第三千五百六十三話 大いなる矛盾
神皇の座は、静寂に包まれている。
玉座に在る獅子神皇と、その大いなる力によって磔にされたアズマリアだけが存在する空間には、両者の観戦を邪魔するものがいないからであり、両者が観戦に集中しているからでもあった。
アズマリアは、上半身だけを磔にされている。胴体を真っ二つにされたからだ。そして、なにもない空中に縛り付けられ、身動ぎひとつできなくなっていた。獅子神皇の圧倒的な神威の前には、五百年以上生き長らえただけの化け物の力など、なんの意味もないのだ。
抗う術はなく、立ち向かう方法もない。
武装召喚術は使っている。ゲートオブヴァーミリオンの能力を最大限に発揮しているのだ。だからこそ、さらに召喚武装を呼び出し、力を割くような真似はしたくなかった。
それに、そんなことをしても、無意味だ。
アズマリアの力では、獅子神皇を討つことはできない。
ゲートオブヴァーミリオンの全能力を駆使したとしても、神々の王の力の前に敗れ去るだけのことだ。
だから、待っている。
目的を忘れてはならない。
目的を忘れ、感情に従って行動すれば、そのとき、この五百年の長きに渡る戦いのすべてを水泡に帰すことになるのだ。
それだけは、決してあってはならない。
なんのために生まれ、なんのために生き、そして、なんのために死ぬのか。
アズマリアは、心していた。
だから、獅子神皇が観戦に集中し始めたことにむしろ感謝したし、安堵した。
獅子神皇の大いなる力によって投影されたナルンニルノル各所の戦場、はたまたナルンニルノル外の景色は、いずれもが苛烈極まりない戦闘の光景だった。
突入組の面々は、ほとんどが獅徒、神将と一対一の戦闘を強いられていた。その時点で勝ち目は薄く想えたが、アズマリアとしては、全員が全員、勝つ必要はないと考えていたし、最悪、セツナだけでも生き残ってくれればそれだけで十分だった。
セツナさえ生き延び、勝ち残ってくれれば、いくらでも逆転の目はある。
なぜならば、セツナは、魔王の杖の護持者なのだ。
百万世界の魔王に選ばれた破壊の化身である彼さえいれば、あとはどうでもよかった。保険として三人の優秀な武装召喚師たちに試練を施したが、それが上手くいくかどうかはあの時点では不明だったのだ。セツナだけがこの反攻作戦の要なのだ。
だが、アズマリアの想像以上に突入組の面々は活躍し、だれもが勝利をもぎ取っていった。瀕死の重傷を負ったものもいたし、死んだも同然の状態で戦いを終えたものもいた。そんなものたちも、いまはどういうわけか全員が生き延びており、どこからどうみても奇跡が起きていた。
(奇跡……)
そうとしかいいようがない。
異世界での最終試練を終えた三人が獅徒とぶつかって勝ったというのであればまだしも、そうではなかった。ファリア、ルウファ、ミリュウの三人は、それぞれ、ネア・ガンディアの最高戦力たる神将と激突する羽目になり、だれもが命からがらの勝利を掴んでいる。
獅徒と激戦を繰り広げたものたちも、だ。
皆、勝利した。
残る戦場は、ふたつ。
ひとつは、エイン=ラナディース、マユリ神と、神将ナルフォルンの戦場。
こちらは、当初こそ戦術を競い合うような戦いを見せていたが、いまや他の戦場を観戦しているだけになっている。まるでアズマリアたちのように、だ。
もうひとつは、セツナ対獅徒ヴィシュタルの戦場。
こちらは、最初から苛烈極まりない戦いを繰り広げており、その激しさは時間とともに増しており、いまやアズマリアの目にもまったく追えないほどの速度による攻防となっていた。そして、その攻防は、もはや隔離領域内だけに留まるものではなくなっており、ナルンニルノルそのものに被害が及び始めていた。
さながら魔王の如きセツナと神の如きヴィシュタルが激突するたびに、神皇の座までもが揺れた。
「最強にして無双なる黒き矛と、最硬にして無敵なる白き盾」
獅子神皇は、セツナとヴィシュタルの死闘を食い入るように見つめていた。そして、セツナがその力を増せば増すほど、彼の表情には興奮とも嫉妬ともつかぬ複雑な感情が浮かび上がり始めていた。
それがなにを由来とする感情なのか、察することは出来る。
レオンガンドという個人を由来としているのだろう。
レオンガンド・レイ=ガンディア。獅子神皇の元となった人間のことだ。いまや獅子神皇と成り果て、変わり果てた存在の中にどれほどレオンガンドの人格や記憶、感情が残っているのかはわからない。もしかしたら、聖皇の力の器となったとき、なにもかもすべて取って代わられ、模倣しているだけなのではないか。そういう可能性も考えたが、セツナは獅子神皇の中にレオンガンドを感じたという。
そして、いまのこの反応、様子。
彼は、獅子神皇は、レオンガンド・レイ=ガンディアそのものなのかもしれない。
「まさに大いなる矛盾よな」
獅子神皇が、その矛盾の果てになにが待っているのか、興味津々とでもいいたげに、いった。
最強の矛と最硬の盾。
魔王の杖と神理の鏡。
相反する力。
両極の力。
いずれが勝ち、いずれが生き残るのか。
アズマリアには見守ることしか出来ないが、ひとつだけ、確かなことがあった。
(なんの心配もいらないさ)
セツナがいるのだ。
ならば、心配するだけ損だ。
「不十分だよ」
ヴィシュタルが冷笑する。
「現に、君の攻撃は、ぼくに掠り傷ひとつつけられていないじゃないか」
絢爛たる守護結界の中心で、神理の鏡を掲げるヴィシュタルの姿は、確かにまったくの無傷であり、敗れ去る気配など微塵たりともなかった。その様子からは余裕すら感じられる。それはそうだろう。どれだけ凶悪な攻撃を向けられても、傷ひとつ負わないのだ。
余裕の表情が陰ることすらない。
「それでぼくを斃し、滅ぼし、破壊する? つまらない冗談にしか聞こえないよ」
神理の鏡が輝くと、セツナの周囲の空間が砕け散った。そして、異次元から流れ込んでくる光の奔流。先程のセツナの攻撃を“反射”して見せたのだろう。反射とは名ばかりの再現。しかも、大幅に手を加えたそれは、禍々しい魔の力ではなく、煌々たる神の力だった。
セツナは、矛を振った。それだけで光の奔流は砕け散る。
「……もういいんだよ、そういうのは」
「なに?」
「俺を煽って、挑発して、嘲笑って……そうやって俺のやる気を奮い立たせようって魂胆だったんだろうが」
さらに矛の切っ先をヴィシュタルに向けると、その周囲に魔力の塊が無数に出現した。同時に炸裂し、時空が激しく振動するほどの力が拡散する。
「もう、終わりだ」
「終わり? ようやく始まったばかりだろう。君がようやく魔王の杖の力を理解し、やっとのことで操れるようになったばかりじゃないか。ここからだ。ここからが本番なんだよ」
「いいや、違う」
セツナは、頭を振り、時空の歪みの中でもまったくの無傷のヴィシュタルを見据えた。




