第三千五百三十五話 神の声を響かせるもの(五)
みずからが生み出した風力と、ナルドラスの神斧ガンドゼイアが激突した反動が、ルウファの体を大きく吹き飛ばした。
ナルドラスとの距離が瞬く間に離れ、遠ざかっていく。
しかしそれは、ルウファの目論見通りだった。
ナルドラスを斃すには、現状、遠距離攻撃では駄目だということがわかっている。
シルフィードフェザーは、距離を選ばない召喚武装だ。特に得意としているのは、風を制御する能力や羽の弾丸を利用した遠距離からの攻撃というだけのことであり、中距離も近距離もそつなくこなせた。万能兵器というのは、言い過ぎだろうが、距離や状況を選ばないのは、召喚武装としては理想的だろう。
だが、ナルドラスに対しては、遠距離攻撃では致命的な一撃を与えることが難しく、故に近距離戦闘を挑まなければならない。さらに至近距離から全力の攻撃を叩き込み、“核”を破壊する必要もある。ただ、近距離戦闘を挑めばいいというわけではないのだ。
“核”を破壊できなければ、先程のようなことが起こるのだ。
“神の声”による空間転移でもって距離を取り、神将の生命力によってどのような重傷も瞬く間に回復してしまえば、どれだけ致命傷を与えても意味がない。
神兵が“核”の有る限り無限に回復し、無限に行動するように、神将もまた、“核”有る限り不滅であり、力尽きることもないに違いない。
持久戦になるようなことがあれば、圧倒的に不利なのはルウファのほうだ。ただの人間であるルウファには、体力も精神力も限界がある。
確かにシルフィードフェザーの維持や能力の行使による精神力の消耗は抑えられている。最終試練を乗り越えたからだ。異世界でのシルフィードフェザー本人による試練を終えた結果、シルフィードフェザーを真の意味で理解し、力の使い方を完璧に把握できたのだ。そのおかげもあって、極めて効率的な能力の行使が可能となった。
精神力の消耗を最小限度まで抑えることができるようになったのだ。
これにより、シルフィードフェザーを召喚した状態での戦闘時間は、何倍にも膨れ上がった。
それは、同じく最終試練を終えたファリアとミリュウも同じだろう。
だが、ルウファは人間なのだ。いくら消耗を抑えられたからといって、消耗しないわけではないのだ。戦い続ければ、いずれ力尽きるのは間違いない。
長期戦は不利。
なればこそ、短期戦を臨むしかないのだが、かといって、相手の間合いで、相手の意に沿って戦うのも、よくない。
だから、ルウファは、わざと距離を取った。仕切り直したのだ。
吹き飛ばされながら、より遠く離れるように周囲の空気を制御した。
あっという間にナルドラスが豆粒ほどの大きさになった。
もちろん、その間、攻撃の手を止めていたわけではない。吹き飛ばされている間も、羽弾をばらまき、ナルドラスを攻撃していたのだ。羽弾をどれだけ飛ばそうと、それでナルドラスを傷つけることすらできないことはわかっている。しかし、羽弾を処理するだけの時間を稼ぐことはできた。
時間と距離。
いまのルウファには必要不可欠なものだ。
そして、ナルドラスがすべての羽弾の処理を終える前に体勢を立て直すことに成功する。すると、ナルドラスが挑発するようにいってきた。
「どうした? 我を斃すのではなかったか?」
「斃す。斃すさ」
ルウファは拳を握り締めながら、言い返した。血反吐を吐くような気分だった。
(俺が……)
極めて不愉快な気分だった。心の中では、いまも様々な感情がせめぎ合っている。理屈では、わかっているのだ。相手は、化け物だ。父親などではない。父は死んだのだ――と。だが、感情は、そういうわけにはいかない。
感じるのだ。
ナルドラスからアルガザードの気配を確かに感じる。声だけではない。感情が、心が、アルガザードそのひとだった。
だから、ナルドラスがなにか一言発するたびに、ルウファの心は揺れた。
(父上……あなたを斃す)
何度覚悟しても、何度決意しても、ルウファは、非情に徹しきれなかった。
感情がなければ、心がなければ、どれほどよかったか。
ルウファは、想う。
感情があるから心が揺らぎ、心があるから決意が鈍る。覚悟が歪む。
だれもが命を懸けて挑んでいるというのに、自分だけがこのような有り様でいいはずがない、ということもわかっているし、だからこそ、戦い続けているのだが、心のどこかで冷酷になれない自分がいることを認めるしかなかったし、どこかに救いを求めていることも否定できなかった。
救い。
そんなものがこの戦いにあるわけがないことも、理解しているというのにだ。
それでも、諦めきれない。
ルウファは、胸中、頭を振った。
(覚悟しろよ、ルウファ)
ナルドラスが大斧を大上段に掲げた。斧刃に神威が収束していく。その神威の膨大さに周囲の空間が歪んで見えた。いままでにないほどに強大な力が集まっているのだ。
(おまえは、なんのためにここにいるんだ。おまえは、なぜ、ここに来たんだ)
自問する。
この最終決戦の地にいる理由。
ただ、流されるまま、ここにきたというわけではない。
全部、自分の意志で決めたことだ。
(戦うためじゃないのか。戦って、勝つためじゃないのか)
再び、拳を握る。強く、爪が皮膚に食い込むほどに烈しく。
(勝って、帰るんだろう)
脳裏に愛するひとの顔が浮かんだ。
(エミルの元に)
そう想ったとき、ルウファは、吼えている自分に気づいた。恐らく、ずっと前から叫んでいたのだろうが、聞こえていなかった。叫び、吼え、力を発する。シルフィードフェザーの翼をさらに増やすことで、力そのものをさらに高め、現状の限界まで引き上げる。
ナルドラスが、虚空を蹴った。するとどうだろう。その豆粒ほどの姿がルウファの視界から消えて失せ、圧倒的な存在感ともいうべき殺気が頭上に現れた。
「我は此処に在り!」
空間転移を意味する大音声が後から聞こえてきたのは、どういう理屈なのか、ルウファにはわかるはずもない。
ただし、反応できないわけではなかった。
神将の力はあまりにも大きすぎて、その存在感を隠すことなど出来ないのだ。空間転移で頭上を取ったところで、その強大な圧力を感じ取れないはずがなかったし、実際、ルウファは、その気配に反応し、両手を翳した。
まず、風の結界がナルドラスの神斧を受け止める。が、容易く断ち切られると、何十枚もの翼がつぎつぎと盾となり、壁となり、神斧の前に立ちはだかる。それらもあっという間に切り裂かれれば、ルウファの両手の先に集めた風力の塊が大斧と激突した。力と力の衝突が、凄まじい反動となってルウファの両腕を伝い、全身を駆け抜ける。
「同じことを!」
「するとでも!」
ルウファは叫び、残るすべての翼を最大限に広げて見せた。何百枚ものシルフィードフェザーの翼が、ルウファと、ナルドラスを包み込んでいく。
そして、シルフィードフェザーの力がナルドラスに集中していった。
「これはっ……!?」
ナルドラスがルウファの目論見に気づいたときには、もう遅い。
猛り狂う風が、ナルドラスの全身を徹底的に破壊した。




