第三千五百六十話 破壊
セツナが左腕を振り上げる直前、ヴィシュタルはランスオブカマエルの能力を発動させていた。穂先がまばゆい光を放ったかと思えば、無数の光の槍が形成され、それらが一斉にセツナに向かって飛来してきたのだ。しかし、セツナが左腕を振り上げたのは、その対処のためではない。
殺到する光の槍の後方、ヴィシュタルの背後の空間がひしゃげ、割れた。暗黒の異空間がその異様な光景を覗かせる。ヴィシュタルが振り返ったときには、異空間から出現した巨大な闇の手が彼を握り締めていた。“闇撫”をさらに異形化させたようなそれは、まさに“闇撫”の進化形といってよかった。“真・闇撫”とでもいうべきかもしれない。
一方、セツナに殺到した光の槍の数々は、黒き矛の一閃で大半が消し飛んだあと、空振りの蹴り二発で完全に消滅した。蹴りによってアックスオブアンビションの能力が発動したからだ。アックスオブアンビションの能力による自壊の連鎖もまた、より凶悪になっているはずだ。だから、光の槍だけが自壊していったのだ。光の槍以外にはなんら影響はなかった。
「こんなものでぼくを斃せるとでも?」
ヴィシュタルは、巨大な闇の手に掴まれたまま、平然とした顔をしていた。当然だろう。“真・闇撫”がヴィシュタルの体を掴んだあと、セツナはそのまま彼を握り潰そうと力を込めたのだが、ヴィシュタルの肉体を押し潰すこともままならなかったのだ。
シールドオブメサイアがヴィシュタルを護り、その防御障壁が“真・闇撫”を押し返している。
「それはこっちの台詞だぜ」
セツナは、翼と翅を広げて告げた。
「あんなもんじゃ俺は斃せねえよ」
翼から無数の羽が弾丸のように撃ち出されると、それらはヴィシュタルへと軌道を変え、殺到する。ヴィシュタルは、迫り来るそれらを見てもなお表情ひとつ変えない。防御障壁の範囲を広げることで“真・闇撫”からの脱出を試みているだけだった。
ヴィシュタルには余裕がある。
絶対無敵の盾を持っているからこその、余裕。自分が攻撃を受けることなどありえないと確信しているのだ。実際、これまでヴィシュタルには傷ひとつつけられなかった。右腕を切り裂いたが、あれはヴィシュタルの策であり、まんまと嵌まってしまった結果、セツナは右腕を切り取られてしまった。
ヴィシュタルが冷静さを保っていられるのも当たり前の話だ。
(だからこそだ)
セツナは、エッジオブサーストの羽弾がヴィシュタルを全周囲から襲いかかる様を見つめていた。漆黒の羽がまさに弾丸そのものとなってヴィシュタルに殺到する。その際に生じていた膨大な力が空間を歪ませ、空中に亀裂を走らせる。エッジオブサーストとメイルオブドーターの能力が組み合わさって、極めて凶悪な破壊力を帯びたのだ。
「そうだね。でも、だからどうしたというんだい? こんなものでは、ぼくには届かない。届きようがないんだよ」
ヴィシュタルが盾を掲げる。真円を描く純白の盾。その形状に変化が生じた。一回り大きくなったかと思えば、盾の表面に走った光が三重の同心円を描き、その軌跡をなぞるようにして展開する。中心円の部分だけで元の大きさはあるだろうが、円環状に展開した部分によって、シールドオブメサイアはより巨大化したように感じられた。
そして、シールドオブメサイアがより強い光を放つ。
いまのいままで目に見えなかった防御障壁が顕在化するとともに、そのまばゆいばかりの光の壁は、ヴィシュタルの全周囲から殺到する羽弾の尽くを受け止め、弾き返した。より強固な盾でもってヴィシュタルの身を守ったのではない。跳ね返したのだ。それも、ただ跳ね返したわけではなかった。
弾き返された羽弾は、まるで先程まで見ていた映像を逆再生したかのようにまったく同じ軌道を描き、セツナの元へと戻ってきたのだ。殺意もそのまま、跳ね返されている。
「なるほど」
セツナは、時間静止によってすべての羽弾の時間を止めると、右手前で動きを止めた羽弾に矛を叩きつけた。すると、凍り付いたように動きを止めていたすべての物体が同時に砕け散る。
エッジオブサーストの時間静止能力は、問答無用で世界の時間を止めてしまう凶悪極まりない能力だが、同時にそれだけの能力といっても過言ではなかった。能力による時間静止中、動けるのは自分だけであり、影響下にある物体に干渉することはできなかったのだ。つまり、時間を止めて、一方的に攻撃する、などという使い方はできなかった。
だが、セツナは、時間静止によって動きを止めたすべての物体を同時に破壊した。
岩塊の破片、竜巻、光線、羽弾、魔力――セツナたちの周囲で動きを止めたままのすべてが一瞬にして砕け散ったのだ。完璧に、完全無欠に、跡形もなく消滅した。
それこそ、魔王の力だ。
時間静止能力の拡大は、時間静止対象を任意に選択できるようになっただけでなく、時間静止の影響下にある対象への干渉すらも可能とした。
静止した時間への干渉による、破壊。
「神理の鏡か」
セツナは、シールドオブメサイアの中心円が常になく輝いている様を認めた。ただただ真っ白な盾という印象しかなかったシールドオブメサイアだが、いまは、その中心円が鏡のように周囲の光景を投影していることがわかったのだ。
神理の鏡。
ヴィシュタルは、そういった。
魔王の杖に相対する存在たる、神理の鏡。
比喩でもなんでもなく、鏡だったのだ。
それも、文字通り受け止めた能力を反射する魔法の鏡だ。
それこそがシールドオブメサイアの能力であり、真価だというのであれば、ヴィシュタルの護りはさらに堅牢になったどころではない。攻撃性も狂暴化したといっていいだろう。
受けた攻撃をそのまま返すのだ。
つまり、セツナがシールドオブメサイアの護りを突破するべく、力を込めれば込めるほど、返ってくる攻撃も凶悪化するということなのだ。
まさに究極の攻防一体とでもいうべきではないだろうか。
黒き矛の力を以てしても容易く破壊することのできない鉄壁の防御力に加え、それをまっすぐ反射する力を得たのだ。突破するのは、簡単なことではない。
「確かに鏡だな。だが、そんなものは、もうどうでもいいことだ」
「随分と、威勢はいいようだけど……この状況、どうするんだい」
ヴィシュタルは、シールドオブメサイアの生み出す防御障壁――守護結界の中で、冷淡ささえ感じさせるほどのまなざしをこちらに投げてきていた。彼には余裕がある。自負があり、確信も持っている。シールドオブメサイアの護りを突破することなどできるわけがないと、信じているのだ。
「どうもこうもないさ」
しかし、それはセツナとて同じことだ。
「俺が破壊すると決めた」
カオスブリンガーを信じている。
「空間も時間も次元も存在もなにもかも」
百万世界の魔王とその眷属たちの力を信じている。
「破壊して破壊して破壊して、破壊し尽くしてやる」
故に、破壊する。




