第三千五百四十八話 魔王の杖対神理の鏡(四)
「本当なら、ぼくを殺し尽くせていた。けれど、そうならなかった。なぜか」
剣から噴出した爆発的な炎は、無数の火球となって四方八方に飛び散り、ヴィシュタルの前方広範囲を紅く燃え上がらせた。まるで炎の結界のようであり、その熱量たるや物凄まじいとしか言い様がなかったものの、近づかなければどうということはない。
つまり、牽制だ。セツナが“真・破壊光線”を撃ち放った直後に突っ込んでくる可能性を考慮した上での、牽制攻撃。
「まだ、上手く扱い切れていないんだ」
ヴィシュタルの声は、涼やかで軽やかに響き、届く。
「うるせえ」
とはいったものの、図星ではあった。
完全なる魔王の力は、これまでの深化融合とはまさに比較にならないほどに強大であり、膨大なのだ。力の莫大さ故に制御しきれずに暴走する可能性は絶無だが、それはそれとして、完全無欠に制御し、みずからの手足のように自由自在に操れるようになるには、それ相応に時間と慣れが必要に想えた。
百万世界の魔王の力だ。
すべての神が敵と定め、滅ぼさんとする敵対者。地獄の主にして魔界の王、魔属の支配者であり黒の統率者、大いなる闇、邪悪の淵源――。
セツナの脳裏に浮かんだのは、魔王を指すいくつもの別名であり、それらが魔王の側面であることは、いまならはっきりとわかった。
黒き矛と眷属たちから流れ込んでくるのは、なにも力だけではないのだ。魔王と眷属たちの意思、感情、記憶――脳が処理できなくなるのではないかと思うほどの夥しい情報量が、押し寄せ、雪崩れ込んできている。そしてそれを止められない。
止められないが、止める必要もない。
なぜならば、それら莫大な量の情報は、セツナの意識を妨げるものではないからだ。
「ひとの親切な忠告には、耳を傾けるべきだよ、セツナ。君には、昔からそういう悪い癖があった」
「……おまえには、昔からそういう嫌なところがあったな」
「受け止め方の問題だよ」
「そうだな。否定しねえよ」
ゆっくり息を吸って、はっきりと告げる。彼のいうとおりだ。なにもかも、彼の言葉通り、発言通りだった。
いまなら、わかる。
なにもかもがはっきりとわかるのだ。
「全部、俺だ」
「ん?」
「俺の問題だったんだよ」
自分という存在がどういう人間だったのか、いま、この状況になってようやくわかったのだから、笑い話かもしれない。世界の命運を懸けた最終決戦の真っ只中で考えることではないし、そんなことは百も承知だが、わかってしまったのだから、仕方がない。
相手が相手だ。
獅徒ヴィシュタル。
またの名を、守屋久遠。
「おまえは、親切で善い奴だったんだ」
そんなわかりきったことをいうのは、少しばかり、照れくさい。
「最初から、ずっと」
最初。
そう、最初だ。
昔、ひとりぼっちだったセツナに手を差し伸べてくれたのは、彼だけだった。クオンだけが、セツナに手を差し伸べてくれた。だれにでも分け隔てのない愛を注ぐことのできる彼だからこそ、だれかれ構わず敵意を振りまくセツナにだって、手を差し伸べることができたのだろう。
だから、手を取った。
ずっと昔の話。
それで終わっていればよかった。
そのまま、彼と仲良くなっていけばよかった。
けれども、そうはならなかった。
それがつまり、セツナの、自分の問題なのだ。
「だのに俺は」
「……セツナ」
ヴィシュタルが表情を曇らせるのを見て、セツナは、なんともいえない気分になった。
(相変わらずだな)
相も変わらず、他人のことばかり考えている。
自分のことよりも他人のことのほうが大事で、周りの人間のことを気遣ってばかりなのが、守屋久遠という少年だった。そして、そんな彼が屈託もなく、太陽のように笑っているから、彼の周りにはいつもだれかがいて、陽気に満ちていた。
そんな中に入れなかったのは、結局、陰気に満ちた自分の性質のせいなのだ。
そこを逆恨みするのは、精神的に成熟しきっていない少年時代ならありふれたことだったのかもしれないが、いまにして思えば、なんて馬鹿げた話なのだろう、と結論する。
(……俺は、どうだ?)
セツナは、翼を羽撃かせると、ヴィシュタルとの距離を一気に詰めた。ヴィシュタルが拡散した炎は、既に消え去っている。ふたりの間に障害はない。ヴィシュタルが盾を翳す。シールドオブメサイア。絶対無敵の防御障壁が展開した。
(少しは、変われたか?)
そのとき、セツナが伸ばしたのは、左腕だ。無敵の盾を破壊し、その上でヴィシュタルを撃滅するには、現状の黒き矛では難しいことがわかっている。だから、元より黒き矛で攻撃するつもりはなかったのだ。発動したのは、“闇撫”。いまは籠手となったロッドオブエンヴィーの能力であり、禍々しい手甲がそのまま巨大化したような闇の掌が、ヴィシュタルを防御障壁ごと握り締める。
十二枚の翼ごと防御障壁に包まれたヴィシュタルを掌握するのだから、“闇撫”もとにかく巨大にならなければならず、セツナは、まるで巨人の腕の如く巨大化した闇の掌を制御しなければならなかった。もっとも、それそのものは、問題ない。
問題があるとすれば、この先だ。
「隙をついて、これかい?」
「ここからだろ」
「ここからどうするつもりなのかな?」
「黙って見てろ」
セツナは、皮肉たっぷりに笑いかけてくるヴィシュタルを睨みつけながら、左腕を掲げた。ヴィシュタルを高く持ち上げる格好になる。その間、ヴィシュタルを防御障壁ごと握り潰そうと試みるものの、さすがはシールドオブメサイアというべきか。彼を包む防御障壁は“闇撫”の力ではびくともしなかった。
“闇撫”は、魔王の影の手だ。故にその握力も魔王のそれに等しいはずなのだが。
「嫌だね」
ヴィシュタルが冷ややかに告げてきた瞬間だった。
セツナは、無数の殺気を認識し、透かさずヴィシュタルを地上に向かって投げつけると、“闇撫”を目の前に広げた。無数の光線が闇の掌や腕に突き刺さり、光を撒き散らしながら炸裂していく。いくつかはセツナに危うく直撃しかけた。
それら炸裂光線は、ヴィシュタルの攻撃であることは間違いない。
間違いないが、どうやって防御障壁の内側から攻撃してきたというのか。
防御障壁。
神威によるものにせよ、召喚武装の能力によるものにせよ、防御障壁とは、術者の身を守るための力の壁であって、外部からの攻撃を防ぎながら同時に内部から攻撃する、などという行動は取れないのが普通だ。自分の攻撃だけは通過する防御障壁が作れるのならば話は別だが、神ですらそうしてこなかったし、いまのセツナですらそんなことはできない。
防御障壁を展開したまま攻撃できるのであれば、戦闘を一方的なものにすることだって可能なのだ。
特にシールドオブメサイアならば。
(あれか)
セツナは、遙か眼下に落下していくヴィシュタルの背後、十二枚の翼のさらに後方に浮かぶ光輪が、鋭い光を発していたことに気づいた。
光輪だけは、防御障壁に覆われていなかったのだ。




