第三千五百五十九話 魔王の力
「まあ、そうだな」
セツナは、吹き飛ばされている最中、飛散する岩塊を“闇撫”で掴んだ。自身は翼の羽撃きによって空中で態勢を整えている。そして、掴み取った岩塊に魔力を込めると、ヴィシュタルに向かって投げつけた。
「それは否定しねえよ」
むしろ、肯定以外のしようがない。
体力の差、精神力の差、生命力の差は如何ともしがたいものだ。
ヴィシュタルは獅徒であり、セツナは人間なのだ。
いくら魔王の杖とその眷属の力を最大限に引き出したのだとしても、消耗した体力は回復しないし、精神力も失われ続ける。“核”が有る限り肉体をばらばらにされても即座に復活する獅徒とは違い、そんな目に遭えば即死するのが人間であり、それは、現状のセツナでもどうにかできるものではない。
右腕は切断されたままであり、強引に使っているに過ぎない。
ヴィシュタルが護りを固め、防御に専念した場合、先に力尽きるのはこちらのほうだ。
持久戦は圧倒的に不利。
そして、矛と盾だ。
攻撃に特化した矛と、防御に特化した盾。
シールドオブメサイアの絶対無敵の防御を打ち破るには、一瞬でもカオスブリンガーの破壊力が上回らなければならず、そして、その一瞬で決着をつけなくてはならない。
これまで、それができていないから、ここまで戦いが長引いている。
「じゃあ、どうする?」
ヴィシュタルは、いつの間にか復活させていた光輪から無数の光線を撃ち出すと、迫り来る岩塊を打ち砕いた。すると、ばらばらになった岩塊から飛び出した魔力の塊が、赤黒い矢となってヴィシュタルに襲いかかった。かと思いきや、それら魔力の矢も尽く光線に撃ち落とされ、ヴィシュタルには手傷ひとつ負わせられなかった。
逆に、光線の雨霰に襲われ、セツナは護りを固めるか、逃げ回らなければならなくなった。が、それはいままでのセツナだ。魔王の力を制御することが精一杯で、その使い方を理解してもいなかったころのセツナなのだ。
いまは、違う。
「破壊する。それだけだ」
告げるのと同時だった。
セツナは、頭上で二枚の翼を重ね合わせることで時間を止めた。ただし、止めたのは、迫り来る光線の時間だけだ。無数の光線、その時間だけを止めたのだ。世界は動いている。風は流れ、時間も流れている。ヴィシュタルが眉根を寄せたのは、一瞬。
「無敵の盾を、かい?」
「そういっている。聞こえなかったか?」
「いまのいままで破壊できていなかったのに、よくいうものだと感心するね」
「ここからだ」
「ここから?」
ヴィシュタルが右手を頭上に掲げると、手の先の空間が歪み、長大な鎌が出現した。サイスオブアズラエル。その形状は、召喚武装の例に漏れず異形ではあったが、美しい装飾の数々から神々しささえ感じられた。レムの死神の大鎌とは大違いだ。しかし、死神の大鎌以上に殺戮に向いている能力なのは、皮肉というべきか、どうか。
ヴィシュタルが無造作に鎌を振り下ろせば、その直線上の虚空が真っ二つに切り裂かれていく。長大な射程は、もはや長柄武器といっていいようなものではないが、そんなものは召喚武装全般にいえることだ。ランスオブデザイアだってアックスオブアンビションだって、それぞれの武器の範疇に収まる能力ではない。
空間をも引き裂く断裂。触れれば真っ二つにされかねないそれを見切って飛び回ることは、決して難しいことではない。実際、さっきはそうして避けまくったのだ。が、それだけではどうしようもないから、ランスオブデザイアに頼った。
今回は、セツナは、ランスオブデザイアにすら頼らなかった。
迫り来る断裂に向かって、カオスブリンガーを振り抜く。眼前に黒い剣閃が奔ったかと思えば、サイスオブアズラエルの断裂を打ち砕いた。
射線上の存在を問答無用で切り裂くのがサイスオブアズラエルならば、対象を問答無用に破壊するのがカオスブリンガーなのだ。
(ああ、そうだ)
セツナは、確信を以て、矛の柄を握り締めた。再びヴィシュタルが鎌を振り回し、空間に断裂を走らせてくるが、もはやセツナと黒き矛の敵ではなかった。矛を振り、斬撃を飛ばせば、それで終わる。黒い剣閃が断裂を粉砕してしまうからだ。
「ようやく力の使い方がわかってきたんだ」
「……少しは魔王に近づけた、と?」
「ああ。認めよう」
セツナは、ヴィシュタルが鎌を掻き消し、代わりに槍を出現させるのを見ていた。ランスオブカマエル。破壊の王子だったか。破壊には破壊を、とでもいうつもりなのかもしれないが、セツナにはもはやどうでもいいことだった。
「俺はいまのいままでこの力をまったく使いこなせていなかった。魔王の力を」
いや、それだけじゃない。
眷属たちの力もそうだ。
ランスオブデザイアも、アックスオブアンビションも、エッジオブサーストも――六眷属すべてが全力を発揮できていなかったのだ。
確かに、完全なる深化融合を果たした。完全武装のさらなる先であり、魔王の杖と六眷属同時併用の究極形態ともいえる状態へと至ることはできた。だが、その結果、膨れ上がった力の莫大さにセツナの力量が追いつけなくなってしまったのだろう。
元々、武装召喚師ではなく、特異体質が故に召喚武装を呼び出すことができただけの人間だったのだ。身体能力も常人に過ぎず、精神力も平凡極まりなかった。それが幾多の戦い、鍛錬、修行を経たことでようやく一線級の武装召喚師と並び立てるようになったのだ。
だが、それだけでは足りなかった。
黒き矛の、魔王の杖の真価を発揮するには足りなさすぎたのだ。
だから、破れた。
シールドオブメサイアの前に敗北を喫し、黒き矛が折れるという失態を演じてしまった。
挙げ句、心まで折られた。
精神的に追い詰められていたこともあるが、カオスブリンガーに頼りすぎていたからというのもあるだろう。
結局は、己の力不足が原因だったのだが。
だからこそ、地獄に堕ちた。地獄に逃げ、そこで修行の日々を送った。もう二度と負けないように。もう二度と矛を折られ、心を折られることのないように。死に物狂いで力を蓄え、技を磨き、心を鍛えた。
それでも不完全だったことは、これまでの幾多の戦いからも明らかだ。
完璧には程遠く、発揮する力も余裕で制御できる程度のものだった。
それでは苦戦を強いられるのも無理はなかったし、神々を圧倒するには力不足にもなるだろう。それがセツナの限界だったのだから。
しかし、いまは違う。
完全武装は深化融合を果たしただけでなく、その究極へと至った。カオスブリンガーもその眷属たちも、全力を発揮し、セツナにすべてを預けている。身も心も委ねるかのように、だ。故にこそ、力に振り回されていたのだが、それも終わった。
魔王の力が体の隅々まで、心の隅々まで完璧に行き渡り、順応したのだ。
「ここからだ」
セツナは、静かに告げ、左腕を振り上げた。




