第三千五百六十二話 破壊を破壊
「鏡な」
神の影たるヴィシュタルの分身たちは、魔王の影と同じ数だけ存在していた。そしてそれらが魔王の影と同等の力を秘めていることも明らかだった。圧力を感じるし、神威も膨大だ。一体一体が並の神以上に強大な力を持っているのだ。
それはつまり、魔王の影たちもそれだけの力を持っているということではあるのだが。
「鏡……」
セツナが見ているうちに、神の影が一斉に動き出した。それぞれがサイスオブアズラエルを携え、魔王の影に向かっていく。魔王の影もまた、神の影に反応し、迎撃態勢を取っている。数多のサイスオブアズラエルが生み出す無数の断裂が、戦闘空域をでたらめに切り刻み、崩壊させていく光景は、圧倒的といっていい。
対する魔王の影たちは、エッジオブサーストの時間静止能力を発動させた。静止したのは断裂であり、そこにセツナが矛を叩き込むことで神の影の攻撃を無力化して見せた。
ヴィシュタルは、動かない。
空中に浮かんだまま、ただ、こちらを見ていた。
神理の鏡の能力を考えれば、そうするのがもっとも効率的かつ合理的な戦い方だろう。攻撃のみならず、攻撃手段をも“反射”できるのだ。みずから動く必要がない。
もちろん、鏡の能力を駆使するのは簡単なことではないのだろうし、そのために全神経を集中させていることは想像に難くない。
神理の鏡。
百万世界に響き渡るその名は、数多の魔属を恐れ戦かせ、魔王と眷属たちを憤怒の炎と憎悪の激情に包み込んでいた。
「っていうことは、だ」
セツナは、神の影たちがまたしても周辺空域に無数の断裂を走らせる様を認めながら、みずからの手にしているものを見つめた。
「これはなんだ?」
手に握っているのは、黒く禍々しい異形の矛だ。破壊的とさえ形容されるその形状は、異形が基本的な召喚武装の中でも取り立てておどろおどろしい見た目をしていた。見慣れぬものは、その姿を目にするだけで恐怖心に苛まれ、その夜悪夢を見るとまでいわれたことがあるくらいだ。それはなにも外見だけのせいではない。この矛が内包している莫大な魔王の力が、生きとし生けるものにとって忌避し、嫌悪するべきものであり、矛から漏れている気配に触れただけで魂が震えてしまうからだ。
それが、この矛だ。
「黒き矛」
そう、セツナが呼称するようになったのは、見た目からだ。どれだけ禍々しくとも、真っ黒な矛は真っ黒な矛であり、そうとしかいいようがなかったからだ。
「カオスブリンガー」
つぎに、そう命名した。
召喚武装に名をつけることは、武装召喚師にとって必要不可欠な儀式であり、召喚武装と武装召喚師の絆を深め、より多くの力を引き出し、高めるためのものだった。武装召喚師でもないセツナには、まったく想像もつかなかったし、理解も及ばなかったことではあったが、優秀な武装召喚師が周りにいてくれたおかげもあり、命名儀式を行うことができたのだ。
そして、それによって、セツナは確かに黒き矛カオスブリンガーの力をより多く引き出せるようになったのは間違いなかった。
しかし、だ。
「そうだ……魔王の杖」
神理の鏡と同じように、百万世界に響き渡り、数多の神々、幾多の生命に恐れられ、忌み嫌われた本性が、それだ。
「これは矛じゃない。杖なんだ」
セツナは、カオスブリンガーの柄を強く握り締め、穂先を頭上に翳した。黒き矛を呼称し、カオスブリンガーと命名したそれは、一見すれば矛だった。矛にしては装飾過多だが、召喚武装の多くがそうであり、なんら不思議ではなかった。だから、矛と認識したのだし、だれも異を唱えなかった。
神を除いては。
最初、そう呼んだのはマユラ神だった。
異世界から召喚された神によってそう呼称されるようになってもなお、セツナは、これを矛だと思っていたし、疑う余地などなかった。どれだけ神々にそう呼ばれても、忌避され、嫌悪されようとも、敵意や殺意を抱かれようとも、認識を変えることなどなかった。
魔王の杖とは、いわば黒き矛のような異名でしかない――そう、考えていた。
だが、いまならば、わかる。
それは一側面でしかないのだ、と。
魔王の杖が異名だというのも事実だ。だが、同時に、魔王の杖がカオスブリンガーの本質を示す言葉であることも事実なのだ。
矛として扱うことも出来る杖に過ぎない。
「魔王の力を顕現するための杖なんだよ」
セツナは、そう告げながら、またしても時間静止によって凍り付いた断裂をカオスブリンガーの切っ先で打ち砕いた。すべての断裂が同時に消滅すると、今度は、魔王の影たちが打って出た。一斉に全速力で神の影に襲いかかり、神の影の胸元に矛を突き立てる。
だが、そのとき、神の影たちの手には、サイスオブアズラエルではなく、ロッドオブアリエルが握られていた。すべてのロッドオブアリエルが閃光を発すると、魔王の影たちの胸元にも神の影たちの胸元に穿たれた穴が生まれる。
神の影も魔王の影も同時に爆散し、消滅すると、戦場にはセツナとヴィシュタルのみが残された。
「……いまさらそんなことを確認して、どうなるというんだい?」
ヴィシュタルが訝しむでもなく、あきれたようにいってくることは、わかりきっていた。ヴィシュタルは完全無欠の護りの布陣を敷いている。神理の鏡による反射の盾。それを打ち破るのは、魔王の力を以てしても簡単なことではない。
が。
「こうなる」
セツナは、カオスブリンガーをおもむろに掲げると、ヴィシュタルに向けた。魔力を放つ。すると、ただそれだけでヴィシュタルの周囲の空間が歪み、砕け散った。虚空に穿たれた無数の穴は、まさに異次元との出入り口であり、そこから莫大な魔力が流れ込んでくる。
「……なるほど」
ヴィシュタルは、周囲を見て、一瞬で理解したようだった。
異次元から押し寄せる魔力の奔流は、混沌の波動となってヴィシュタルを包み込んでいく。無論、守護結界ごと、だ。
「凄まじいね。まったく」
莫大極まりない魔力の渦の中で、しかし、ヴィシュタルは動揺ひとつ見せない。
「でも、同じことだ。鏡を破れなければ、意味がないよ」
ヴィシュタルが盾の能力を使ったのだろう。守護結界に食らいついていた混沌の波動が、離れ始めた。まるで潮が引いていくように。そして、セツナに襲いかかってくる。
神理の鏡のそれは、ただの反射能力ではない。反射した力を思いのままに操ることができるのだ。
「いっただろう」
怒濤となって押し寄せる破壊の力を前にして、セツナは微動だにしなかった。カオスブリンガーは翳したままだ。そして、そのまま力を放つ。
「破壊する」
「それだけしかいえないのかい?」
「十分だろう」
そういったときには、破壊の奔流はばらばらに砕け散っていた。
「それだけでな」
破壊する。
破壊も、破壊する。
ただ、破壊するだけだ。
それがいまのセツナにできることだ。




