第三千五百四十四話 神の涙(四)
「神将も大したことなかったですね」
エインは、残された敵戦力を見遣りながら、告げた。
激戦に次ぐ激戦だった。
もちろん、ナルフォルンの能力によって再現された戦いは、完全なる再現とは言い難いものであることは明白だ。完全無欠に再現されていれば、おそらく、この戦場そのものが変わり果てているに違いない。
そう想像させるほどの戦いが、続いている。
ミリュウ対神将ナルノイア。
ファリア対神将ナルガレス。
そして、ルウファ対神将ナルドラス。
ナルフォルンを除く神将たちと突入組最高戦力三名の戦いは、死闘というに相応しい戦いだったことはいうまでもなかったし、本人たちに聞くまでもなかった。
神将の力は、神に匹敵するどころではないのだ。並の神を遙かに凌駕するといい、だからこそ、ナルフォルンも神将たちの勝ちを信じて疑っていなかったに違いない。
その予想を覆し、見事、ミリュウ、ファリア、ルウファの三人が勝利した。
幸運だった、と、いわざるを得まい。
神将たちと対峙したのが、あの三人だったからこそ、辛くも勝利することができたのだ。ほかのだれでも勝ち目はなかったのではないか。ラグナでさえ、勝てたかどうか。
ファリア、ルウファ、ミリュウの三人は、異世界での修行を終えた三人だ。それは、召喚武装の力を限界まで引き出すことができるようになったということであり、その力が並の神を凌駕する神将を超えたとしても、なんら不思議ではない。
召喚武装とは、異世界の存在を術式によって武装化したものだ。武装化した存在が、神やそれに匹敵する存在だったとすれば、その力を限界まで引き出せるようになれば、圧倒的な力を得られるのも道理なのだ。
故に、三人は神将に勝てた。
「……考え方が逆ですよ、エインくん」
「逆?」
「ファリア様、ルウファ様、ミリュウ様の三名が、神将を上回る力を持っていた。お三方を褒めるべきであって、神将を弱いというのは間違いです」
ナルフォルンのいうことももっともではあった。
神将たちが弱かった、というのは、ファリアたち三人の力をも見くびることになりかねない。強大な敵をより強大な力でねじ伏せたのだから、相手が弱かったわけではなく、こちらが多少なりとも上回っていたというべきだ。
が、エインは、そうはいわなかった。
「そうですかね。俺には、そうは見えませんでしたけど」
「随分と幼稚な挑発ですね」
ナルフォルンは、こちらの考えを見透かしたかのように笑う。挑発など効くわけがない、とでもいわんばかりだ。
「まるで、状況が好転したと想っているかのような口振りですが」
「残された神将はあなたひとりですし、獅徒もあとひとり」
「そのひとりが斃せていないでしょう」
「……時間の問題ですよ」
確かに、獅徒ヴィシュタルとセツナの戦いは、エインが想像していた以上に長引いている。セツナは、当然だが、ファリアたちより強いはずだ。突入組のみならず、連合軍最強戦力がセツナであり、その力が獅徒程度に抑えられるものだとは想っていなかった。
なんなら、セツナがヴィシュタルに圧勝し、突入組のほかの面々を助けに行くものだとばかり想っていたのだ。
だが、現実は違った。
セツナは、ヴィシュタルひとりに食い止められ、立ち往生している。
そして、ナルフォルン。
最後に残された神将は、この戦場にあって、なんら問題なく佇んでいる。
「俺は、あなたを斃せない」
エインは、断言した。
こればかりは、どうしようもなく動かしがたい事実だ。エインは、ただの人間であり、戦闘能力を持たない。もちろん、軍人としてある程度戦えるように鍛錬をしたものだが、それも今や昔の話だ。“大破壊”以来、鍛錬らしい鍛錬は行っておらず、参謀としての活動に全力を尽くす毎日だった。
そもそも、鍛え上げた肉体を使って戦うよりも、頭脳を使って戦うほうが向いているのだ。
その頭脳を使ってナルフォルンを出し抜こうにも、戦術や策を用いるための手駒がない。
マユリ神と合一したことで、神の力を用いることができるようになったものの、この力だけではナルフォルンを出し抜けるとは、とても想えなかった。
「けれども、あなたは敗れ去る」
「どうやって?」
「そりゃあ、俺には味方がいますから」
だれかがここにきて、ナルフォルンを斃してくれるに違いない。
なんとも人任せな考え方だろうか。
内心、苦笑するしかない。
が、それが戦術家エイン=ラナディースの戦い方なのだ。
「ひとりでは戦えない、と?」
「俺は戦術家ですよ。直接みずから戦う戦術家がどこにいますか」
「……まったく、その通りですね」
苦笑交じりに、ナルフォルンがうなずいた。
ナルフォルンも、結局は戦術家なのだ。
だから、エインはこうして生き延びている。
ルウファは、ようやく状況を理解した。
突入組のうち、セツナとエイン(マユリ神)を除く面々がいかにして戦い、勝利したのかについてはつぶさに聞き、それぞれの勝利後、合流できたのは、ナルエルスが力を貸してくれたからということだった。
ナルエルス。
かつてのガンディア王妃ナージュ・レア=ガンディアの成れの果て。
ルウファは、その事実を受け入れるのに多少の時間を要した。
それは、ファリアたちも同様だったに違いない。
ナージュだ。
レオンガンドが愛した妃であり、ルウファたちの主筋に当たる人物。彼女の聡明さもさることながら、慈愛に満ちた振る舞いや分け隔てのない在り様は、ルウファたち《獅子の尾》の隊士のみならず、王家と臣民の繋がりを強固なものとするのに大いに力を発揮したものだった。
レマニフラという異国から嫁いできた身でありながら、ガンディアのため、レオンガンドのために尽くす姿は、多くの国民の心を打ち、愛され、敬われた。
ルウファも、そんなひとりだ。
故にナージュが“大破壊”を生き延び、ガンディア再興のために活動していると知って、なんとしてでも協力したいと想ったのだが。
そんな彼女がネア・ガンディアと合流したという話を聞けば、落胆もしたものだ。が、獅子神皇がレオンガンドである以上、その側にいたいと想い、願うのは、王妃として、妻として、当たり前の感情なのかもしれなかったし、ナージュを責めることなどだれにもできなかった。
なのに。
(どうして……)
どうして、ナージュは、ナルエルスと成り果てたのか。
その名前からして、神将と同等の存在であることは疑いようがない。神将と同等の力を持っているのかはわからないが、特別な能力を持っていることは確かなようだ。隔絶された領域を行き来できるのだから、それだけでも十分に特別といっていいだろう。
さらにナルエルスは、隔絶された領域内部の光景を映し出すことができた。
エインと神将ナルフォルンの戦闘や、セツナと獅徒ヴィシュタルの戦闘を拝むことができるのも、ナルエルスのおかげだった。
そこで疑問に想うのは、なぜ、ナルエルスは突入組に協力してくれているのか、ということだ。
(神の涙……か)
ナルエルスは、みずからをそういったのだという。
神の涙、と。
それがナルエルスという名前の意味だとすれば、そこに込められたなにかを感じ取ることもできよう。
(神の涙……)
ルウファは、激戦を繰り広げるセツナを横目に、ナルエルスの横顔を見つめていた。
ガンディア王妃ナージュの面影を多分に残した異形者の横顔。
そのまなざしは、癒えることのない哀しみを帯びていた。




