴンの全体重を受けたことによる圧力は、一切生じなかった。

 セツナの一撃を受け、龍の首は左に逸れたものの、巨体のすべてを吹き飛ばすには至らない。覆い被さるように落ちてくる。セツナも即座には動けなかった。手が痺れていたし、足が地面に沈んでいた。それに、押し潰されることはないだろうという楽観的な気分もあった。そしてそれは、致命的な失態にはならない。

(でけえ……)

 夢の竜より数十倍はあるのであろう巨体が、セツナに覆い被さっていた。シールドオブメサイアに護られている以上、重量も圧力も感じなければ、その重みに潰されるということはない。しかし、全長数百メートルに及ぶ巨体にのしかかられて、立ったままでもいられなかった。その場に屈み、竜の動きを待った。視界は真っ暗だったが、不安はなかった。

(あれで死んだわけじゃねえよな?)

 鼻頭に叩きつけた一撃は十分な手応えがあった。しかし、外皮は砕けず、傷つけることさえできなかったように見えた。黒き竜を模したことで、全身を覆う外皮も強固なものになったのだろう。

 不意に、巨体が持ち上がる。ドラゴンが両手両足で巨体を持ち上げたのだ。世界が闇に閉ざされたかのような錯覚がある。竜の体があまりに巨大すぎるのだ。両腕、両足は天地を支える柱であり、胴体と翼が闇の空を演出している。

「おーい、黒き矛はそんなものかー?」

「いちいちうるせえ!」

 クオンの脳天気な声援に、セツナは立ち上がりながら大声を投げつけた。

(人の気も知らないで)

 とはいうものの、セツナにもクオンの苦労はわからない。彼は自分の役割を果たしているだけだ。シールドオブメサイアを召喚し、無敵の盾を維持するという重大な仕事をしてくれている。実際、クオンの協力がなければ、セツナは押し潰されて死んでいたのだ。

 もっとも、彼の支援がないのならば、別の戦い方をしていたに違いなく、その仮定は無意味ではあったが。

 黒き竜は、長い首を器用に曲げてこちらを見下ろしている。鼻頭は無傷だ。傷つけることができたのは、模倣前の右眼だけだった。

「さすがはカオスブリンガー……ってか」

 柄を握り締める。黒き矛の意志を感じる。絶大な力を秘めながら、その力を出し切れないことに関して、想うところもあるだろう。わざわざ夢に現れるほどなのだ。セツナがもっと力を引き出すことができれば、などと思っていても不思議ではない。

(クオンの力を借りて戦うのが不服か?)

 矛を振るい、構え直す。盾の庇護がなければ、正面から戦うことなどできるはずもない。その事実を黒き矛が認識しているのかどうか。少なくとも、黒き矛は頭上を覆う模倣物をとっとと破壊したいと思っているはずだ。

(ごめんな、こんな奴が主人でさ)

 竜が翼を羽撃かせた。暴風が渦巻き、戦場の周囲で木々が激しく揺れる。木の葉が乱舞する中で、竜の上体が持ち上がる。伏せたままでは戦いにくいと判断したのだろう。だからといって、竜の体は巨大なままだ。

 せめて、ミリュウほどの実力があれば、もっとましな戦いができたはずだ。いや、それこそ高望みし過ぎだろう。ミリュウは人生の大半をかけて武装召喚術を学び、地獄のような世界を生き抜いてきた猛者なのだ。セツナとは潜り抜けた死線の数が違う。比較してはならないほどの実力の持ち主であり、そんな彼女と戦って生き残れたのは幸運以外のなにものでもなかった。

 それはわかっている。

(でも、おまえも悪いんだぜ? こんなちっぽけなガキの召喚に応じたのは、おまえなんだからな)

 責任転嫁するつもりでいったわけではない。ただ、事実を述べたまでだ。そして、黒き矛ではない別の武器が召喚されていれば、セツナの人生も大きく変わっていたはずだということも理解している。ランカインに焼き殺されていたかもしれない。

 セツナは、頭上を睨んだ。黒き竜の隆々たる肢体を覆うのは、流動する闇だ。たゆたう闇は、それそのものが別の生き物のようでもあり、夢の中で見たときよりも不気味に感じるのは、これが現実だからなのかもしれなかった。だが、流れ動いているように見えても、鋼鉄の鎧よりも遥かに硬い物質なのは、鼻頭への攻撃が通らなかったことで判明している。

 黒き竜が、おもむろに左腕を振り上げた。拳が握られている。鉄拳などという生易しいものではないのは明らかだ。

(来る)

 セツナがドラゴンに直接攻撃できる機会は、ドラゴンが攻撃をしかけてきたときだけだ。さもなければ、地につけた両足か地中へと伸びている尾に攻撃するしかないのだが、足も尾も、セツナの立ち位置から遠くはなれている。尾は戦場の中心にあり、両足はちょうどその左右の森の中に突き刺さっていた。攻撃対象とするには遠すぎるのだ。その点、竜の攻撃に合わせて攻撃するのならば、セツナが動く必要もない。当然、ドラゴンが近接攻撃を行ってこないというのならば、別の攻撃手段を考えるしかないのだが。

(その必要はない……!)

 大気を劈く轟音とともに竜の巨拳が降ってくる。明確な殺意の込められた拳は、全身での落下よりも速かった。しかし、セツナの目で追えないほどではない。そしてそれは、十分に反応できる速度だということだ。両足のバネを利用して、後ろに飛ぶ。拳が降ってくる。拳打が生み出す風圧が鼻先を撫でた。

 だが、直撃は免れている。

 竜の拳は地面に突き刺さると、拳の周囲を破壊した。セツナは、中空。眼前に聳える漆黒の柱に向かって、矛を突き出している。柱に見えるほど太い腕に、矛の切っ先が刺さった。セツナは矛を手がかりにして腕に足を乗せると、竜の外皮の感覚に勝機を見た。靴が滑らないのだ。

 急角度に傾斜した柱を駆け上がるのは至難の技かと思われたが、そこは黒き矛がなんとかしてくれるだろうという予感があった。竜が反応するより速く、セツナは矛を抜き、駆け出している。

 黒き竜の長大な腕を素早く駆け上り、肩に到達したとき、頭上から無数の目がセツナを見ていた。ぎょっとする。掲げられた左腕から察するに、ドラゴンは、セツナが腕を駆け上ってくるのを待っていたのだろう。

(ちっ)

 舌打ちする間にも、漆黒の拳が迫っていた。


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