第三千五百四十六話 魔王の杖対神理の鏡(二)
完全武装のさらなる先へ。
深化融合と名付けたそれは、召喚武装たる異世界存在の本質への干渉にほかならない。
召喚武装とは、術式によって様々な武装へと変化変容させたものだ。それをさらに変化変容させるのだから、術式へと干渉するだけでなく、召喚武装そのものであるところの異世界存在、その本質に干渉せざるを得ない。そのためには該当の召喚武装と真に通じ合っていなければならず、もしそうでなければ術者の精神は召喚武装によって蹂躙され、破壊されることだってありうるだろう。
だが、真に通じ合っていたところで、だれもがそれを行えるわけではない。
そもそも、召喚武装の術式を後から作り替え、形状を変化させる技術など、武装召喚術の歴史上存在しないという。
外套形態と翼形態というふたつの形態を持つシルフィードフェザーのように、複数の形態を持つ召喚武装自体は予てより存在する。アスラ=ビューネルの召喚武装・三鬼子は三つの形態を切り替えることで汎用性を増しているし、アズマリアのゲートオブヴァーミリオンはいくつもの形態を持つ。
しかし、それらは形態に応じて術式を書き換えているわけではないのだ。元々、形態を変化する能力を持った召喚武装に過ぎない。無論、それら召喚武装が優秀な代物であることに違いはないが、深化融合とはまったくの別物なのだ。
能動的に術式を書き換え、形状を変化させている。
それができるのもまた、セツナの特異体質によるところが大きい。肉体に刻まれた呪文がセツナの望み通りの術式を構築してくれるからだ。それも詠唱による術式の構築よりも何倍、何十倍もの速度で、だ。故に召喚武装は一瞬にして変容し、セツナの体を覆う鎧となる。
メイルオブドーターは大型化し、ロッドオブエンヴィーは籠手となり、アックスオブアンビションは脚具となり、エッジオブサーストは翼に、ランスオブデザイアは尾となる。そして、マスクオブディスペアは冠となって、セツナの頭上に輝く。
それらはすべて、より禍々しく、より邪悪で、より破壊的な形に変容している。
手に握り締めた黒き矛カオスブリンガーだけが変化していない。なぜならば、その必要がないからだ。魔王の杖は、ただそれだけで凶悪無比なのだ。
「それが完全体……かな?」
ヴィシュタルの目に敵意が瞬くのを認めて、セツナは、目を細めた。
「そうとも」
肯定しながら、感じる。
全身に力が漲っている。足の爪先から頭の天辺まで、なんなら髪の毛の先端にまで充ち満ちた力は、セツナの五感を限りなく向上させ、身体能力を限界以上に引き上げていく。急速に、急激に、圧倒的なまでの力を漲らせていく。止まらない。止まるはずがない。感覚が膨張し、肥大し、爆発的に増大していけば、まるで全能者にでもなってしまったかのような錯覚に陥る。
いや、それは錯覚ではない。
実感。
極めて全能に近く、故にこそ、百万世界の神々に仇なすのだ。
神々のいずれもが敵と見做し、滅ぼすべき存在と認識するには、それだけの理由がある。
それをいままさにセツナは実感として、認めた。
黒き矛と六眷属を同時併用した状態を完全武装と呼称した。そのさらなる段階が深化融合であり、深化融合の究極系がいま現在のセツナの姿だ。
黒き矛が魔王の杖ならば、麻黄の鎧を纏い、魔王の籠手、魔王の脚具を身につけ、魔王の翼と尾を生やし、その上で魔王の冠を戴いた。
「これが、この姿こそが、百万世界の魔王そのものだ」
告げたときには、黒き矛を振り抜いていた。
真横に振り抜き、薙ぎ払う。
ヴィシュタルは、瞬時に飛び退き、距離を取ったが、その残像を切り裂いた斬撃は、そのまま、虚空を両断した。空間に走る断裂は、犠聖の間と外界の境界に聳える分厚い隔壁に巨大な空隙を作り、そこからナルンニルノルの外が見えた。
ただし、一瞬だ。
だが、その一瞬だけでセツナは、状況を理解した。
連合軍対ネア・ガンディア軍の戦況をだ。
連合軍が押されていることがわかったのだ。
悠長にしていられる時間はない。
瞬時に、セツナは、ヴィシュタルを追った。目で追う必要はない。あらゆる感覚が犠聖の間全域を完全に掌握し、大気の流れ、風の動き、気温の変動を捉え、それら膨大な情報によってヴィシュタルの位置を完璧に把握出来ているからだ。
そして、ヴィシュタルを追いかけるのにも苦労はしなかった。翼を羽撃かせれば、レイヴンズフェザーを遙かに凌駕する超加速によって、ヴィシュタルとの間合いを無にする。ヴィシュタルがこちらを振り返るなり、その姿を変じる。
紅い輝きから、白い輝きへ。
直後、セツナが叩きつけるように振り下ろした矛が、ヴィシュタルの眼前で見えない壁に激突し、力の爆発を起こした。シールドオブメサイアの防御障壁がヴィシュタルを護ったのだ。無論、セツナが手を抜いたわけではない。
一秒でも早く決着をつけるべく、力を込めて叩きつけた。
だが、防がれた。
「君が百万世界の魔王なら、ぼくは、百万世界の神となろう」
「なんだって?」
「百万世界の神、だよ」
防御障壁の向こう側で、ヴィシュタルは、微笑む余裕さえ見せていた。
「いっただろう、ぼくはシールドオブメサイアに選ばれたと。君がカオスブリンガーに選ばれたように。魔王の杖の護持者となったように。ぼくもまた、シールドオブメサイアに選ばれた。神理の鏡の護持者となったんだ」
透かさず、彼は呪文を唱えた。結語を。武装召喚の四字を。すると、ヴィシュタルの全身が爆発的な光に包まれた。目を凝らしてその光源を見れば、彼の全身に無数の古代言語が浮かんでいることがわかる。呪文だ。武装召喚術の呪文が浮かび上がっているのだ。
それは、既に完成した術式であり、彼が発した結語によって武装召喚術が発動したことを示していた。
セツナが黒き矛の眷属を召喚したように、ヴィシュタルもまた、さらにシールドオブメサイアの眷属を召喚しようというのだろう。
セツナは、攻撃を躊躇わなかった。
相手が召喚中だろうが、そんなことはどうでもよかった。一刻も早く、ヴィシュタルを斃し、獅子神皇をも斃し、この戦いを終わらせなければならない。そのためには形振り構って等いられないのだ。
だから、セツナは、黒き矛を翳し、全力を込めた。“破壊光線”を撃ち放ったのだ。カオスブリンガーの穂先が竜が顎を開くように変形し、その中から昏き光が迸った。そんなことは、いままでになかった。黒き矛が、カオスブリンガーが真の力をようやく解放してくれた、そんな実感が湧いた。
当然、これまでの“破壊光線”とは比べものにならない威力であり、ヴィシュタルを襲った黒く破壊的な力の奔流は、彼を包む防御障壁ごと遙か彼方へと吹き飛ばした。
そして、空間を爆砕しながら突き進み、犠聖の間の果ての果てへと到達すると、虚空に巨大な穴を穿った。
それは、魔王の力の前では、ナルンニルノルの隔離空間などまったくの無意味だということを示しているのだが。
(うーむ)
セツナは、まるで手応えを感じていなかった。




