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第三百五十五話 矛と盾(五)

「先制打を叩き込みたがったのはだれだよ」

 黒き竜を見やりながら、セツナは口を尖らせた。

「そのほうが気分がいいじゃないか」

「気分の問題かよ」

「そういうものさ」

「ちぇっ、俺だけが損した気分だぜ」

 悪態をつきながら、左太腿を一瞥する。切り口は浅い。当然だ。本気で自分の足を犠牲にするつもりで切ったわけではない。

 本物と複製物、二本の黒き矛を手にしたときに試したことを、またやったのだ。前回は二本の黒き矛があったから成功したものだと思っていたのだが、どうやら、黒き矛一本でもこれくらいのことはできるようだった。

 ただし、転移可能な距離は、矛二本のときよりも短いだろうし、今回はたまたま上手くいっただけかもしれない。

(過信してはいけない、な)

 セツナは自分を戒めるようにつぶやくと、黒き竜の複眼がこちらを睨んでいることに気づいた。そして、複眼のひとつが切り裂かれていることを確認する。セツナが先制の一撃で破壊した目を復元することはできなかったのかもしれない。

「無駄じゃあなかったな」

「なあんだ、つまらない」

「おまえは俺の味方なのか敵なのか、どっちなんだよ」

「うーん、どちらかというと、傍観者、かな」

「そうかよ」

 セツナは、減らず口を叩くクオンから飛び離れた。実際、クオンの立場は、彼のいったとおりかもしれない。

 ドラゴンの攻撃には用心しなくてはならなかった。黒き矛を模倣したということは、黒き矛と同じ能力を使えるかもしれないということなのだ。ファリアのオーロラストームを模倣したドラゴンは、オーロラストームそのままに雷撃を放っている。

(雷光の反射、炎の吸収、発散、光の放出、血による空間転移……あとはなんだ? なんかあったっけ……)

 記憶を探りながら、セツナは周囲を見回し状況を確認した。戦場は、広い。ヴリディア砦の跡地とその周辺の開けた土地が、そのままドラゴンとの戦いの場となっている。

 そして、その土地は徹底的といっていいほどに破壊されていた。地面には大小無数の穴が穿たれ、幾筋もの亀裂が縦横無尽に走っており、戦場を囲む数多の木々も薙ぎ倒されていた。とてつもない災害の爪痕のようだった。

 ドラゴンとクオンたちとの戦闘が、いかに激しかったのかがわかろうというものだ。

 ドラゴンは、クオンの盾を模倣する前、彼の仲間の武装召喚師が使用した召喚武装を模倣し、破壊を振り撒いたのだという。その破壊による被害は大地と森だけに及んでいるのだが、もし、その場にクオンがいなければ、偵察部隊がどうなっていたのかは想像に難くない。

 たとえ、偵察部隊に武装召喚師が参加していなくとも、壊滅は免れなかっただろう。実際、北進軍の偵察部隊はカイン=ヴィーヴルとウルを残して全滅したのだ。

 それだけ凶悪な存在だというのは、その巨大さを見れば瞬時に理解できたはずだ。しかし、龍府の制圧こそが最優先目標であるガンディア軍にしてみれば、ドラゴン如きに尻込みしているわけにもいかなかった。結果、北進軍は戦力のみならず、軍団長を失うという失態を演じてしまったのだが、西進軍も同じ過ちを犯すところだった。

 セツナは柄を強く握っている自分に気づき、息を吐いた。死にかけたのはセツナだ。危うく、命を落とすところだった。おかげで黒き矛がドラゴンに通用するということはわかったものの、死んでしまっては意味がない。

(慎重に)

 セツナは、呼吸を整えながら、ドラゴンを仰いだ。左太腿はまだ疼いているが、無視できる程度の痛みだ。どうせ、こちらは無敵の防壁に護られている。いくら無茶をしても構わないという保証がある。

(冷静に)

 黒き竜は、無数の目でセツナを見ていた。闇に輝く真紅の宝石のような複眼は、いかにも黒き矛らしい禍々しさに満ちている。セツナだけを注視しているわけではあるまい。武装召喚師がただひとりの敵だけに意識を向けることが少ないように、ドラゴンもまた全周囲に注意を張り巡らせているに違いなかった。

 召喚武装を手にした武装召喚師が常人とはかけ離れた感覚を持つ以上に、ドラゴンの五感は発達しているか強化されていると考えておくべきだろう。質量が違うということは、それだけ大きな力を持っているはずだ。単純だが、間違いはないだろう。

 最初の一撃が決まったのは、ドラゴンの意識外からの攻撃だったからだ。空間転移など、予測できるはずがない。成功するかどうかさえわからなかったことなのだ。

 上空の竜が、翼を大きく広げた。外皮にうねっていた闇が霧のように散らばる。まるで闇の衣を纏ったかのように見えたが、どうやらそれが目的ではなかったらしい。両腕を伸ばし、胸の前に掲げる。

 竜の全身が痙攣したかのように見えたつぎの瞬間、全身を覆う闇の中から光が生じた。光は全身を伝って両腕の先へ収束していく。両手の間に収束した光は、あっという間に巨大な光球となり、闇の竜を白く染めた。

「気をつけてー」

「どう気をつけるってんだ?」

 緊張感のないクオンの声援に、セツナは顔をしかめた。足を止め、矛を構えてはみる。しかし、上空からの攻撃には対応のしようがなかった。竜の手の間で、光球の膨張は止まっている。竜の胴体ほどの大きさだろうか。つまり、直径百メートル程度はあるとみていい。

 威力はわからないし、そもそも、どういった性質の攻撃なのか想像もつかない。黒き矛の能力を模倣したのだとしても、あんな能力を使った記憶はなかった。

(俺の知らない能力、なんてことはない……よなあ?)

 セツナが首をひねろうとしたときだった。竜の手の中で、光球が急激に膨張した。視界がまばゆい純白に染め上げられたかと思うと、光が、降ってきた。

「うおっ」

 天から降り注いだ莫大な光の奔流は、大地に突き刺さると、セツナたちをも飲み込んでいった。



 青空の下、光の塔が聳え立った。

 中天に聳えるドラゴンの首が、まったく別の形状へと変態するのを目撃した直後のことだ。ドラゴンの変容は、セツナたちの攻撃が始まったことを示しているのだが、光の柱は、ドラゴンの持つ圧倒的な力の顕現にほかならなかった。

 天に刺さるかのように聳える光の塔。その後ろに漆黒の翼があり、黒き竜が滞空しているのがわかった。ドラゴンが、セツナたちを攻撃したに違いない。

 セツナ・ゼノン=カミヤとクオン=カミヤ。

 クオンについてはよく知らないが、凄腕の傭兵だという噂だけは聞いている。

 セツナは、ニーウェ=ディアブラスという名で認識していた。いまでもその名で呼んでしまうのだが、そのせいで無視されることはしばしばだった。偽名なのだ。忘れていて当然なのかもしれない。しかし、彼としては寂しいところでもあった。

 ニーウェ=ディアブラス、レクサス=バルザック、カイン=ヴィーヴルとの邂逅が、彼の運命を捻じ曲げてしまった。賊の一員として野垂れ死ぬという、ありきたりといえばありきたりな人生が、一変してしまった。

「あんなものと戦うなんて、俺なら正気を疑いますぜ」

 五方防護陣に出現したドラゴンとの戦闘に駆り出されたのが自分でなくてよかった、と、彼は心の底から思っていた。

「おまえは口が減らないな」

「そりゃ、それだけが俺の取り柄ですのでね。口を閉ざせと言われれば閉ざしますよ。でも、そう命令されていないのならいくらだって喋りますともさ」

 隣の人物に言い返しながら、少しばかり言い過ぎかもしれないとも思ったりしたのだが、それこそどうでもいいことではないか、とも思ったりした。

 隣を進むのはラクサス・ザナフ=バルガザールだ。王立親衛隊《獅子の牙》隊長であるラクサスは、彼の主だった。あの日、彼の前の主がラクサスたちを襲おうと画策しなければ、出会うこともなかったし、彼がこの場にいるということもなかっただろう。

 運命の不思議を思うし、人生とはなんなのかと考えなくもない。

 すべては巡り合わせだ。

 天や運命に見離されたような人生を送ってきた男が、いまでは王立親衛隊の一員になってしまっている。常識では考えられないし、妄想すらしないような立場や身分の変化には、意識もついていっていない。未だに彼の気分はならず者のままだ。

 いずれどこかで野垂れ死ぬのだ――そんなことばかりを考えている。

 そして、そのときがついにやってきた。彼は、このたび与えられた任務に、そうなる可能性を見出した。自分が死ぬのは華々しい戦場などではない。もっと暗く、どうでもいいようなところで死ぬべきなのだ。

 もちろん、彼は死にたがりなどではない。

 ただ、なにもかもが変わりすぎて、上手く行きすぎて、息が詰まりそうなのだ。頭がおかしくなりそうなのだ。

 剣の腕だけを頼りに生きてきた。こんな時代だ。腕を買ってくれる人間を探すのには苦労しなかった。仕事はいくらでもあった。暗殺、剣闘、傭兵――それらもなくなれば、賊になった。賊として悪事に手を染めたとき、自分の人生の終着点が見えた気がした。

 きっと、どこかで野垂れ死ぬのだ。

 寂しくはなかった。怖くもなかった。死は、ありふれているくらいに溢れている。何人も殺してきたのだ。死にもするだろう。

 そういう想いを抱いて、生きてきた。

 そんなくそみたいな人生が、ある日を境に激変してしまったのだ。

 彼でなくとも、気が狂れそうにもなるだろう。

「口には気をつけなさいよ。あんたの口の悪さが、隊長の評判を下げないとも限らないんだから」

「わかってますとも。だからこそ、こうしてくだらないことしかいわないんじゃないですか」

「それならいいけどね、あんたひとりの評判が地に落ちても気にしないし」

「むう、それは酷い言い草だ」

「あんただって同じでしょ」

 そういってけらけらと笑ったのは、《獅子の牙》に所属する女性だった。名は確かシェリファ・ザン=ユーリーン。ガンディアにおいては数少ない女性騎士であり、王立親衛隊《獅子の爪》副隊長メノウ・ザン=オックスとともに、女性軍人の憧れの的として有名だ。

《獅子の牙》はその役目から副隊長を置いていないのだが、彼女がその役割を担っていると言っても過言ではない。貴族然とした容姿からは相応もできないほどさっぱりとした人物であり、どこの馬の骨ともしれない彼にも普通に接してくれたのは、彼女が最初だった。

 彼がこの隊にいて不愉快な思いをせずに済んでいるのは、ひとつには生来の性格もあるのだろうが、ラクサスやシェリファの人知れぬ気遣いがあるからに違いなかった。王宮といえば、門閥貴族が幅を利かせる世界だ。本来、彼は、そんな世界に足を踏み入れるべきではなかったし、そんなつもりもなかった。

 ラクサスたちと出逢い、運命が変転した。

 思いもかけず、ガンディアのログナー制圧に協力したことになり、戦後、その功績が公に認められてしまった。彼のこれまでの人生で見たこともないような大金を褒賞金として手にしただけでなく、ガンディア軍への参加を勧められた。国籍も得た。家名まで与えられた。

 至れり尽くせりとはこのことだ、と思えたのは、つい最近の事だった。ログナー戦争後の激変には思考が追いつかなかったし、なにもかもが他人事のように思えてならなかったのだ。

 彼は、最近になって、ようやく自分の立場を理解したし、状況を認識できるようになったのだ。

(ガンディア王国王立親衛隊《獅子の牙》所属リューグ=ローディン……か)

 街道を進むガンディア軍の長大な列を見回しながら、彼は自分のことを思った。何千もの兵馬が、ただひたすらに目的地を目指して行軍している。目的地は龍府。その途上に光の塔が聳えている。

 ドラゴンとセツナたちの戦場だ。

 その中を突っ切らなければならないのだが、それ自体は恐ろしいことではない、という。安心できるだけの理由はあったし、彼もそれを実感として理解していた。クオン=カミヤがあの場にいるのならば大丈夫だろう。ロンギ川に吹き荒んだ嵐から全軍を守り抜いた少年の実力を疑う必要はない。

 そして、セツナの実力もまた、疑うことはない。彼は、たったひとりで、ログナーとの戦争を終わらせた驚くべき少年だ。戦いの初歩も知らないような初な顔と、死神のような顔を持ち合わせた少年。狗の皮を被った鬼。セツナとクオンがいる限り、安心していいのだ。

 では、彼はなにを考えるのか。

「ミリュウ=リバイエンとは会ったのか?」

「顔合わせ程度には。捕虜にしておくのがもったいないくらいの美人さんでしたよ」

「美人かどうかはどうでもいいが、彼女が龍府の構造については詳しいのは事実なのか?」

「事実かどうかはともかく、こちらの目的を達成することはできそうでした」

「そうか。しかし、おまえ以外に任せるものがいないというのも、困ったものだな」

「相変わらず、ガンディアの人材不足は深刻ですね」

「仕方がないさ。ガンディアの膨張が急速すぎた。需要に供給が間に合わないのも当然だろう」

「この戦争が終われば、少しは時間ができるといいのですが」

「どうだろうな。少なくとも、こちらから戦争を仕掛けるようなことはないだろうが」

 ラクサスとシェリファの会話を聞き流しながら、リューグは自分に与えられた任務のことを考えていた。

(メリル=ラグナホルンの保護、か)

 その任務を言い渡されたのは、つい昨日のことだった。《獅子の牙》の天幕で自堕落を満喫していた彼にとって寝耳に水の話だったし、どうして自分が? と何度となく思ったものだ。

 よくよく考えれば、納得出来ないことでもなかったのだが。

 ガンディア軍は、慢性的な人材不足に悩まされている。将軍や軍団長、騎士には優秀な人物が多いのだが、それ以外となると名の挙がる人物は極端に減った。ログナー軍を吸収したことによって増えたのは、やはり軍団長以上の人材であり、リューグのような特異な才能はいないといってもよかった。

(特異な才能、ねえ)

 そんなものが自分にあるのかはわからないが、少なくとも、今回の任務には打ってつけだろう。死んでも惜しくはない、という意味において。

 その任務こそ、龍府にいるであろうメリル=ラグナホルンの保護だ。

 メリル=ラグナホルンとは、ガンディアを見限り、ザルワーンに流れ着いたナーレス=ラグナホルンと結婚した女性である。ミレルバス=ライバーンの娘ということは、ザルワーンの姫君といっても間違いではないのだが、彼女はそういう立場にはいなかった。五竜氏族ライバーン家の令嬢であり、国主の娘に過ぎない。

 とはいえ、ナーレスがいかにミレルバスに信用されていたかが窺える話でもあった。ナーレスは、ガンディアがザルワーンに送り込んだ埋伏の毒であり、その事実が露見したために拘束されたのが今月の頭のことだ。

 その事実があったからこそ、レオンガンドはザルワーン侵攻を急がざるを得なかった。五年の長きに渡るナーレスの工作が水泡に帰す前に、なんとしてでもザルワーンを滅ぼしたかったのだろう。

 メリル=ラグナホルンを保護するというのは、そのレオンガンドからの直接の命令だった。戦争が始まったら彼女を保護してほしいというのがナーレスの唯一の望みであり、レオンガンドは、彼の長年の労苦に報いようというのだ。

 そのためにもメリルの居場所を突き止めねばならないのだが、龍府に不案内なリューグひとりではどうすることもできない。そこで、捕虜の力を借りる手筈になっていた。ミリュウ=リバイエンに案内させれば、龍府の中で迷子になることはあるまい。

 そして、戦闘では遅れを取ることはないだろう。腕には自信がある。逆をいえば、剣の腕しか誇るものがないのだが、彼はそれでいいと思っている。

 運命とは不思議なものだ。

 自分の力ではどうすることもできないくせに、時として、想像を絶する幸運を運んでくることもある。また、絶望的な不運を運んでくることもあるのだが、それは、彼のいままでの人生を考えればどうということはない。たとえ戦場で死のうと、どこかの路上でのたれ死のうと、望むところだ。

 死は恐ろしくない。

 恐ろしいのは、必要とされなくなることだ。

 飼い主にさえ見離されることだ。

 リューグは、ラクサスとシェリファが馬を並べ、ガンディアの将来について意見を交換する様をぼんやりと眺めていた。


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