第三千五百四十一話 神の声を響かせるもの(十一)
「いま、この世界は俺のものだ」
ルウファは、力強く宣言すると、ナルドラスへと飛びかかっていった。
ナルドラスの“神の声”によって出現した五種類の武器など、もはや眼中になかった。すべて掌握し、支配し、動きを止めてしまったのだ。こうなった以上、それらがルウファを攻撃することはできない。たとえ、“神の声”で再び動き出すようなことがあったとしても、そのときは、また動きを止めてしまえばいいだけのことだ。
いまのルウファならば、それができる。
ルウファは、いまや、この天声の間を完全に支配しているといっても過言ではないのだ。
天声の間の地上を埋め尽くす翼の数は、とっくに数えられる量ではなくなっていたし、いまもなお増大し続けている。翼が羽を散らし、羽が翼へと変化しているからだ。翼は地上のみならず、空中にも咲き乱れ、彼方の天井をも覆い尽くしている。
それらすべての翼が、ルウファとシルフィードフェザーの力となっているのだ。
力の充溢を感じる。充ち満ちて、溢れんばかりの力は、ぼろぼろの肉体を支えるのには十分過ぎたし、それだけには留まらない。肉体を幾重にも強化し、身体能力を向上させ、あらゆる感覚器官を研ぎ澄まさせる。
神にでもなったかのような全能感があった。
「なにをいうかと想えば」
ナルドラスが一笑に付した。一瞬にして冷静さを取り戻す辺り、さすがは神将というべきなのだろう。
『この領域は我が物ぞ』
五重の大音声は、しかし、響き渡らなかった。ナルドラスの周囲に押し留まり、ルウファの耳に聞こえたのは、その聴覚が極限まで強化されていたからにほかならない。
だから、なにも起こらない。
いや、変化はあった。
ただし、ナルドラスの周囲、限られた領域だけで、だ。
ナルドラスの周囲四方が、彼の領域となった。ただ、それだけのことだ。つまり、ルウファとシルフィードフェザーの支配から脱却し、ナルドラスの支配下になったということだが、それがどういうことかといえば、ルウファたちの支配力のほうが圧倒的だということを示している。
なぜならば、ナルドラスが全力でもって発したはずの“神の声”が、天声の間全体に作用するどころか、彼の周囲にしか作用しなかったのだ。
要するに、ナルドラスの周囲以外の領域は、すべて、完全にルウファたちの支配下にあるのだ。
「これは……」
「いかに“神の声”といえど、届かなければ、聞こえなければ意味がないな」
ルウファは、ナルドラスの頭上に到達すると、右手を振り下ろした。手の先に収束した風の力が長大な刃となり、ナルドラスに襲いかかる。ナルドラスは、瞬時に反応し、戦斧を振り上げた。風の刃と戦斧が激突し、風力と神威がぶつかり合う。
苛烈としかいいようのない力の衝突。
物凄まじい反動が起こり、嵐のように逆巻いた。
だが、ルウファは微動だにしない。
支配した世界がルウファを護り、後押ししてくれている。莫大な力が際限なく流れ込んできているのだ。こうなった以上、神将相手にさえ力負けしない。それどころか、押している。
「なんと」
ナルドラスが唸ったのと同時だった。
風の刃が戦斧を切り裂き、ナルドラスの左肩に切り込んだのだ。ナルドラスが吼えた。
『波動よ!』
翼の巨人を崩壊させた“神の声”だ。
崩壊の連鎖を引き起こす波動。
まさに“神の声”と呼ぶに相応しい力であり、喰らえば、ルウファといえどただでは済むまい。
「聞こえないな」
ルウファは、ナルドラスの声によって生じた音波を膨大な風の力で抑え込むと、風の刃に左手を添えた。両手で握り締め、振り抜く。ナルドラスの巨躯を左肩から切り裂いていけば、当然、胴体の獅子の顔にも切り込んでいくことになる。
異形の獅子の顔面を斬る。
なんの問題もない。
なぜならば、いまやルウファの力は、通常とは比較しようもないほどに強大であり、絶対的といっても言い過ぎではないからだ。
『天地逆巻き崩壊せよ!』
ナルドラスの五つの口が咆哮し、“神の声”が聞こえる中、ルウファは、冷静に風の刃を振り抜いていった。斬撃が奔り、胴体に鋭い切り口が入っていく。だがしかし、それだけでは、ナルドラスにとっては掠り傷程度にすらならない。すでに左肩の切り口は塞がっていたし、胴体の傷もすぐに元通りになるだろう。切り裂いた側から復元しているのだ。
“核”を破壊しなければ、ならない。
でなければ、ナルドラスは無限に近く再生し、復元することだろう。そして、その力にも際限はない。
もちろん、そんなことはルウファもわかりきっている。
ルウファが風の刃で斬りつけたのは、この状態での攻撃がナルドラスに通用するかどうかを確かめるためであり、通用することが確認できた。
振り抜いた両手を放し、風の刃を霧散させる。
「無駄に終わったな」
「いまの攻撃は、な」
ルウファは、涼しい顔で告げると、両腕をゆっくりとナルドラスに向けて掲げた。風が、大気が、腕の動きに合わせて動き出す。天声の間に充ち満ちた莫大な風の力が、一点に収束する。
「俺の攻撃は終わらない。神将ナルドラス。おまえを斃し、滅ぼすまで」
そう言い切った直後、風圧がナルドラスを襲った。鋭く強烈な衝撃波が、ナルドラスの巨躯、その右肩に叩きつけられ、肩の顔を粉砕した。つぎの瞬間には再生が始まったものの、そのときには、まったく別の部位が衝撃波によって打ち砕かれている。
それだけには、留まらない。
ナルドラスを全周囲、あらゆる角度、あらゆる方向から襲いかかるのは、極限まで強化した風弾であり、その一撃は、神将の強靭無比な肉体を容易く粉砕した。装甲を破砕し、肉体を貫通し、さらに炸裂することで被害を広げる。
四方八方から止めどなく殺到する衝撃波の数々が、ナルドラスの圧倒的な巨躯を蹂躙していく様は、なんともいいようがないほどに鮮烈だった。
『こんな……馬鹿な……ありえぬ……ありえぬ……ぬおおおおおおおおおおおおっ!』
破壊されては再生し、復元しては粉砕されながら、ナルドラスが呻き、吼えた。
“神の声”は、もはやどこにも響かない。
響き渡らなければ作用しない以上、ナルドラスには状況を覆す手立てはなかった。
そして、破壊の速度が再生の速度を上回っていく中で、ルウファは、ナルドラスの腹部に“核”を見出した。その瞬間、ルウファは、風になった。ナルドラスの懐に飛び込み、腹を撃ち抜き、“核”を貫いたのだ。瞬時に崩壊し始めた背中を突き破ってその巨躯を脱出すれば、戦いは終わった。
ナルドラスに殺到していた風弾の嵐もまた、止む。
ルウファが止めた。
振り向けば、ナルドラスの巨躯が半壊状態のまま、再生しなくなっていた。崩壊が始まっている。
“核”を失ったのだ。
当然の結果であり、ルウファが求めていた結末だ。
(求めていた? 俺が?)
ルウファは、茫然と、自問した。
ナルドラスの“真聖体”が、ゆっくりと崩壊しながら、地上に落下していく。
(こんな結末を……?)
ルウファは、ただただ、ナルドラスの巨体が翼の大地に沈んでいく様を見ていた。




