第三千五百三十二話 神の声を響かせるもの(二)
(油断?)
ルウファは、全速力で飛び退きながら、内心愕然たる声を上げた。
(そんなこと、するわけがない!?)
相手が相手なのだ。自身の実力を過信することもなければ、過小評価できるような相手ではない。これまでの戦闘でわかったのは、いまはまだ相手が全力を出していないという事実だけであり、その実力は未知数だ。
しかも、アルガザードの面影を多分に残している。
ならばこそ、一切の油断など、ルウファにはありえないことだった。
無数に生やした翼、そのうちの複数が荒れ狂う神威の竜巻に飲まれ、引き裂かれ、散り散りになっていく様を見れば、その考えに間違いはなかった。
膨張する竜巻が床を砕き、舞い上がった破片を引き寄せて飲み込み、さらに粉々に破壊していく光景は、ただの長柄戦斧による攻撃が致命的なものになり得ることを証明していた。
神威の竜巻は、ナルドラスの力の一端に過ぎない。それも、ただ軽く神斧を振っただけで発生したものであり、彼が全力で神斧を振り回せば、比べものにならない攻撃になることは疑いようがなかった。
先程の大竜巻は、辛くも避けることができた。
シルフィードフェザーの飛行速度を以てすれば、それくらいは容易い。
しかし、あれ以上の攻撃となると、反応が遅れた瞬間、命取りになるだろう。
油断など、できるわけもない。
全神経を集中し、細心の注意を払い、一挙手一投足に注目しているのだ。行動だけではない。ナルドラスの一言一句たりとも聞き逃してはならない。ナルドラスの発する言葉は、力有る言葉だ。“神の声”。言葉に関連する事象を引き起こす、魔法の言葉。
「どうした、ルウファ」
ナルドラスが煽るように大声を上げる。
「おまえの知勇はこの程度か?」
挑発的な発言とともに振り抜かれた戦斧は、長大とはいえ、とてもルウファに届くものではなかった。しかし、ナルガレスが間合いなどお構いなしに振り回すのには、当然、理由がある。神威の竜巻を生み出したように、斬撃を衝撃波として撃ち出してきたのだ。
息をも吐かせぬ連続攻撃だったが、距離さえ取っていれば避けきれないものではなかった。どれだけ畳みかけてこようと、大戦斧による斬撃にはどうしても時間が必要だ。それに、距離。ルウファは、竜巻を逃れるために距離を取り、その結果、ナルドラスの連続衝撃波も難なくかわすことができたのだ。
ただし、避け続けているだけではなんの意味もない。
「ただ逃げ回っているだけでは、我は斃せぬぞ!」
「そんなこと――」
「わかっていると申さば、向かってくるがよい」
ナルドラスが大斧を振り回すと、衝撃波ではなく、竜巻が生じた。それもひとつやふたつではない。いくつもの竜巻が、様々な軌道を描きながら、ナルドラスの周囲を旋回する。今度は、ぶつかり合って巨大化はしないようだが、厄介さに大きな違いはなかった。
ルウファは、ナルドラスに向かって無数の羽弾を飛ばしたが、それらが竜巻に吸い寄せられていく様を見て、質量を持った遠距離攻撃は無意味だと悟った。風弾でも無意味だ。ナルドラスの周囲を旋回する無数の竜巻に引き寄せられ、破壊されるだけのことだ。
ならば、と、接近するわけにもいかない。
竜巻が引き寄せるのは、なにも攻撃だけではないはずだ。ルウファ自身が引き寄せられ、ずたずたに引き裂かれるのは目に見えている。
では、どうすればいいのか。
(相殺すれば、いい)
ルウファは、シルフィードフェザーを羽撃かせると、周囲の空気を渦巻かせた。ナルドラスの竜巻に負けず劣らぬ大きさ、数の竜巻を一気に生み出し、撃ち放ったのだ。
周囲の空気を支配し、制御することで飛行能力を得るのが、多くの飛行型召喚武装に共通する点であり、能力の肝といっていいだろう。空気を凝縮し、強固な塊として、弾丸として撃ち出すのも、その能力の使い方のひとつだ。使い方を変えれば、竜巻を生み出すことだってできる。なぜ使わないかといえば、風弾のほうが遙かに作りやすく、使いやすいからだったし、風弾や羽弾で済む場面のほうが遙かに多いからだ。
ルウファの生み出した竜巻の数々は、轟然と渦巻きながら虚空を駆け抜け、ナルドラスの周囲を旋回する竜巻と衝突した。
ルウファは、竜巻を生み出すに当たって、ナルドラスの竜巻とは反対方向に回転するように心がけた。
反対方向に回転する竜巻同士の衝突の結果、ふたつの竜巻は消滅した。ふたつだけではない。ほかの竜巻もすべて、ぶつかり合い、相殺し合った。ルウファの目論見通りであり、そのときには、ルウファは、ナルドラスとの距離を詰めるべく飛び出していた。
すると、
「剣は林の如く」
ナルドラスの大音声が戦場に響き渡り、ルウファは、衝撃に打たれたような気分になった。強く重く、烈しい声だった。
まさに“神の声”と呼ぶに相応しい、威圧感に満ちた声であり、同時に引き起こされた事象には、ルウファも目を細めるほかなかった。
わっ、と、ナルドラスの前方に無数の兵が湧いたのだ。剣を掲げる歩兵の集団。まるで剣の林のようであり、ナルドラスの言葉が事象として再現されたことはいうまでもない。
それだけに留まらない。
「矢は雨の如く」
ナルドラスの言葉が、さらに兵を出現させる。
多数の弓兵が、歩兵集団の後方に現れると、弓を構え、矢を番えた。狙うは、もちろん、ルウファひとりだ。
「冗談」
ルウファは叫んだが、ナルドラスは、鷹揚に笑ってきた。
「将を討つには、まず、陣を突破してこそ、であろう?」
「はっ」
ルウファは、ナルドラスの発言を受け流すと、シルフィードフェザーを羽撃かせた。ナルドラスとの距離を詰めるべく飛翔していたのだが、降って沸いたように現れた兵の群れのおかげで、作戦の立て直しを迫られ、飛び上がらざるを得なくなった。
歩兵の群れが目の前に分厚い壁となって立ちはだかり、さらに弓兵がルウファを狙い撃ちにしてきたのだ。
兵とはいえ、ただの兵ではあるまい。
ナルドラスの“神の声”によって生み出された兵士たちが、そこらの雑兵と同じとはとても考えられない。
故にルウファは一度距離を取るべく退避することで、矢の雨を回避し、迫り来る剣の林もかわして見せた。
「盾は城の如く」
ナルドラスがついでのように発した言葉が、その陣容をさらに豪華なものとする。重装の兵士たちが出現し、ナルドラスの周囲で守りについたのだ。大きな盾を構える兵士の群れに護られたナルドラス。鉄壁の布陣に見えなくはなかった。
一分の隙もない。
(ふざけているのか?)
ルウファは、内心、悪態をつくと、飛来した矢の数々が防御障壁に激突し、力なく落下していく様を見た。兵士の能力は未知数だが、弓兵の矢の威力は、防御障壁を撃ち抜くほどのものではないことはわかった。つまり、弓兵は、今のルウファにとっては雑兵も良いところだということだ。
ただし、それは防御障壁を展開している状態だからこそだといっていい。
常に防御障壁を展開し、維持し続けられるわけではないのだ。
それでは、攻撃ができない。




