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第三百五十四話 矛と盾(四)

『本隊が通過するまでの時間を稼いでくれさえすれば、それだけで十分です。本隊が龍府を落としさえすれば、この戦争は終わります。表面的には、ですけどね』

 龍府を制圧してそれですべてが丸く収まるわけではないのだといっているのだろうが、セツナは気にしてもいなかった。そういうことは、政治家がやることだ。軍人は口を出さず、政治家に任せておけばいい。レオンガンドや彼の腹心たちなら上手くやるはずだと信じてもいた。ログナーのように簡単にはいかないかもしれないが、だとしてもセツナが考えるようなことではない。

 セツナが考えるべきは、エインの説明の裏に潜む意図だ。彼は、ドラゴンを倒す必要はないという。実際、その通りなのだろう。今回の作戦の目的は、ガンディア軍の本隊七千名を無事龍府に到達させることなのだ。

 そのためには、本隊がドラゴンの攻撃範囲を通過しなければならないのだが、ドラゴンの攻撃対象をセツナとクオンのふたりに固定させることで、それを成し遂げようというのだ。強引な作戦だったが、その強引さこそエインらしいともいえた。

 バハンダールを攻略するための策も強引極まりないものだったし、ミリュウたちとの戦いで行った分断作戦も、セツナを囮に使うという強気なものだった。だからこそミリュウが引っかかり、敵の武装召喚師を分断することができたのだが。

「倒す必要はない、か」

 セツナは小さくつぶやいた。

 今回は、どうだろう。

 エインは本当にそう考えているのだろうか。戦術としての正誤など、セツナにはわからないことだ。そんなことは作戦指揮官が考えればいい。セツナは命じられたことをこなす、ただそれだけでいいはずだ。《獅子の尾》とはそういう部隊だったし、セツナに期待されているのは、そういう役割だ。命令に唯々諾々と従うだけの殺戮兵器であればいい。

 隊長という立場にあるまじき思考法だが、いまはそれが正解のはずだった。

「でも、君はドラゴンを倒したい、そう考えている」

 クオンの言葉は、彼が聞き耳を立てていたことを示しているのかもしれなかったが、セツナは気にもとめなかった。彼に言葉を返すほうが先決だった。

「まあ、な」

「君は、借りを返さずにはいられないところがあるもの。そこが危なっかしくて、見ていられないところなんだけどね」

「そういうわりには、ずっと見てたじゃないか」

「そりゃあそうさ。君から目を離したらどうなるものか、わかったものじゃなかった」

「ひでえの」

 とはいったものの、悪い気はしなかった。以前の自分なら、不愉快さを抱いたまま悶々とした時間を過ごしたかもしれない。しかし、いまは違った。口に出して笑い飛ばすだけの余裕があった。

 光ある空間は、目前まで迫ってきている。決断のときは近い。いや、決断はとっくに下していた。ドラゴンにどうやって接近し、攻撃を叩き込むのか、セツナなりに考えている。そしてそれはセツナとカオスブリンガーにしかできない芸当だった。

「ごめんごめん。でもさ、そういう君のことは嫌いじゃなかったんだ」

 クオンの言葉に、セツナは息を止めた。彼との日々が一瞬だけ脳裏を過った。クオンがセツナのことを嫌っていたなら、あれだけ一緒にいようとはしなかったはずだ。

 彼の言葉に嘘はない。

 いつだってそうだ。彼は常に本心をぶつけてくる。直球、しかも豪速球でぶつけてくるから、セツナは避けるしかないのだ。受け止めることも、打ち返すこともできない。そして、豪速球を投げる彼の心は、とてもまぶしくて、直視できないのだ。

「だから、なんだろうな」

 強すぎる光は、苦痛以外のなにものでもない。

「え?」

「なんでもねえよ。俺が翔んだら、盾で俺を護ってくれよな。落下死なんて洒落にもなんねえし」

「どういうこと?」

 クオンが尋ねてきたとき、ふたりを乗せた軍馬は森の闇を抜けた。緑の天蓋が途切れ、頭上に空が広がる。雲ひとつないあきれるほどの青空と、まばゆいばかりの太陽光線が視界を灼くようだった。同時に、長大なドラゴンの首の頂点が見えている。遥か上空。通常の視力では認識などできるはずもないが、黒き矛の補助があればたやすいことだ。

 龍の頭部は、こちらを見てはいない。南方を見ているようだ。恐らく、街道を進軍する本隊に気を取られているのだろう。しかし、それもいまだけだ。すぐにこちらの存在に気づくに違いない。好奇はいま、この一瞬だけだ。

「そのままの意味っ!」

 セツナは、クオンの背後で立ち上がると、軍馬から飛び降りた。クオンが呆気に取られている隙に矛の切っ先を返し、自分の左太腿を切り裂く。痛みと熱に歯噛みして、矛を旋回させる。穂先に付いた血液が視界に踊った。

 赤い血の一滴一滴に映り込んでいるのは、セツナの姿ではなかった。ドラゴンの頭部が見えた。視界が歪み、全身が押し潰されるような感覚に囚われる。

(跳ぶ――)

 目の前が真っ黒になったと思った次の瞬間、セツナはドラゴンの顔面を見ていた。緑色の外殻に覆われた鋭角的な頭部と、宝石のような眼球が印象に残る。

 血による空間転移。

(やった!)

 成功を認識したときには、セツナは黒き矛を両手で握り締めていた。振り下ろす。抜群の手応え。龍の眼球から血が噴き出したのかはわからなかった。ただ、切り裂いたという感覚だけが手に刻まれたまま、彼は重力に引き摺られた。血を見ていない以上、二度目の空間転移はない。落ちる。

 地上数百メートルの高度。

 普通なら落下死するのは間違いないが、バハンダール降下に比べれば問題にもならない。が、態勢が態勢だった。矛を勢い良く振り下ろした態勢では、どうすることもできない。眼下、森が迫っている。大気を切り裂くように落下していく。

 龍の悲鳴を聞いた。樹海を震撼させるような大音声。ドラゴンの首が震えているのが視界に入っている。反撃が来る。だが、セツナは眼下の森に光を見ていた。木々の狭間を駆け抜ける白い光は、シールドオブメサイアの光だった。地面が物凄い勢いで近づいてくるが、恐怖はなかった。むしろ、なにかに護られているという安心感があった。

 地面に激突したが、痛みはなかった。転移のために裂いた太腿が痛みを訴えてくるだけで、落下による衝撃は一切なかったのだ。

 セツナは、シールドオブメサイアが無敵の盾と謳われる理由を実感しながら、地面に張り付いた顔を引き剥がした。土の味がする。落下による衝撃は防げても、土が口の中に入り込むのはどうすることもできないようだ。

(だったら、なんだよ)

 唾と一緒に吐き出したとき、クオンが駆け寄ってくるのが見えた。彼は手綱を握ったまま、片腕で盾を抱えていた。真円を描く純白の盾には持ち手がないのかもしれないし、あったとしても馬を操りながらでは持ちにくいのかもしれない。

「まったく、無茶をするね」

「けど、効果はあったろ」

「逆効果みたいだけど?」

 クオンが笑いながら頭上を仰いだので、セツナも視線をそちらに向けた。長大なドラゴンの首が震えているかと思うと、遥か上空から咆哮が降ってきた。龍の首を覆っていた外皮が剥がれ落ち、中からどろりとした闇が溢れ出す。

 ビューネルと同じだ。黒き矛の模倣が始まったのだ。しかし、模倣とは言い切れない。黒き矛とは似ても似つかないドラゴンへの変態なのだ。

 そして、その闇の竜は、セツナの夢において黒き矛を名乗った存在そのものであり、そういう意味では黒き矛の模倣だといえた。

 ドラゴンの首が一回り以上小さくなったかと思うと、四肢を持つドラゴンへと変わり果てる。一対の翼と、二本の腕、二本の足、無数の目。真紅の複眼。黒き矛の竜。

 上空で翼を広げたそれは、まさに万物の頂点に立つ伝説上のドラゴンという存在そのものといってよく、セツナは、意識が震えるような感覚の中に在った。

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[一言] セツナ「別に、アレを倒してしまってもかまわんのだろう?」
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