第三千五百三十三話 神の声を響かせるもの(三)
(いや……待てよ)
ルウファは、眼下、地上を接近してくる歩兵の群れと、その遠方より矢を放ってくる弓兵の数々を見遣りながら、思考を巡らせていた。
ナルドラスには、遠距離からの攻撃がほとんど無意味だということは、わかっている。おそらく、全身全霊の力を込めた攻撃を放ったところで、無力化されること請け合いだ。
ナルドラスには“神の声”があるのだ。
“神の声”は、発言内容そのものを実現させる能力、ではない。言葉から連想される事象を引き起こす能力なのだ。雷雲の一言で雷雲が生み出されたが、剣の林では、剣が林のように出現したわけではなく、剣を持った歩兵が数多に出現した。同様に、矢が雨の如くといえば、弓兵が多数出現した。
こちらが遠距離から攻撃を行ったとして、ナルドラスに到達するまでに“神の声”によって無力化される可能性は極めて高い。たとえそうでなくとも、ナルドラス自身の遠距離攻撃手段によって相殺されるかもしれないのだ。
ルウファ自身がナルドラスの竜巻を相殺して見せたように。
だから、遠距離からではなく、至近距離――それこそ、ナルドラスの死角から最大威力の攻撃を叩き込む以外にはないと考えていたのだ。そのために接近を試みた途端、ナルドラスは、こちらの考えなどお見通しといわんばかりに兵の群れを出現させた。
もちろん、兵士たちは人間などではない。神兵ですらないことは、その姿を見れば明白だ。実体を持った幻像、とでもいうべきか。確かな肉体はなく、幻影が鎧兜を身に纏い、剣や弓、盾を掲げているようなものだ。しかし、武器は実体を持っているため、矢は相手を射殺せるし、剣もまた、相手を斬殺し得えた。
当然、こちらの攻撃が効かないわけではあるまい。
ルウファは、殺到する矢の尽くが風の結界に弾かれた瞬間を見計らって、防御障壁を解いた。同時に翼を羽撃かせ、地上に巨大な大気の渦を生み出す。超巨大竜巻が、ルウファとの距離を詰めようとしていた歩兵の群れを引き寄せ、飲み込み、打ち上げていく。さらに、ルウファに飛来しようとしていた矢もほとんどすべてが超巨大竜巻に吸い寄せられた。
(うむ)
ルウファは、兵士たちには遠距離攻撃だろうがなんだろうが通用するはずだという持論がまさに正解だったことに自信を持つと、超巨大竜巻を制御し、敵陣へとその進路を向けさせた。ルウファとナルドラスの布陣の間に出現した超巨大竜巻は、まさに風の障壁であり、弓兵がどれだけ懸命に矢を番え、矢を放とうとも、一切、ルウファには届かなかった。矢はすべて、竜巻に吸い寄せられてしまうからだ。
そして、超巨大竜巻が弓兵の尽くを吸い込み、空高く打ち上げながらばらばらにしていく光景は、爽快というほかなかった。
が、そこまでだった。
超巨大竜巻が突如としてその圧倒的な力を失ったのは、盾兵たちが大盾を掲げて見せたときだった。大盾が輝くと、超巨大竜巻が前進を止めた。竜巻とナルドラスの陣地の間に分厚い壁が出現したかのようであり、竜巻は、そのまま力を失っていったものだから、ルウファは、苦い顔をせざるを得なかった。
盾兵の防御能力は、それだけで、歩兵や弓兵の能力を大きく上回ると見ていい。
なにせ、超巨大竜巻で吸い寄せるどころか、撥ね除けて見せたのだ。
盾兵の護りを突破しなければ、ナルドラスには到達できないのだが、それが決して容易いものはないことが判明したわけだ。
そのとき、ナルドラスが戦斧を大上段から振り下ろす様が見えた。ルウファは、咄嗟に右に飛びながら、ナルドラスとの距離を詰めつつ、さきほどの竜巻にも負けないほど巨大な衝撃波が真横を擦り抜けていくのを感じた。全身が粟立つような感覚。神威が駆け抜けていったからだ。
ルウファは、透かさず、無数の羽弾を放った。様々な軌道を描く羽弾の数々が敵陣に殺到するも、盾兵の防御障壁の前には、意味を為さなかった。見えない壁に激突し、力なく落下する羽の数々。だが、それで諦めるルウファではない。間髪を容れず風弾を撃ち出し、防御障壁に叩きつける。やはり、無駄に終わった。すべての風弾が障壁に激突し、炸裂しただけに終わる。
距離は、もはや眼前というところにまで迫っていた。
「陣を突破せねば、我には届かぬぞ」
「いわれずとも」
わかりきったことだ、と、ルウファは、内心、吼えるように想った。
そして、つぎの瞬間、ナルドラスを取り囲むすべての盾兵を同時に打ち上げて見せた。
「ほう」
ナルドラスが感嘆の声を上げる中、ルウファは、為す術もなく空中高く放り投げられた盾兵たちが、真下から飛来した羽弾に貫かれ、消滅する様を見届けた。
一見無意味にしか見えなかった盾兵への絶え間ない攻撃の数々は、盾兵の弱点を探し出すためのものだったのだ。弱点など存在するのかどうか不明だったが、歩兵や弓兵の有り様を見れば、“神の声”が作り出した兵士が絶対無敵の存在ではないことは明らかだった。なにかしら、弱点なり欠点なりはあるはずだ、と、ルウファは踏んだ。
そして実際、盾兵には明確な弱点が存在した。
それが真下だ。
盾兵の防御障壁は確かに強力で、分厚く、巨大だった。まるで全周囲を覆うように見えるほどだったが、覆っていたのは前面だけであり、真上と真下、そして背後はがら空きのようだった。ただし、上方に向かって極めて長大な防御障壁であり、他の盾兵との連携によって紡がれていた防壁の陣形は、真上から攻撃するには不向きだった。
だから、ルウファは、兵士たちの真下、地中から羽弾を飛ばすことで、その弱点を突くことに成功したのだ。
すべての盾兵を打ち破れば、残すところは、ナルドラスだけだ。
「やるではないか」
「この程度では、俺は止められないし、止まらない」
ナルドラスが戦斧を振り回してきたのを間一髪で屈んでかわすと、衝撃波が頭上を通り抜け、背筋が凍るようだった。一瞬でも反応が遅れていれば、真っ二つになっていただろう。が、怯まず、前に進む。ナルドラスは、もはや眼前。
踏み込み、距離を詰めれば、ナルドラスは、笑っていた。
「なにがおかしい!」
「いいや、愉しいのよ!」
「愉しい、だって?」
ルウファは、ナルドラスが呵々と笑う様になんともいえない感情が沸き上がってくるのを認めた。怒りだけではない。哀しみもあれば、様々な感情が複雑に絡み合い、意識に絡みつく。振り払うことなど、できるわけがなかった。
だから、飛び込む。
全身全霊の力を込め、すべての翼の力を解き放ち、加速する。間合いは、一瞬で無に帰した。ナルドラスの懐に潜り込み、その腹部に両手を重ねるようにして、当てる。速度では、ルウファのほうが遙かに上回っていることは、いうまでもない。
「こんなもの――」
腹部装甲に当てた両手からすべての力を解き放つ。
シルフィードフェザーのすべての翼から凝縮した風の力が、一瞬、極めて小さい球になった。かと思えば、つぎの瞬間、凄まじい爆発力を生んだ。




