第三千五百五十八話 限界
金色の目を持つもの。
それは神属であったり、神の力を借り受けたものであったりした。
神々は一様に金色の目をしていたし、分霊もそうだったし、神の依り代となったものの目も金色に輝いていた。使徒の中にもそういうものがいた。
おそらく、内に宿る神性の現れなのだろう。
アズマリアも、そうだ。
魔人と呼ばれる彼女の金色の目もまた、神性の顕現なのだ。
なぜ、彼女に神性が宿っているのかといえば、いまならばわかる。
アズマリアは、ミエンディアの一部だと、いった。聖皇ミエンディアの一部。ミエンディアの心の奥底に封印されていた良心である、と。
聖皇ミエンディアは、神々の王たる力を持っていた。獅子神皇と同等かそれ以上の力をだ。聖皇が神性を宿していたとしてもなんら不思議ではないし、むしろ当然であり、その一部から生まれ落ちたアズマリアにも神性が宿っていることになんの疑問もない。むしろ、そのほうが腑に落ちる。アズマリアがどうやって五百年もの長い時間を生きてこられたのか。どうやって肉体を乗り継ぐことができたのか。
その疑問の答えが、神性ではないか。
アズマリアに宿る神性が、彼女を魔人として五百年の長きときを歩ませた。
では、ヴィシュタルの右目に宿る神性がなにを意味するのか。
(それも、単純なことだな)
セツナは、右目から頬を伝って流れ落ちる液体の熱さを感じながら、胸中でつぶやいた。
(シールドオブメサイアだ)
シールドオブメサイアとその眷属たちとの同調が、彼の失われた右目の復元によって進行し、右目の変化として現れたのではないか、と、セツナは推測した。獅子神皇の使徒だから、という理由ではなく、だ。獅徒だから金色の目になったというのであれば、最初から金色の目をしているはずだ。
だが、そうではなかった。
彼の目は、獅徒と成り果てた後も、碧く澄んだままだったのだ。
左目が、そうだ。
昔からなにひとつ変わらない碧い瞳。
それはさながら、獅徒として生まれ変わってもなお彼が頑なであることを示しているかのようであり、実際、その通りだったのではないだろうか。
彼は彼のままだったのだ。
ヴィシュタルと名乗っていても、獅子神皇に仕えていても、本質はなにひとつ変わっていない。
それは、いまだって同じだろう。
たとえ、シールドオブメサイアとの同調が深まり、右目に神性を宿そうとも、彼の本質には変化など起きようがないのだ。
「君の右腕も治っていない。君の肉体は人間のそれだ。獅徒たるぼくとの戦いにおいて、それは圧倒的な不利となる。勝敗が最初から決まっていたようなものだ」
「それはどうだか」
確かにヴィシュタルのいうとおりだ。
セツナは、平然と右腕を振り回し、右手で矛を握り締めているが、右腕はあのとき、切断されたままだ。マスクオブディスペアの能力で強引にくっつけているだけであり、それでなんとか神経が繋がっているからどうにかなっているだけのことなのだ。マスクオブディスペアの能力を緩めれば、その瞬間、ばらばらになってしまう。
しかし、それはつまり、だ。
セツナは、欠けていた視界が補われたのを確認し、確信した。マスクオブディスペアの能力を用い、右目を生み出したのだ。そして、視界を補った。
マスクオブディスペアが生み出す影とも闇人形とも呼べるものたちは、自動的に戦うだけでなく、セツナの思い通りに操ることもできる上、その視界を覗き見ることもできた。つまり、応用することで、欠けた視界を補うこともできるのではないか、と、セツナは考えたのだ。
そして実行に移し、自分の考えが正しかったことを証明した。
「闇色の目」
ヴィシュタルがそんな風に表現したのは、セツナの右目について、だろう。闇人形の目と同じ目なのだから、そう見えるのも当然だった。しかし、セツナにとってはどうでもいいことだ。視界が補えているのだ。それあけで十分すぎた。
「まるで魔王の目だ」
「だとしたらおまえのそれは神の目だぜ」
「……互いに相応しい姿に近づいたということかな」
「完全にそうなる前に決着をつけるさ」
「できるかな? 君に」
「できるさ」
断言するのと同時に、セツナは、ヴィシュタルに飛びかかった。もちろん、ただ無策で突っ込むのではない。影たちに援護射撃を行わせている。千体の影による“破壊光線”の乱射の中を突き進み、ヴィシュタルとの距離を詰める。ヴィシュタルは、動かない。シールドオブメサイアによる防御を固めた上で、彼は、口を開いた。
「クラウンオブガブリエル」
ヴィシュタルの頭の上で、純白の冠が輝きを帯びた。
「真の名を、蒼海の王子ファーレル」
そして、大気が鳴動し始めたかと思うと、つぎの瞬間、世界が碧く染まった。
一瞬にして視界を覆い尽くしたのは、莫大なまでの水分であり、突如としてどこからともなく出現したそれは、水の壁となってセツナの眼前に立ちはだかっただけでなく、大津波となって押し寄せてきた。しかし。
「いまさら」
セツナは、左腕を掲げると、巨大な闇の掌でもって押し寄せる激流を受け止めて見せた。犠聖の間の天地を飲み込むほどの大津波も、魔王の魔力の前ではなんの役にも立たない。大津波は、セツナだけを避けるようにしてふたつに割けていった。
「こんなものでどうなる?」
「少なくとも、君の影は消えたよ」
「……そうかよ」
セツナはヴィシュタルのしれっとした顔に舌打ちした。彼の言葉通りに影が消え失せていることに気づいたからだ。
大津波は、セツナを攻撃するためでも足止めするためでもなかったのだ。千体の影を同時に消滅させるための手段に過ぎなかったというわけであり、それにより、ヴィシュタルは、対等な状況に持ち込むことに成功したというわけだ。
そして、ヴィシュタルがセツナの眼前に飛来した。
「これでまた振り出しに戻ったというわけだ」
「振り出し? 違うな」
セツナは、右腕と右目の痛みに顔を引き攣らせながら、笑った。
「俺のほうが不利だぜ」
「そうだね」
彼は、否定せず、突っ込んできた勢いで蹴りつけてくる。セツナは右に体を捌いてかわすと、矛でもって殴りつけたが、盾に防がれた。
「でもそれは最初からそうだろう」
ヴィシュタルは、矛を弾いた瞬間に防御障壁を解き、光り輝く嵐を起こした。フェザーオブラファエルの能力。セツナは吹き飛ばされながら左手を掲げた。“闇撫”を伸ばし、防御障壁ごとヴィシュタルを掴もうとする。が、巨大な岩壁に阻まれる。セツナは仕方なく岩壁を掴むと、直後、岩壁が飛散したものだから、さらに吹き飛ばされた。
「君は人間で、ぼくは獅徒だ」
「だから勝てないって?」
「そうとも」
ヴィシュタルは当然のようにいってくる。
「君の力は有限だ。どうしたところで、必ず力尽きる。なんたって、ぼくを傷つけることすらままならないんだから」
それは、セツナ自身もっとも理解していることでもあった。




