第三千五百五十六話 卑怯者たち(二)
「どんな攻撃も通さないし、神の目すら遮断できる。神の耳がぼくたちの声を拾うことも、神の意思がぼくの意思に介入することもできない」
まさに無敵の盾だ。
かつて、カオスブリンガーの全力を込めた一撃が、シールドオブメサイアの前に敗れ去り、矛が折れた光景が脳裏を過ぎる。最強無比、絶対無双と信じて疑わなかったカオスブリンガーが折れたのだ。そして、折れたのは矛だけではない。
セツナの心も折れた。
だが、あのとき、あの瞬間は、いまにして思えば、あれでよかったのかもしれない。
心が折れたから、アズマリアの誘惑にも乗った。地獄行きという手段を選んだ。あの場から逃げ出すという、ある意味最悪最低の選択肢を取った。
心が折れていなければ、そうはしなかっただろう。
地獄に逃げたからこそ、強くなることができた。カオスブリンガーとその眷属たちによる最終試練を終えることができたのだ。
そして、シールドオブメサイアの防御を打ち破ることも、できた。
もっとも、あのときのヴィシュタルが全力ではなかった可能性も否定できない。そして、あのとき、セツナとカオスブリンガーが破壊したのは、シールドオブメサイアではなく、シールドオブメサイアが作り出した防御障壁だ。
黒き矛が折られたのとは、わけが違うのだ。
つまり、完全に打ち勝ち、過去の敗北を払拭するには、シールドオブメサイアそのものを破壊しなければならないということだ。
「でも、それをいったら君の矛だって、卑怯過ぎるだろう?」
矛と盾をぶつけ合うセツナとヴィシュタル、その周囲に降り注ぐ無数の稲妻は、閃光と雷鳴を乱舞させるだけだ。
「なんだって貫き、突き破り、打ち砕き、殺し、滅ぼす。黒き矛にして魔王の杖。百万世界の魔王、その顕現なんだ」
「だったらなんだ?」
「君は、それだけの力を持っているはずだろう」
「なにがいいたい?」
「全身全霊の力を込めて戦えといっているんだ」
ヴィシュタルの十二枚の翼が大気を叩く。セツナの矛を受け止めたままの飛翔は、セツナと黒き矛ごとヴィシュタルを加速させた。セツナも二枚の翼と二枚の翅で対抗するが、押されていく。どこからともなく放出される莫大な量の神威が、凄まじい熱となってヴィシュタルを包み込み、セツナをも飲み込もうとする。
「命を燃やせ」
ヴィシュタルが吼える。
「魂を灼き尽くせ」
セツナは、ヴィシュタルに押されるまま、視界が空転していく様を目の当たりにした。空がヴィシュタルの後方に見えたのは、角度が変わったからだ。地面に向かって落下している。それも物凄い速度で、だ。速度は落ちない。むしろ加速する一方であり、やがて光の速さを超えた。
そして、セツナは、背中から地面に叩きつけられたのだが、その際の衝撃が彼の体を貫くことはなかった。メイルオブドーターの防御障壁が衝撃を受け流したからだ。無意識の反応。しかし、そうしなければ、セツナの肉体はばらばらになっていただろうことは間違いなかった。
地面に激突した瞬間に飛び離れたヴィシュタルのおかげで、周囲の状況がよくわかった。セツナは、地上にいるのではなかった。地下だ。それもかなりの深度だった。超巨大な半球形の穴、その中心に立っている。
ただ上空から地面に落下し、叩きつけられただけだというのに、物凄まじい爆発が起こったかのように大地が削り取られた、というわけだ。
それは、ヴィシュタルの発していた莫大な神威に飛行速度を上乗せした結果だ。
「なるほど」
セツナは、右手の感覚を確かめながら、柄を強く握り締めた。ヴィシュタルに煽られたことが気に食わなかったのだろう。黒き矛と眷属たちがそれぞれに罵詈雑言を発し、ときにはセツナさえも罵倒していることが伝わってくる。言葉としてではない。感情が、力の波動となって流れ込んでくるのだ。
魔王と眷属たちにしてみれば、力を上手く扱えず、ヴィシュタルにしてやられるばかりのセツナの戦いぶりは、見ていて気持ちのいいものではないに違いない。歯がゆくなるのもわかるし、ときには怒号を飛ばしたくなる気持ちも、理解できないわけではない。
それは、セツナ自身の気持ちでもあるからだ。
「これがおまえの全身全霊というわけだ」
セツナは、目線を上げ、大地に穿たれた巨大な穴、その縁に立つ天使を睨んだ。十二枚の翼を持つ天使は、淡く輝く瞳で、冷ややかなまなざしをこちらに注いでいる。光輪は、背後に戻っていた。いつでも雷撃形態に変形できるのだろうが。
(わかってるよ)
セツナは、矛を翻した。右頬に痛みが生じる。矛の切っ先が掠めたからだ。鮮やかな血の赤が視界を彩る。その血の中に映り込むのは、望み通りの光景。ヴィシュタルの背後。天使の背中。がら空きの背中。
(わかってる)
空間転移の発動と同時に矛を振り下ろす。
(わかってるんだよ。そんなことは)
空間転移によって暗転した視界が正常化した瞬間、火花が散り、激突音が響き渡った。
振り向き様に掲げられたシールドオブメサイアがカオスブリンガーの切っ先を受け止めたのだ。
「じゃあ、これが君の全身全霊かい?」
「まさか」
セツナは、ヴィシュタルの挑発を嗤った。見透かされていることは、わかりきっていた。だが、真正面から飛びかかるよりは遙かに安全だと踏んだのだ。そして、実際その通りだった。距離を詰めるには、空間転移ほど適切な能力はない。
といって、エッジオブサーストの座標置換では、狙った位置に移動するのは難しい。故にカオスブリンガーの能力、血を触媒とする空間転移を発動したのだが、それは、ヴィシュタルの隙を突くためではなく、ただ、距離を詰めるためのものだ。
そして、距離を詰めた直後から、セツナの猛攻は始まっていた。
矛による連撃。
一瞬の隙もない連続攻撃には、ヴィシュタルも盾を構え、護りに徹さなければならなかった。そう、彼は判断したに違いない。防御障壁だけでは不安が残る。もし防御障壁を破られ、その隙を突かれでもしたら、致命傷になりかねない。故にヴィシュタルは護りを固め、変幻自在の矛の連撃を受けきる。あらゆる角度から殺到する攻撃の数々から身を守るべく、防御障壁で全身を覆う。
先程とは違う。
セツナが押していた。
矛を盾に叩きつけるたびに力が衝突し、小さな爆発が起きた。黒と白の力の爆発。魔力と神威、相反する力の反発であり、セツナだけがその際に傷を負った。ヴィシュタルは護りを固めている。一方、セツナは攻撃に専念するため、防御障壁を解いていなければならなかったからだ。
もっとも、それでセツナの攻撃の手が弛むようなことはなく、むしろ、加速した。
全身全霊の力を込めて、ただ、矛を振り回す。
ただそれだけのことでヴィシュタルを圧倒していく。
もちろん、これだけで終わるわけがないことも理解している。
なにせ、どれだけ力を込めても、受け止められているのだ。どれだけ手数で圧倒し、力で押していても、ヴィシュタルには掠り傷ひとつつけられていない現状を否定できない。
ならば、どうするのか。




