第三千五百三十六話 神の声を響かせるもの(六)
破壊に次ぐ破壊。
凄まじいまでの風圧が破壊を起こし、破壊が風圧を生み、風圧が破壊を起こす。絶え間ない破壊の連鎖。破壊、破壊、破壊。吹き荒ぶ暴風は、ただただナルドラスの巨躯を蹂躙し、その全身を徹底的に傷つけ、損壊し、打ち砕き、破壊していく。
今現在のルウファが発揮できるすべての力を叩き込んだのだ。すべての翼が生み出せる風力の限界まで引き出した。そして、それによって生み出した破壊の連鎖は、たとえ相手が神将だろうと関係なく猛威を振るい、暴威となって吹き荒れ、周囲に存在するなにもかもすべてを飲み込みながら、爆発的な勢いで膨れ上がっていく。
「これが……」
ナルドラスの声が、破壊の嵐の中でもはっきりと聞こえた。物凄まじい暴風は、周囲の音とという音すら破壊し、ルウファの耳に届かせない。しかし、ナルドラスの声だけははっきりと、一字一句逃すことなく聞こえるのだ。
「これがおまえの全力か」
どこか残念そうな、期待外れとでもいわんばかりの声音に、ルウファは、いいようのない憤りを覚えながら、あらん限りの力を注ぎ込み続けた。ナルドラスの体は破壊され続けている。神将が誇る圧倒的な復元速度をも凌駕する破壊の連鎖は、既に両腕と両脚を粉々にしてしまっていて、残すところ頭部と胴体だけだった。
つまり、“核”が頭部か胴体のいずれかに在るということであり、その“核”を破壊できれば、この戦いは終わるということだ。
そう想ったとき、ルウファの脳裏に嫌な予感が過ぎった。
ナルドラスの頭部が残っていて、その声がはっきりと聞こえたのだ。その事実が導き出す結論はただひとつ。
「弱い。温い。甘い。この程度の力では、わたしを滅ぼすことなど不可能」
ナルドラスが、いった。するとどうだろう。打ち砕いたはずの両腕と両脚が瞬く間に再生していったものだから、ルウファは、瞠目せざるを得なかった。
「……せめてもの情けだ。本当の力というものを見せようではないか」
ナルドラスの声が響き渡る中、その満身創痍といってもよかったはずの巨躯があっという間に元通りに戻ると、全身からまばゆいばかりの光が放たれた。
ルウファは、瞬時に攻撃の手を止めると、破壊の風圧を移動に利用した。全力の回避行動によってナルドラスから飛び離れると、神威の光が嵐のように逆巻いて、ナルドラスの周囲を蹂躙していった。神々しくも破壊的な光の嵐。
攻撃を続けるためにあの場に踏み止まっていれば、間違いなく巻き込まれ、致命傷を受けていただろう。
判断は正しかった。
しかし、その正しさは、口惜しさにも繋がるのだ。
(通用しなかった……のか)
ルウファは、全身全霊の攻撃がナルドラスに一切意味がなかったという事実に打ちのめされ、歯噛みした。現状、出来うる最大最強の攻撃手段だったのだ。それが無駄に終わった。一瞬、通用したと思っただけにその心理的影響は極めて大きく、彼は、悔しさの中でナルドラスの変貌を見届けるしかなかった。
変貌。
そう、変貌だ。
吹き荒ぶ神威の光の中心で、ナルドラスの巨躯は、さらに巨大化していた。しかもただ巨大化したわけではなかった。先程までは人間時代とそれほどかけ離れた姿をしていなかったが、この度の変貌によって、人間とは大きく異なる姿へとなっていた。まさに怪物であり、化け物と呼ぶに相応しい。
異形の巨躯は、長く太い腕と足、分厚くも厳つい装甲に覆われた胴体で構成されている。頭がなかった。代わりといってはなんだが、胸部に異形の獅子の顔の飾りがあり、それは、両方の肩当てと左右の膝当てにもあった。それらがまるで生きているように思えたのは、微妙に動いているからだろう。
神斧ガンドゼイアも巨大化しており、より凶悪そうな形になっていた。
背後には、黄金色の炎が燃え上がっており、それはさながら獅子の鬣のようでもあった。
「これが我が真の力、我が“真聖体”よ」
ナルドラスの朗々と響く声は、胸部の獅子の頭の飾り、その口から発せられたものであり、ルウファは、なんともいえない感覚に襲われた。
「……とうとうひとの姿であることも捨てたか」
目の前の異形の怪物が、アルガザードの成れの果てなのだ。父の。ルウファの胸中に渦巻く複雑な感情は、まるで嵐のようであり、握り締めた拳の中で爪が食い込んでいった。あれをアルガザードと認めたくはなかった。
最期まで人間として生き、人間として死んだ父が化け物となって立ちはだかるなど、だれが認めたいというのか。
「ひとの姿、人間の形に拘る必要が何処にある」
そういってきたのは、右肩の口だ。
「すべては陛下の御為。陛下の夢が為」
つぎに左肩の口。
「そのためにすべてを尽くし、すべてを捧げ、すべてを全うする」
右足の口が言葉を発すれば、
「それがバルガザール家の務め」
左足の口もまた、厳かに告げてきた。
ナルドラスの“真聖体”には、五つの獅子の顔があり、その五つの口がそれぞれに言葉を発することが可能だということがわかった。
そしてそれはつまり、
(“神の声”も同じか?)
だとすれば、とんでもない強敵だといわざるを得ないが、そもそも、通常のナルドラスの時点で比類ないほどの強敵だったのだから、大した違いはないかもしれない。
神将は、並の神々よりも遙かに強い。
それは、疑いようのない事実だ。
そんな神将の真価が“真聖体”によって発揮されるというのだろうが、だとすれば、ルウファがこれまでと同様に戦えるものか、どうか。
「忘れたわけではあるまい、我が子よ」
ナルドラスの声とともに神威の光の嵐が収まっていく。
ルウファは、ナルドラスを見据えるだけで、なにもいわなかった。
バルガザール家は、ガンディアにおける武門の名家。多数の騎士を輩出し、将軍に上り詰めたものも数多く、いる。アルガザードがそうであったように、だ。バルガザール家をして、武門の棟梁と呼ぶ声も少なくなかった。ガンディアにおける武とはバルガザール家のことをいうのだ、と。
バルガザール家に生まれた以上、王家に忠を尽くし、主君がため、ガンディアがため、その身命を賭すのは当然のことだった。
それがすべてだと、教わった。
物心ついたときには、それを理解していた。
そのためだけに生き、そのためにだけに死ぬ。
それがバルガザール家の人間の生き様であり、それ以外に道はなかった。
ルウファも、そう生きて、そう死にたかった。
けれども、騎士にはなれなかった。
才能がなかった。
どれほど努力をしても、騎士にはなれない。兄のようには行かない。父のようになど、なれようはずもない。
バルガザール家の人間なのに。
バルガザール家の人間の生き様を全うしたいだけなのに。
それすら、満足に出来ない。
だから、武装召喚術を学んだ。
武装召喚術を学び、力を得た。
それがバルガザール家の人間に示される道程から離れることになったとしても、構わなかった。
力が欲しかった。
騎士になれずとも、バルガザール家に生まれたものとして、ガンディア王家に尽くすための力が欲しかったのだ。




