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第三百五十二話 矛と盾(二)

『君が寝ている間に軍議が進んでね、龍府を制圧するための戦術が決まったよ』

 セツナの脳裏を過るのは、レオンガンドの声だった。彼が敬愛して止まない王は、いつになく穏やかな表情と声音でセツナに語りかけてきたものだ。セツナの体を労ってのことなのだろうが、彼としては気を使われるほうが心苦しかった。

 ドラゴンに対して手も足も出なかったという事実には、これまでの圧勝の価値を掻き消してしまうのではないかという恐怖があった。ナグラシア制圧以来、バハンダール、ルベン近郊といくつかの戦いを勝利で飾ってきたセツナにとって、ドラゴンに負けるというのは思いもよらぬことだった。

 これではレオンガンドに合わせる顔がない、と思わないではなかった。もちろん、合わせる顔があろうとなかろうと、主君に呼ばれれば出向くほかない。そうして、セツナはレオンガンドと、自分の主君と数十日ぶりに再会したのだ。

 もっとも、ドラゴンに負けたということで、だれかに詰られるようなことはなかったのだが。むしろ、黒き矛でも負けることがあるのだという事実は、ドルカやアスタル将軍を安堵させたという。

 黒き矛の武装召喚師も、ただの人間なのだということを理解した、ということだろう。

 カイン=ヴィーヴルには不甲斐なさを嘲笑されたが、彼にどう思われようと関係のないことだ。カイン自身、右腕を失うという失態を犯しているし、彼は同行していた軍団長を守り切ることもできなかったのだ。笑われるいわれはない。

『君も見ただろう。あのドラゴンを突破しない限り、我々は龍府に辿り着くこともできない』

 ガンディア軍が五方防護陣の各砦に出現したドラゴンに対して対向する手段も見いだせず、三つに分かれていた軍を合流させたという話は、ファリアなどから聞いていた。北進軍はロック=フォックス軍団長以下五百名を失ったというし、中央軍は《白き盾》を用いたものの、ドラゴンを打倒することはできなかったという。

 中央軍はヴリディア南方に野営地を築き、そこで各軍と合流した。ガンディア軍は七千人以上の大軍勢に膨れ上がったものの、だからといってどうにかなるような問題ではなかった。どれだけ人数が増えたところで、ドラゴンの一薙ぎで一掃されるのが目に見えている。

『それは、すなわち龍府を諦めるということだ。ザルワーンの制圧を諦めるということだ。無論、龍府を諦めても構わない。ザルワーンの大半を制圧したのだ。ナグラシア、バハンダール、ゼオル、マルウェール――戦果としては上出来だ。これ以上の戦争は無意味だというものたちもいる。そういう考えもわからなくはないさ』

 レオンガンドの目は、いつだって澄み切っていた。澄んだ碧。透明な碧は、見ているだけで心が奪われるような気がした。セツナがレオンガンドと目を合わせていられないのは、その瞳の美しさによるところが大きい。

 心の奥底まで見透かされてしまうのではないか。心の奥でなにを考えているのかが明らかになれば、きっと嫌われる。そんなことを考えるのがセツナのセツナたる所以なのだろうが。

『これ以上、血を流す必要はないかもしれない。ザルワーンという国の半数以上を手にしたのだ。残るは龍府とルベンだけだ。ザルワーンはいずれ歴史に埋没するだろう。そんなことはわかっている』

 レオンガンドは力強くいった。

 そのとき、テントの中にいたのはレオンガンドとセツナのふたりだけではない。作戦立案者であるエイン=ラジャールもいたし、なぜかクオンも呼ばれていた。クオンが居心地悪そうにしているのが、妙に新鮮だった。彼はどこであっても自分の領土にしてしまうような少年だったはずだが、さすがに生まれながらの王族であるレオンガンドの前では、そういうわけにもいかなかったのだろう。

 クオンも呼ばれたということで、セツナは、エインが建てた作戦内容をなんとなく理解した。その場に呼ばれたのがセツナとクオンのふたりだけなのだ。たったふたり。されど、ふたりだ。黒き矛と白き盾、ふたりの武装召喚師。

 ほかに思いつくようなことはなかった。

『しかし、それでは駄目だ』

 レオンガンドが拳を作った。

『ガンディアの力で龍府を落とし、ザルワーンを滅ぼさなくてはならない。でなければ、亡き父の無念を晴らすことができないのだ。先王シウスクラウドを、我が父を、死へと追いやったものたちを滅ぼさなければ、わたしは、レオンガンド・レイ=ガンディアとして生きてはいけないのだ』

 父の無念を晴らすために一国を滅ぼすというのは、規模が大きすぎて共感できないことではある。しかし、復讐の対象が一個人から一国になったのだと考えれば、理解できなくもないかもしれない。

 いや、そもそも、セツナにはレオンガンドの考えに共感ができるかどうかなどどうだっていいことだ。セツナはガンディアの武装召喚師だ。レオンガンドは仕えるべき君主であり、彼の下した命令ならば、否応なく従うだけだ。

『そのためにも、五方防護陣を突破する必要がある。ドラゴンを打倒する必要がある。それには君の力が必要だ』

 レオンガンドがセツナの両肩に手を置いたとき、セツナは震える想いがした。目の前にレオンガンドの顔があった。彼の瞳に自分の顔が映り込んでいるのがわかるほどの距離だった。

 強いまなざしだった。

 見ているだけで、意気が吸い込まれてしまいそうになるほどだ。けれど、目をそらすことはできなかった。

『正確には、セツナ様とクオン殿の協力が必要、なんですが』

『その通りだ。君たちふたりが協力してこそ、事は成る』

 エインが囁くように訂正すると、レオンガンドが苦笑を浮かべた。セツナの側から離れると、クオンに目線を送ったようだ。クオンがどんな表情だったのかは、セツナからは見えなかった。

 セツナは、レオンガンドから目をそらすことができなかったのだ。不敬にあたるかもしれない。しかし、そんなことを考えていられなかった。レオンガンドの一挙手一投足に注目してしまう自分に疑問符を禁じ得ない。

 なぜ、こうまで惹かれるのだろう。

 自分でもよくわかっていない。わからないから、惹かれるのかもしれないとも考えるのだが。

 レオンガンドに出逢い、居場所を見つけた。それが始まり。ファリアとの出逢いは、また別のものだ。彼女は居場所を与えてくれる存在ではなかった。けれど、彼女と出逢わなければ、レオンガンドとの出逢いもなかったかもしれない。それも事実。

 そして、いまがある。

 いま。

 セツナは、クオンとともに獣道を駆け抜けていた。実際に地に足をつけて走っているのは馬の仕事だったし、セツナはクオンに掴まっているだけにすぎないのだが。

 昨夜、ガンディア軍の本隊よりも先に出発したのは、セツナとクオンのふたりだけだった。たったふたりで一頭の軍馬に跨がり、ドラゴンを目指した。

 目的地はヴリディア砦の跡地だったが、街道を進んだわけではなかった。野営地を出てすぐに森に入った。龍府一帯は深い森に覆われており、それは五方防護陣の周囲をも包み込むほどの広さを誇る樹海だという。

 その樹海の中をひた走った。

 道らしい道などあるはずもなかったが、それでもクオンは軍馬を巧みに操り、セツナが落馬するようなこともなかった。

「なんでもできるんだな、おまえ」

「訓練の賜物だよ。なにごともね」

 クオンは笑いもせずに告げてきた。彼は、軍馬を操ることに集中していて、セツナの軽口に付き合ってもくれなかったのだ。


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