第三千五百五十一話 魔王の杖対神理の鏡(七)
「逃げ回っているだけじゃあぼくを斃すことなんてできないよ」
剣の切っ先が地上に向けられれば、当然、断裂も地上に到達する。大地を抉り、草花を削り、エッジオブサーストの羽を消滅させながら、空間の断裂は縦横無尽に走り回る。それをセツナは、ヴィシュタルの言葉通り、逃げ回りながら感じているのだ。
座標置換によって空間転移を起こし、場所を転々としつつ、さらに羽をばら撒くことで移動先を確保する。空間の断裂が羽を消滅させるだけの威力を持っている以上、正面からぶつかり合うことだけはやめたほうがいい。結果は目に見えている。
「一刻も早く獅子神皇の元に辿り着きたいのなら、なおさらだ」
「んなこと、いわれなくともわかってるさ」
告げて、ヴィシュタルに矛の切っ先を向けた。“真・破壊光線”を撃ち放つ。黒く破壊的な光の奔流が虚空を貫き、空間を侵蝕するようにして、獅徒の元へと到達しかけた。が、しかし、炎の剣の切っ先がそちらに向いた瞬間、断裂が“真・破壊光線”を飲み込んでしまった。
「だからこうして、おまえを追い詰める算段を立てているんだろう」
「ぼくを追い詰める? この期に及んで、面白いことをいうね」
破壊の力を消滅させたヴィシュタルは、空間の断裂を維持したまま、背後の光輪を回転させた。光輪から無数の光線が放出されたかと思えば、地上に向かって雨のように降り注ぐ。
「状況は依然、なにひとつ変わっていないよ」
「そりゃあこれからだからな」
座標置換で戦場を飛び回ることで空間の断裂も光の雨も完全に回避して見せるものの、これでは、ヴィシュタルのいうとおりだ。戦闘は遅々として進まず、防戦一方極まりない。
まずは、空間の断裂をどうにかしなければならない。空間の断裂さえ対処してしまえば、こちらの
「ここからだ」
「ここから、どうする?」
「それは見てのお楽しみって奴だろ」
「ふ……じゃあ、楽しませてもらおうか」
戦場を縦横無尽に駆け回る空間の断裂と、高空から降り注ぐ無数の光の雨が、セツナが撒き散らした羽を尽く消滅させていく。徐々に逃げ場を失い、追い詰められているのはむしろ自分のほうではないか、という感覚の中で、彼は、吼えるようにその名を呼んだ。
「ランスオブデザイア」
ヴィシュタルの炎の剣、その切っ先がこちらに向くよりも早く、螺旋状に渦巻く尾の尖端をそちらに向ける。ランスオブデザイアの変形した姿であるそれは、金切音を上げながら回転し、一瞬にして最高速度に到達した。すると、どうなるか。
「真の名を、大いなる奈落シオン」
直後、魔王の力が螺旋を描き、虚空を掘削する力の奔流となって撃ち放たれた。なにもない空間を抉り、打ち砕き、侵蝕しながら、上空のヴィシュタルへと向かう。
「同じこと」
「違うな」
ヴィシュタルは、“真・破壊光線”と同じと見た。確かに、そう見えても致し方がない。“真・破壊光線”も空間を破壊する力そのものはあったのだ。実際、空間を侵蝕しながらヴィシュタルの元へと向かい、空間の断裂によって消滅している。
だが、ランスオブデザイアの真価は、そんなものではなかった。空間を貫き、食い破り、打ち砕きながら、捻り、巻き上げ、螺旋を描き、より広範囲にその爪痕を広げていく。
ヴィシュタルが剣を翳した。破壊の螺旋ではなく、セツナに向かって、だ。当然、セツナは、尾の切っ先を空間の断裂に向けた。瞬間、破壊の螺旋と空間の断裂が激突する。なにもかもを消滅させる空間の断裂と、なにもかもを打ち砕く破壊の螺旋。
その激突は、凄まじい力の爆発となって、戦場に吹き荒れた。
衝突したのだ。
その時点で、セツナの思惑通りに事が運んだことがわかった。
“真・破壊光線”は、空間の断裂に触れただけで消滅したが、破壊の螺旋はそうはならなかった。むしろ、激突したのだ。拮抗しているからこその激突であり、同質の力だからこその拮抗に違いない。
(空間の断裂、封じたり)
胸中つぶやきながら、セツナは、上空に舞い上がった。
破壊の螺旋と空間の断裂がぶつかり合って対消滅を起こせば、その際に生じた大爆発が犠聖の間を震撼させた。大気が打ち震え、大地が波打ち、虚空に無数の亀裂が走る。
まるで世界の終わりのような光景の中で、しかし、セツナはヴィシュタルだけを捉えている。
ヴィシュタルは、空間の断裂が消滅した事実に衝撃を受けているようだったが、すぐさま気を取り直し、こちらに向き直った。切り替えの速さは、さすがとしか言い様がない。そうでなければ、あのときまで生き延びられなかったはずだし、いまもまた、獅徒として在り続けることなどできなかったに違いない。
空間の断裂こそ消滅したものの、彼の背後の光輪は、いまもなお回転し、光線を撃ち出し続けていた。そして、それら光線は、地上に降り注ぐのではなく、セツナ目がけて飛来してきている。
もちろん、セツナは、それら光線の群れにも構わず飛翔した。セツナの飛行速度を捉えられる攻撃など、そうあるものではなかったし、光輪の光線を掻い潜って飛行できることは既に実証済みだ。
実際、セツナは、圧倒的な数でもって殺到する光線の数々を紙一重でかわしながら、ヴィシュタルとの距離を詰めた。
ヴィシュタルは、炎の剣を掲げ、まるで待ち受けていたとでもいわんばかりであり、セツナは、猛然と突っ込み、黒き矛を叩きつけた。矛と剣が激突し、互いの力が炸裂する。炎の剣、その異形の刀身から噴き出す炎がセツナに襲いかかってくるものの、炎がセツナに触れるより早く、黒き矛が炎の剣を断ち切った。
当然の結果だと、セツナは思った。
ソードオブミカエルといったか。
炎の剣は、所詮、シールドオブメサイアの眷属に過ぎない。いかに強力な召喚武装であり、深化融合を果たしていようとも、シールドオブメサイアでもないものが、全力を込めたカオスブリンガーの一撃を受けきれるわけがないのだ。
その勢いのまま、セツナは、ヴィシュタルの右腕を切り飛ばした。右腕の断面から噴き出したのは、血ではなく、神威。莫大な量の神威が白く輝き、視界を塗り潰していく様は、異様としかいいようがなかった。胸騒ぎがした。それは嫌な予感というよりも、ある種の虚しさから来るものだ。
(俺はなにを……)
考えているのか。
つぎの瞬間だった。
シールドオブメサイアがまばゆく輝いたかと思うと、セツナは、強く弾き飛ばされていた。無敵の盾による防御障壁の展開は、至近距離にいる敵を弾き飛ばすことくらいできるのだろう。
「いまさら――」
炎の剣を折られ、腕を切り飛ばされてから防御障壁を展開するなど、遅きを失するにもほどがある。セツナはそう思ったし、故にヴィシュタルを見て笑おうとした。だが、ヴィシュタルこそ、笑っていた。
「ロッドオブアリエル」
彼は、切断されたままの右腕を頭上に掲げると、その先に一本の杖を具現して見せた。複数の球体が連なったような形状の杖。その名の通り、ロッドオブアリエルという名の召喚武装なのだろうが。
「真の名を、調和の王子」
ロッドオブアリエルのすべての球体が輝いた瞬間、セツナは、右腕に激痛を覚えた。




