第三千五百六十七話 大いなる矛盾の果て(四)
魔王の力によって開けられた穴は、ナルンニルノル内の別の異空間と繋がる通路のようなものであり、そこから突入組の面々がつぎつぎと姿を現した。そのうちのひとりが猛然たる勢いでセツナに向かって飛びかかってくるのも、想定内の出来事だ。
「セツナああああああああっ!」
ミリュウが絶叫しながら飛びついてくるのをだれも止めようともしなかったし、止められるわけがなかった。ミリュウは、ラヴァーソウルの能力を利用して加速していたからだ。
「……ちょっと、失敗したな」
セツナは、矢のように飛来するミリュウに対し、憮然とするほかなかった。わかりきった反応ではあったし、それを理解した上での合流ではあったのだが、それにしたって彼女のけたたましさたるや、突入組全員を合わせてその上をいくのだ。耳を塞ぎたくなるくらいだったが、そんなことをしている場合ではなかった。
左腕を掲げ、“闇撫”を発動する。巨大な闇の掌は、凄まじい速度で飛来したミリュウを優しく受け止めると、セツナの目の前に彼女を下ろした。すると、ミリュウは、透かさずセツナに飛びついてくる。
「なにがよおおおおおっ!?」
「うるさいのを呼んでしまった」
「酷い!」
危うく激突しそうになりかけておきながら、これだ。
セツナは、頭を抱えたくなりながら、突入組のほかの面々を見回した。ファリアやエリルアルムがなんともいえない顔をする中、レム、エリナ、シーラ辺りが急ぎ足で駆け寄ってくる。
突入組の面々とはいうが、エインとマユリ神だけはいない。二名は未だ戦闘中なのだ。神将ナルフォルンとの対峙しているだけではあるし、その空間に干渉することも可能だが、命に危機が及んでいないことから放って置いている。
そうなのだ。
セツナには、ナルンニルノル内の各所の様子が手に取るようにわかっていた。それも、終極態の力といっていいだろう。魔王の目はすべてを見通し、魔王の耳はすべてを聞き届ける。ナルンニルノルの外の様子もわかっている。
異形の獅子と化したナルンニルノルが暴れ回り、結晶の大地のみならず、世界全土に悪影響を及ぼし始めていることも、だ。
急がなければならない。
「せっかくこうして運命の再会を果たしたっていうのに、なんなのよ、その言い様!」
「運命の再会ってなんだよ」
「そのまんまの意味じゃない!」
ミリュウが信じられないものでも見るような顔でこちらを見てきた。
「敵の本拠地に突入した瞬間引き裂かれた相思相愛運命のふたり! しかーし! ふたりの愛の力の前には、いかな敵の工作計略神算鬼謀も意味はなかったのでした! って、話だったでしょ」
「そう……だったかな……」
ありもしない妄想を断言するミリュウがあまりにも自信満々だったので、セツナは、返答に窮した。
「以前にも増してにぎやかになったね、君のところは」
「……そうだろう。にぎやかすぎて困るくらいだ」
セツナとしては本当に困っているのだが、本心がクオンに伝わったのかどうかはわからなかった。
「にぎやかさに困るのはわかるけれど、これはいったいどういうことなのか、説明してもらえるかしら?」
「敵……ですよね?」
「そうだな。時間があまりないから、端的にな」
歩み寄ってきたファリアとルウファたちの疑問はもっともだった。
呼び寄せるなり躊躇なく飛びかかってきたミリュウの反応を見るに、セツナとクオンの戦いの内容や結果については知っているはずだが、なぜ、このような形に収まったのかについてはわかっていないのだろう。エスクやウルクがクオンに対し警戒しているのも理解できるし、当たり前といっていい。
ミリュウのように無警戒に抱きついてくるほうがどうかしている。
「こいつは、味方だ」
セツナは、クオンを示して、告げた。
「味方?」
「いや、でも、獅徒の長じゃあ……」
「さっきまではな。いまは、トワの使徒なんだよ」
「トワちゃんの使徒……!?」
「どういうことなのよ!?」
「ほう」
「そういえば、トワちゃんって神様だったね」
「なるほど」
「しかし、なんでまた。そんなことに?」
「獅子神皇を斃すためだ」
突入組の面々が様々な反応を見せる中、セツナは、淡々と答えた。
「それだけだよ。それ以外にはない」
昔なじみだとか、友達だったからだとか、そういった感傷は一切関係がなかった。極めて打算的かつ合理的な判断からの結論であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
「俺たちだけじゃあ不安ってことですかい」
「ああ」
「あらら」
「……まあ、確かにわたしたちは消耗し尽くしているものね。戦力不足は否めない……か」
「そこは、隊長おひとりに頑張っていただいて、ですね」
「その結果、世界が滅びても構わないってのか?」
「それは……」
返答に窮したルウファだったが、無論、彼が本心でセツナひとりの働きに期待していたわけではないことはわかっている。突入組全員の力を合わせて戦えばどうにかなるのではないか、というのが、この突入作戦の要であり、勝算だったのだ。
その勝算が極めて薄いものであるということを改めて認識できたのは、ヴィシュタルとの死闘のおかげだった。
獅子神皇の使徒――つまり、獅子神皇より力を授けられた存在であるヴィシュタルさえも圧倒できず、苦戦を強いられる程度のものが、獅子神皇と戦い、勝利を収められる可能性など、万にひとつもあるものだろうか。
セツナは、ヴィシュタルとの激闘の最中、そう思い知ったのだ。
「俺たちは失敗するわけにはいかないんだ」
だから、ヴィシュタルを滅ぼさなかった。
「獅子神皇は、絶対に斃し、この戦いを終わらせなくてはならない。そのために手段を選んでいる余裕なんてないんだよ」
獅子神皇を討ち果たし、この不毛極まりない戦いを終結させるために打てる手を打つべきだった。たとえそれがいまのいままで生死を賭けた決闘を行っていた相手に協力を要請するようなことであっても、だ。それで少しでも光明が見えてくるというのであれば、なにを迷うことがあるのだろう。
セツナは、クオンを味方に引き入れることに一切の躊躇がなかった。彼とシールドオブメサイアの能力は、死闘を演じたセツナが一番良く理解している。クオンが味方に加われば、それだけでこちらの戦力は大幅に増強されるのだ。
だから、彼を味方に引き入れる方法を考えた。
それが、獅子神皇との繋がりを断ち、トワの使徒とするという方法だった。これも一か八かではあったが、運良く上手くいった。奇跡といってもいい。
そのようなことを説明すると、ルウファたちも納得してくれたようだった。
「ま、隊長のいうことに異論はないですよ、俺は」
「わたしもよ。この期に及んで獅子神皇討滅に失敗しました、なんて、最悪だもの」
「御主人様の決定なれば、わたくしめには反対しようもございませぬ。そうでしょう、ラグナ、ウルク」
「うむ、先輩のいうとおりじゃ」
「はい、先輩」
「そうだな……獅子神皇を討つためだもんな」
「だったら、獅徒全員を味方に引き入れればよかったのでは?」
「そんなことができてたらとっくにしているさ」
とはいったものの、エスクの意見ももっともではあった。
獅徒全員を味方に引き入れることができたのであれば、獅子神皇との戦いは、より有利に進めることができただろうことは想像に難くない。
しかし、クオンと獅子神皇の繋がりを断つ方法を思いつき、実行に移せたのだって土壇場だったのだ。エスクたちが獅徒と戦っている最中には思いつきもしなかったし、たとえ、思いついたとしても、実行することはできなかっただろう。
すべては、獅徒ヴィシュタルとの死闘の中で開花したのだ。




