第三千五百二十四話 神の盾なるもの(八)
全身が絶叫している。
死の絶叫だ。
死そのものに等しい叫び声、
足の爪先から頭の天辺まで、ありとあらゆる部分が筆舌に尽くしがたい痛みを覚えている。皮膚の上を走り回り、皮膚の下をのたうち回るそれら痛みは、激痛と呼ぶのも生易しく、実情に合っていない。全身を掻き毟り、皮膚の上から下までありとあらゆる痛みの原因を根こそぎ抉り取りたくなった。
上体を起こし、立ち上がっただけで、それだ。
「最悪」
ファリアは、うんざりとした気分でつぶやくと、自分が発した言葉がはっきりと自分の耳に届き、鼓膜を震わせ、脳内に届いたことを確認した。声がわずかに上擦っていたが、別段、構いはしないだろう。
このような惨状で言葉を正確に発音できただけ上出来だ。これ以上、なにもいうことはない。
いいたいことがあるとすれば、この全身を苛む痛みに対してだ。鋭く破壊的な痛みが途切れることなく、しかし、寄せては返す波のように体中を襲っている。それらをどうにかして
「なに……?」
ナルガレスが怪訝な顔をしたのが、なんとはなしにわかった。表情などあるはずもない異形の姿だというのに、だ。彼がなにを想い、なにを考え、なにを感じているのか――そこまではっきりとはわからないが、彼がファリアの発言に当惑していることだけは理解できる。
それは、そうだろう。
ファリアにも、彼の気持ちがわからないではなかった。
ナルガレスは、ファリアを殺したはずだった。隙もなければ情け容赦も存在しない圧倒的な猛攻によって、ファリアの肉体を完膚なきまでに痛めつけ、破損し、命を奪ったのだ。意識が途切れ、心臓も停止したはずだ。
故に、全身が異様なほどの熱を帯びているのだし、痛みの洪水が押し寄せてきているのだ。
「最悪の目覚めだっていっているのよ」
ファリアは、ナルガレスを敵と見定めた。
いや、それは最初からわかっていたことだ。対峙するその以前から、彼が獅子神皇の側近であり、ファリアたちの敵として立ちはだかることも、戦うことになる可能性だってわかっていた。そして、対峙したとき、斃すべき敵なのだと認識した。
しかし、心の何処かで、ナルガレスの中に存在するラクサスに対するなにかしらの感傷があったのは、否定しようのない事実だった。
だから、殺された。
もっとも、たとえ一切の感傷も持たず、全力で戦ったとしても同じ結果に終わったことは、この不明瞭かつ不正確な思考状態でも明白だと断言できた。ファリアが“神の盾”と呼称しているナルガレスの能力、その対抗策も打開策も見つけられなかったのだ。
それでは、なにもできず嬲り殺しにされるのは当然といえる。
無論、死に対してなんの対策も講じず、ただあっさりと殺されたわけではない。
だからこそ、こうして立ち上がり、全身を苛む痛みと格闘しているのだ。
「……なぜ、生きている」
ファリアが立ち上がっていることが理解できないとでもいうかのように、ナルガレスがつぶやいた。
「殺したはずだ。この力で、息の根を止めたはずだ。確認したのだぞ。君の心臓が止まったことも、君の命が終わったことも。この目と耳で確かに見届け、聞き届けた。だのになぜ、生きている。立っているのだ」
ナルガレスのいいたいことはわからないではない。
彼が納得できないのも無理はなかった。だが、ファリアは、そんな彼の気持ちなどどうでもよくて、ただ、毒づいた。
「不老不滅の神の徒がなにをいうのかしら。どれだけ殺したって死なないくせに」
「君は人間だろう」
ナルガレスが半ば呆れるのも当然だったのかもしれない。
「そうね。でも、わたしは生き返ったわよ。生き返って、ここにいる」
極めて強引な方法で、蘇生した。
死をなかったことにして見せた。
賭けなどではない。
確かな戦術だった。
オーロラストームの最終試練を乗り越え、すべての能力を把握したいまだからこそできる作戦。
ファリアは、自分の左手や左足を見下ろし、それらがナルガレスによって吹き飛ばされ、失われていることを再度確認した。その痛みで死ぬことも、大量の出血によって死ぬこともありえたが、直接的な死因はそこではなかったはずだ。おそらく、全身を強く打ちつけたことによる衝撃だ。何度となく喰らい、そのたびに耐えてきたのだが、最期には耐えきれず、命を落とすはめになった。
もちろん、左腕と左足を失ったことも死と無関係ではないのだろうが。
だが、いまや左腕も左足も、補われていた。オーロラストームの羽たる結晶体、それらが無数に集まり、腕を構築し、足を形成してくれていた。それだけではない。満身創痍の体の至る所に結晶体が突き刺さり、左半身はほぼほぼ覆い尽くしているといっても過言ではなかった。
そして、それら結晶体から流れ込んでくる大量の電力が、止まっていた心臓を再び動かしたのだ。
いわゆる心臓マッサージという奴だ。
その上で全身に電流を巡らせ、死んでいた肉体を強引に起こし、あらゆる機能を復活させた。あらゆる感覚が次第に鮮明になり、鋭敏化さえしているところを見るに、ただ復活しただけではない。強くなって復活したといっても、過言ではなかった。
だが、一方で問題もあった。
「それにしても、酷い有り様ね」
ファリアは、結晶体によって作られた左腕を掲げた。ファリアの左腕をどうにか再現しようとしたのだろうが、完璧とはいえなかった。歪で、大きく、異形といっても差し支えがない。左足もそうだ。とても人間の足には見えない。
化け物といっていい。
結晶体は、左半身を覆い尽くしており、それ以外の部位もところどころ結晶体によって補われているのだから、全身、化け物になったも当然だった。
オーロラストーム・クリスタルドレス――とでも、命名するべきか。
皮肉めいていて、悪くはなかった。
「これじゃあ、あなたに勝ったとしても、だれも嫁に貰ってくれないわ。まったく、どうしてくれるのよ」
「……なにを心配しているのかと想えば、そんなことか」
「そんなこととは失礼ね。とても大切なことよ」
死活問題と言い換えてもいい。
すると、ファリアの言い方が真に迫っていたからか、ナルガレスが反省したようだった。
「……失礼。だが、君が心配する必要はあるまい。君はわたしには勝てない。何度蘇っても、同じことだ。同じ結果に終わる」
彼の自信に満ちた言い様を見るに、ファリアが生き返ったことによる衝撃は、もはや飲み下されてしまったと見ていいだろう。
付け入る隙はなくなった、ということだ。
しかし、そればかりは致し方のないことだった。
ファリアは、生き返ったばかりで、立ち上がるだけでやっとだったのだ。ナルガレスの虚を突くには、なにもかも足りなかった。
「それに、だ。万が一にも君がわたしに打ち勝てたとして、その先に待ち受けるのは陛下だ。陛下の御力はわたしの非ではないのだぞ」
「……セツナがいるわ」
ファリアは、左手を握り締めて、告げた。
「セツナがいて、皆がいる。だから、負けない」
「ふむ……」
ナルガレスが静かにうなずく。
「その通りだろう」
「うん?」
「君には、セツナ殿がいるじゃないか」
ナルガレスが苦笑を交えながらいった。
「セツナ殿ならば、君がどのような姿になろうとも、迎え入れてくれる。そうだろう?」
「……ええ、そうね。その通りよ」
ファリアは、ナルガレスの発言を肯定した。




