第三千五百二十五話 神の盾なるもの(九)
彼のいう通りだ。
セツナならば、たとえファリアがどのような姿に変わり果てたとしても、ただ、受け入れてくれるだろう。
人間をやめたとしても、死を超克した化け物になったとしても、だ。
セツナの懐の深さを、器の大きさを知らないファリアではないのだ。
あの夜、セツナと交わした言葉の数々が脳裏を過ぎる。甘く、あざやかな言葉のひとつひとつが、ただただまぶしく、強烈な光となってファリアの心の深淵を照らし、過ぎ去っていく。まるで夜の闇を引き裂く流星のように。
体中が熱い。
燃えるようだ。
いや、実際に燃えている。
クリスタルドレスが発する電熱が全身を灼いているような、そんな感覚。肉体を強引に動かすための電流は、熱を帯び、全身の隅々にまで行き渡っているからだ。そして痛み。死を超克した結果、死に等しい痛みが体中をのたうち回っている。
この命は、あとどれくらい持つのだろう。
オーロラストームの力による蘇生と、生命維持は、当然、ファリアの精神力が尽き果てたときに終わりを迎える。
仮初めの命。
制限時間つきの復活。
ナルガレスを斃せるかどうか。
(いえ、斃すのよ、ファリア。斃しなさい)
自分に言い聞かせるようにして、彼女は胸中で告げた。
残された時間と力のすべてを使い果たしてでも、ナルガレスだけは斃さなくてはならない。でなければ、皆に負担がかかる。皆の足を引っ張ることになる。セツナの邪魔をすることになってしまう。
それだけは、あってはならない。
たとえ、この命が燃えて尽きたとしても。
だからこそ、ファリアは、自分でも呆れるくらいに恋い焦がれているのかもしれない。
もはや、セツナとは逢えないだろう。
その可能性は極めて高い。
たとえナルガレスに勝利できたとして、そのためにどれだけの力を使わなければならないのかと考えれば、残される時間は限りなく少なくなる。そのわずかばかりの時間で、セツナとの再会を果たせるかどうか。
せめて、彼の顔を見て、終わりたい。
(だったら)
一秒たりとも無駄には出来ない。
ファリアは、オーロラストームを掲げるなり、ナルガレスに向かって紫電の矢を放った。急角度で蛇行する雷の矢が五本、ナルガレスへと殺到する。
「……わかっているはずだ」
ナルガレスが冷ややかに告げてくると、紫電の矢は五本とも、彼の目の前で方向転換し、あらぬ方角に向かって飛んでいった。見えざる防御障壁。“神の盾”の発動。
「いくら蘇ろうとも、どのような姿に変わり果てようとも、化け物に成り果てようとも、我が盾を破ることはできない」
「どうかしらね」
そう言い返した瞬間、見えざる壁が衝撃波の如く迫ってくるのがわかった。大気が揺らめき、圧力が肉薄してきたからだ。それもこれも、数え切れないほど、“神の盾”による攻撃を受けたからだろうし、クリスタルドレスのおかげでもあるはずだ。
クリスタルドレスは、ただの生命維持装置ではない。
五感と身体能力を限界以上に引き上げ、様々な面での戦闘能力の飛躍的な向上をもたらしている。
たとえば。
「ほう」
ナルガレスが多少なりとも驚いたのは、ファリアが“神の盾”による攻撃をかわしきって見せたからだ。
超高速で迫り来る分厚く巨大な壁をどうやって避けたのかといえば、極めて単純な方法だった。
速度だ。
ただ、疾く、右に跳んだ。
地を蹴るようにして跳躍すると、それだけで“神の盾”の攻撃範囲から抜け出すことができた。
ただ、身体能力が向上したからではない。
電光の如き跳躍は、クリスタルドレスを纏っていることによる恩恵なのだ。
そして、再び、オーロラストームを連射した。
だが、ナルガレスは、雷撃の数々を容易く受け流して見せると、こちらを一瞥することもなく“神の盾”を寄越してきた。大気が軋むような音がした。“神の盾”による攻撃は、超巨大な衝撃波といって差し支えない。そんなものをまともに喰らったらただでは済まないし、並の人間ならば一撃で即死すること間違いなかった。
ファリアがそう簡単に死ななかったのは、なんとかして直撃を免れたからだったし、致命傷を避け続けたからだ。そして左腕が吹き飛び、左足を失ったとき、意識まで消し飛んだ。そうなっては、さすがのファリアも生き続けられるわけもない。
そうして死んだからこそ、いまこうしてナルガレスの攻撃を完璧に把握し、回避できているのは、皮肉というべきかどうか。
“神の盾”を余裕を以てかわしながら空中高く飛び上がったファリアは、地上のナルガレスに向かって矢を撃ち込んだ。今度は、オーロラストームだけではなく、左腕からも雷撃を放っている。クリスタルビットによって構築された義手は、展開することで結晶弓と同等の攻撃を行うことができるのだ。
つまり、オーロラストームをふたつ、同時に扱っているのと同義だということだ。
空中からの雷撃の連射は、しかし、当たり前のように防がれた。見えざる球形の防壁が、無数に降り注ぐ雷の尽くを受け流し、四方八方に飛び散らせていく。
三度、衝撃波。
ファリアは、空中から地上に超高速で移動すると、空気が焦げ付くようなにおいを嗅いだ。一条の電光となって飛び回っているのだ。空気が灼けるのも当然の結果だった。
移動した先で待ち受けていたのは、間髪を入れぬナルガレスの攻撃であり、“神の盾”の急接近だった。ファリアは、ナルガレスを見ることなく、回避行動を取った。ただ、跳ぶ。さながら稲光となって、一カ所に留まることなく飛び回り、つぎつぎと撃ち出されてくる“神の盾”をかわし続けていく。
「ただ蘇ったわけではないことは理解したよ」
ナルガレスが、極めて冷ややかにいってくる。“神の盾”を連続で発射しながら、だ。彼にはまだまだ余裕が見て取れた。“神の盾”を避けられたからといって、それだけで自分の優位が崩れるとは微塵も想っていないのだろう。
それも事実だ。
「随分と強くなった」
「化け物になったのよ」
ファリアは、地上から空中へ、空中から地上へと、超高速で飛び回りながら、つぎつぎと殺到する衝撃波を避け続けた。
「あなたを斃す怪物にね」
「ただ逃げ回っているだけでは、わたしは斃せんよ」
彼は、淡々と告げてきた。
それはその通りだ。
ナルガレスの攻撃を避けることができるようになったのは、大きな進歩といっていい。少し前まではなぶり殺されるしかなかったというのに、いまでは、“神の盾”の発生すら認識できるようになっていたし、広大な攻撃範囲外へ一瞬にして逃れることもできている。これを進歩といわず、なんというのか。
しかし、それだけではナルガレスは斃せない。
攻撃を当て、肉体を損傷させ、“核”を破壊しなければ、ナルガレスは滅びない。
隙を見て雷撃を撃っても、受け流されるだけで終わっている。
これでは、ナルガレスを斃す前に制限時間が尽きてしまいかねない。
「我は神の盾なり。我が盾は金剛不壊にして、絶対無敵」
ナルガレスが静かに告げてきたとき、彼の背後の球体が鈍く輝いた。
そして、“神の盾”が、全方向に拡散した。




