第三千五百四十話 神の声を響かせるもの(十)
「まだ、これほどの力を隠し持っておったとはな!」
翼の巨人の足を急激に巨大化した戦斧で受け止めて見せると、ナルドラスが吼えるようにいってきた。
「我が息子ながら、あっぱれというほかないが……しかし」
ナルドラスの膂力は凄まじく、体躯の何倍、いや何十倍はあろうかという翼の巨人の全体重を乗せた踏みつけ攻撃をものともしなかった。それどころか、押し返そうとさえしてきており、ルウファは、圧倒されかけた。
「全力を出すのが遅すぎなのではないか?」
「砕け散れ」
「燃え尽きよ」
「吹き飛べ」
「消え去れ」
足の向こう側から朗々と響き渡った“神の声”が、翼の巨人の巨大な足を一撃の下に粉砕し、燃やし尽くし、吹き飛ばし、消滅させていく。足だけではない。足首、脛、膝までもが四重に響いた“神の声”の影響下にあり、尽く消し飛んでいった。
(その通りだ)
とはいえ、ルウファは、落ち着いていた。
この能力は、極めて強力だったし、神将ナルドラスを打倒するための切り札になることは端からわかっていた。
だが、強力無比であるということは、代償も大きいということでもある。
召喚武装の能力を行使するには、対価が必要だ。召喚武装によって血を求めることもあるそうだが、ほとんどの場合は精神力を代価とする。行使する能力に応じた量の精神力を差し出すのだ。シルフィードフェザーの能力の行使においても、精神力を代価とした。
しかし、この能力は違う。
最終試練を経て、会得したこの能力は、シルフィードフェザーのすべての力を引き出すものであり、そのための代償は高くついた。
命を削る必要があるのだ。
(おいそれと使えるものじゃあないんだ)
命を削るほどの能力を簡単に使うほど、ルウファは愚かではない。この能力を使わずに斃せるのならば、それが一番だったし、そのために全力を尽くした。精神力の消耗だけで済むのならそれに越したことはない。だが、しかし、通常の方法だけでは、ナルドラスを上回ることは出来なかった。“真聖体”に変じさせただけ、よしとするほかない。
故に、命を削る覚悟をした。
命を削り、命を芽吹かせる。
翼を。
実際、翼は際限なく芽吹き、戦場を白くまばゆく塗り替えている最中だ。ナルドラスの“神の声”によって吹き飛ばされた右足だが、その際に舞い散った無数の羽、その一枚一枚が苗床となって翼が生まれ、新たに誕生した無数の翼は、失った巨人の足を瞬く間に元通りに復元して見せた。
その光景を目の当たりにしたナルドラスは、さすがに唖然としたようだった。
もっとも、それも一瞬のことだ。
つぎの瞬間には、気を取り直したナルドラスによる五重詠唱が響き渡り、翼の巨人に大打撃を与えていた。
「雷霆よ」
「業火よ」
「霧氷よ」
「颶風よ」
「光芒よ」
五つの“神の声”が発生させた事象は、翼の巨人の右足を打ち砕いただけには留まらず、左足を灼き尽くし、左腕を氷漬けにし、右腕を吹き飛ばし、頭部を消し飛ばした。だが、それでは決定打にはならない。散った羽の数だけ翼が増えて、またしても翼の巨人が増強される。完全に消滅した翼の数よりも、増殖した翼の数のほうが遙かに大きいのだ。
それら翼のすべてが巨人の手足となり、頭となり、肉体となるのだから、ますます巨大化していくだけだ。
ナルドラスの攻撃は、凶悪極まりないが、だからといって翼の巨人には致命傷を与えることも出来ない。
ルウファは、翼の巨人の右腕を振りかぶると、全力を込めて、ナルドラスに殴りかかった。指先だけでナルドラスの体躯を超えようかという巨躯、その全力を込めた拳の一撃は、大気を揺さぶり、大地を震えさせながら、ナルドラスへと襲いかかる。
『波動よ』
そのとき、ナルドラスの五つの口が異口同音に吼えた。
すると、翼の巨人の右拳、その先端から崩壊が始まった。崩壊は、ただ、翼で構成された体をばらばらにしていくだけではなかった。翼を崩し、羽までもばらばらにしていく。
拳から手首、前腕、肘へと崩壊が伝播し、さらに肩まで至ると、胴体をも襲った。
「羽から翼が生えるというのならば、羽までも崩壊させるまでよ」
ナルドラスの声が響き渡る中、ルウファは、冷静さを失っていなかった。
(そもそも、だ)
ルウファは、翼の巨人の胴体から全身へと広がっていく崩壊の連鎖を感じながら、思った。
(この能力の本質は、こんな巨人なんかじゃあない)
翼の巨人は、この能力の試運転のようなものだ。
翼を芽吹かせ、翼を制御し、翼を支配する。
どこまで上手くできるのか、それを試すための翼の巨人。
こんなものでナルドラスを斃せるとは、ルウファも想ってはいなかったし、容易く撃破されることは織り込み済みだった。
やがて崩壊の波動が、ルウファを包み込む翼の要塞へと作用し始めると、彼は、すぐさま要塞の外へと飛び出した。空を飛び回るには、翼が必要だ。そして、その翼は、戦場に充ち満ちている。空を飛び回るのに、なんの制約もなかった。
巨人の体内から飛び出してみれば、辺り一面、純白に染まっていることがはっきりと見て取れた。
隔絶されながらも遙か彼方まで続くような広大な領域、その地面を、床を、数え切れない数の翼が埋め尽くしていて、まるで白い草花に覆い尽くされた草原のようだった。
それら大地を埋め尽くす翼が、ルウファとシルフィードフェザーの力となる。
たとえ、翼の巨人の巨躯が完全に崩壊し、その巨体に費やされた翼のすべてが完璧に消滅したのだとしても、なんら問題がなかった。あの程度の巨人ならば、何体でも作り出せるくらいの翼が戦場に存在し、ルウファに力を与えている。
「素のままの姿で飛び出してくるとは、愚かな!」
「それは違う」
ナルドラスが吼えるのを聞きながら、ルウファは、小さく否定した。確かに、素のままであれば愚かとしかいいようがないのだが、そうではない。そうではないのだ。
「天帝の剣よ」
「海神の槍よ」
「雷王の鎚よ」
「地霊の斧よ」
「炎魔の鎌よ」
“神の声”が響き渡り、五種類の攻撃がルウファに殺到した。
天帝の剣は、凝縮された空気の塊であり、それが巨大な剣となっていた。
海神の槍は、押し寄せた強烈な水流が槍の形に収束したものだった。
雷王の鎚は、降り注いだ雷の雨が一カ所に集まってできた巨大な鎚だ。
地霊の斧は、地中よりせり上がった岩塊から出現した金属の塊であり、それが斧の形を成した。
炎魔の鎌は、どこからともなく噴き出した紅蓮の炎が巨大な鎌となったものだ。
それらが様々な方向から一斉に襲いかかってきたのだが、ルウファは、落ち着いたものだった。冷静に状況を把握し、それらが物理現象であることを認識した。“神の声”は、まるで奇跡のように様々な事象を引き起こしているが、それらはすべて物理現象であり、故に対処が可能なのだ。
「世界は止まる」
ルウファがそう宣言した瞬間だった。
ルウファに殺到していた五つの巨大な武器が、すべて、動きを止めた。まるで時間が止まったように、微動だにしなくなった。
「なっ……!?」
ナルドラスが初めて驚愕の声を上げたのは、さすがの神将にも想定外の事態だったからだろう。




