第三千五百六十六話 大いなる矛盾の果て(三)
「俺は、いま、ようやくこの力がなんなのか、わかったんだ」
セツナは、黒き矛に視線を落とした。破壊的といっていいくらいに禍々しく、真っ黒な矛は、魔王の杖の異名に相応しいだけの魔力を内包し、溢れさせてさえいる。彼としては、セツナの判断や選択に多大なる不満を抱いているようだが、こればかりは我慢してもらうしかない。
獅徒ヴィシュタルは、トワの使徒クオンへと生まれ変わったのだ。
もちろん、だからといってクオンが神理の鏡の使い手であり、百万世界の魔の敵であることに違いはないのだが、そこだけはどうしようもない。
クオンが神理の鏡の護持者なればこそ、セツナは、このような結論に至ったのだ。
「正しく理解した、はずだ」
断言は、できない。
なにが本当に正しいのかなど、現時点ではわからないのだ。セツナは、神ではない。いや、神ですら、未来を見通す目を持っているわけではないのだ。だれにも、どのような行動、どのような選択が、百万世界の未来にとって最良最善のものとなるのか、断定できるはずもない。
ただひとついえることは、だ。
この魔王の杖の力だけでは、獅子神皇を斃すのは極めて困難だということだ。
元より、セツナと黒き矛だけで獅子神皇を打倒できるなどという傲慢な考えは持っていなかった。だからこその突入組であり、仲間たちなのだ。皆と力を合わせることこそ、唯一の勝機だと想っていた。しかし、それですら、勝機と呼べるのかどうか。
獅徒ヴィシュタルとの戦いを経て、考えを改めたのだ。
彼がシールドオブメサイアの使い手であり、神理の鏡の護持者であることを踏まえたとしても、獅子神皇を斃すにはもっと大きな力がいるのは間違いない。獅子神皇がさらなる強敵であることは疑いようもない事実なのだ。聖皇の力の後継者であり、百万世界の神々の王たる獅子神皇の力は、神理の鏡のそれを遙かに上回る。だからこそ、ヴィシュタルは、敵として立ちはだかった。
獅徒とともに。
「それもこれもおまえのおかげだ」
万感の想いをこめて、告げる。
「買いかぶりすぎだよ、セツナ」
クオンが苦笑する。
「ぼくがいったいなにをしたっていうんだい? 君が魔王の杖の力を完全に理解し、掌握し、制御できるようになったのは、君自身の不断の努力と修練、並外れた精神力の賜物なんだ。ぼくはただ、きっかけを与えたに過ぎない」
「そのきっかけが重要だって話だろ」
セツナは、やれやれと肩を竦めると、トワの肩に手で触れた。少女がこちらを振り返るのを認めながら、地上に降下する。魔王の杖と神理の鏡の度重なる激突によって、当初の犠聖の間の美しい風景は完全に損なわれており、祭壇も花の大地も跡形もなくなっていた。
そんな無味乾燥な大地に降り立って、ゆっくりと息を吐く。
「俺は、ここでおまえを斃すことに固執していた。おまえを一刻も早く斃し、獅子神皇の元に辿り着くことばかり考えていた。それが最良最善だと、勘違いしていた」
一刻一秒を争う戦いだと、想っていた。なにせ、ナルンニルノルの外では、連合軍とネア・ガンディア軍の戦いが続いており、ナルンニルノル内部では、セツナ以外の突入組の面々も個々に死闘を余儀なくされていたはずなのだ。となれば、一秒でも早くヴィシュタルを斃し、先に進むことだけを考えるのは、当然といえるだろう。
しかし、それはヴィシュタルという強敵の前にできなかった。
シールドオブメサイアこと神理の鏡の能力は、まさに魔王の杖カオスブリンガーの対極にあり、極めて強大な力を持っていたからだ。獅徒の長としての能力の高さに加え、神理の鏡の圧倒的な力だ。簡単に斃せる相手ではなかったし、セツナが今日までに獲得した力のすべてを注ぎ込んでも斃せる相手ではなかった。
成長が必要だった。
いや、進化というべきか。
さらなる力、もっと強大な力を必要とした。
「だが、違った」
セツナは、静かに続ける。
いま、セツナの身の内には、莫大な力が流れ込んできている。黒き矛とその六眷属の力だ。それは、まさに魔王と腹心たちの魔力であり、その凶悪極まりない力の掌握と制御こそ、セツナがヴィシュタルとの戦いの中で得たものだった。それは、いままでの力とは一線を画するものであり、比較にならないものであり、次元が違うといっても過言ではないものだ。
隔絶された別空間にいたはずのトワを一瞬で呼び寄せたのも、その力の一部だ。
魔王の力。
万物に干渉し得る力。時間も空間も次元も関係なく、あらゆる事象に変化をもたらす能力。すべてを破壊する力。
「クオン。おまえがいたからだ。おまえがいて、おまえが全身全霊で立ちはだかってくれたからこそ、俺は、この境地へと至ることができたんだ」
完全武装、深化融合のさらなる先へ。
終極態。
それもこれも、ヴィシュタルとシールドオブメサイアのおかげだった。彼ほどの強敵がいなければ、彼ほどの強敵が立ちはだかってくれなければ、セツナは、ついぞ、終極態へと至ることはできなかっただろう。そして、そんな状態で獅子神皇に戦いを挑めば、どうなっていたことか。考えるまでもない。
「感謝している」
「……そこまでわかって、どうしてぼくを生かすんだい?」
クオンは、セツナの考えを否定しなかった。代わりに疑問を浮かべてくる。
「君は、終極に至った。魔王の力の究極へとね。いまや君は、百万世界の魔王そのものといっても過言ではない。神理の鏡の護持者たるぼくがいうんだ。間違いない」
「それはまた、心強いな」
とはいえ、まだ完全無欠とはいえない、と、セツナ自身は想っていた。終極態の力を完璧に制御できているかどうかといえば、断言できるものではない。終極態にこそ至ったが、それで終わりではないのだ。さらなる先へ、完全無欠の境地へと至らなければならない。力の使い方を少しでも間違えれば、それだけで周囲に多大な被害をもたらしかねないのだ。
それが魔王の力だ。
そしてそれは、ただの黒き矛の頃からなにも変わっていなかった。
魔王の杖という異名を知る以前から黒き矛の扱いには注意しなければならなかった。強大すぎる力を持った召喚武装は、使い方を間違えれば最後、自分の周囲のひとびとさえも傷つけかねない。故に制御は完璧でなければならず、生半可な覚悟で振り回していいものではなかった。
「その力ならば、獅子神皇を討ち果たすことも――」
「可能かどうかは、わからないだろう」
セツナは、クオンの意見を否定した。
「おまえがここで立ちはだかったのは、ひとつは獅子神皇の命令があったからだが、もうひとつは俺がこの力を完璧に使いこなせるかどうかを試すためだ。そうだな?」
「そうだね」
「そして、使いこなせると判断した暁には、俺の手で滅ぼされるつもりだった」
「……そうだね」
「だから、俺を散々煽り、挑発し、力不足を嘲笑った」
「そうだとも」
「おかげで俺はこの通り、力を得た」
セツナが矛を振り翳すと、周囲の空間が激しく揺らぎ、穴が空いた。




