第三千五百二十三話 神の盾なるもの(七)
(よく、持ったものだ)
ナルガレスは、ついに動かなくなったファリアを見て、心の底からそう想った。
盾神の間の傷だらけの床の上で、彼女は血まみれになって倒れている。傷だらけなのは彼女も同じだ。満身創痍。傷のない箇所を探すほうが早いのではないかというくらい、体中に傷を作っていた。せっかくの美人が台無しだが、致し方のないことだ。
彼女が最期まで諦めず、戦い続けたがため、こうなった。
彼女が諦め、敗北を認め、降伏したのであれば、こうはならなかった。その上で、喜んで彼は彼女を同胞として迎え入れただろうし、主君もそれを認めてくれただろう。
そして彼女ならば、獅徒ではなく、神将に生まれ変われたに違いない。
そうなれば、彼女以外の面々も、つぎつぎと同様の選択をした可能性がある。
彼女は、ファリアは、一行の精神的支柱とまでは行かないにしても、重要な人物であることは疑いようもなかった。
そんな彼女が降伏すれば、一行が精神的動揺を覚え、ひとり、またひとりとこちらに味方する可能性があったのだが。
(だからこそ、か)
ナルガレスは、ファリアが最後の最期まで諦めず、戦い抜こうとする姿を脳裏に浮かべ、感銘すら覚えた。
ファリアは、徹底的に抵抗し続けた。
その決意と覚悟は、見事というほかない。
ナルガレスの盾の力の前では、彼女の召喚武装オーロラストームによる攻撃は、まったくの無意味となる。どれだけ雷撃を連射しようと、どのような角度、どのような間隔、どのような種類の雷を放とうと、ナルガレスには一切通用しない。
届かないのだ。
効果があるはずもない。
“真聖体”を破壊し、“核”を見出すどころか、傷つけることすらかなわない。
一方、ナルガレスの攻撃は、というと、ファリアに効かないはずがなかった。
見えざる防御障壁を構築する盾の力、その力の使い方次第では、相手を攻撃することも容易い。金剛石のよりも堅固な防壁を作り出し、叩きつければ、それだけで人体を粉砕することも可能だった。
実際、そうしたのだ。
だが、それだけではファリアはしななかった。
ただの人間、たかが人体だというのに、最硬度の防壁を叩きつけても、一撃では体がばらばらにならなかった。
なにか、大きな力に護られている。
だから、人間の肉体でありながら、ナルガレスの攻撃を耐え凌ぐことができたのだ。
ファリアを加護する大いなる力。
それがなんであるのか、わからないナルガレスではなかった。
オーロラストームだ。
異世界からの混入物たる召喚武装は、その強大な力でもって召喚者を守り、召喚者の力となっていた。
オーロラストームから溢れる膨大な力が、ファリアを包み込んでいる様がナルガレスの目にははっきりと見えるのだ。
それは、かつてのファリアとオーロラストームには見られなかった現象だ。彼女が武装召喚師として以前とは比較にならないほど成長した、ということだろう。オーロラストームの力をより引き出せるようになっていたのだ。
故にこそ、ファリアは、何度死んでもおかしくないくらいにナルガレスの攻撃を受ける羽目になり、全身に目を覆いたくなるほどの傷を作り、血反吐を吐き、血まみれになったのだから、皮肉というべきか、どうか。
いまや、彼女は微動だにしなくなった。
度重なる盾の攻撃を受け、天井と床に何度となく叩きつけられたファリアの肉体からは、左腕と左足が欠損していた。欠損部から流れていた血も止まり、わずかばかりの震えも収まった。
心音が聞こえなくなった。
死んだ。
あれだけの攻撃を叩き込んだのだ。
いくらオーロラストームに護られていようと、どうにもならないほどの攻撃の数々。死ななければ嘘だ。
しかし、だからこそ、彼は惜しんだし、感傷的にもなった。
敵だ。斃すべき、滅ぼすべき敵なのだ。だが、それでも、かつて黄金時代を共に駆け抜けた同志であり、王立親衛隊の仲間でもあるのだ。
いまこの瞬間だけは、感傷に浸っていても許されるだろう。
「ファリア。君は強く、そして美しかった」
ナルガレスは、ゆっくりとファリアの亡骸に歩み寄りながら、告げた。
「セツナが君に見惚れるのもわからなくはない」
いまならば、はっきりとわかる。
血反吐を吐きながら立ち上がり、こちらを睨み付けてきた彼女には、凄絶さの中に美しさがあった。一瞬、攻撃の手を止めてしまうくらいに、だ。
けれども結局、彼は彼女を殺した。殺さざるを得なかった。降伏しないというのであれば、最期まで戦い続けるというのであれば、それに応えるしかない。
ファリアは、死んだ。それは間違いない。心臓が止まり、肉体もまったく動かない。ただし、オーロラストームは別だ。まだ力を失っていない。それどころか、莫大な力を放ち続けている。召喚者が死んだというのに、だ。
オーロラストームは、人体よりも遙かに頑強であることは、これまでの攻撃で一切傷ついていないことからも明らかだ。並の召喚武装ならば粉微塵となっているところなのだが、そうなっていない以上、オーロラストームが並外れた召喚武装であることを認めなければならない。
破壊するのは、ナルガレスの力を以てしても困難かもしれない。
が、もはやどうでもいいことだ。
オーロラストームは、召喚者を失った。使い手を失ったのだ。そうなった以上、オーロラストームにはなにもできない。どうしようもないのだ。
それが、召喚武装の道理。
そう、想っていた。
だから、彼は、おもむろにファリアに近づいたのだが、それは大きな誤りだった。
直後、なにかが彼の視界を掠めるようにして飛来したかと思うと、通り抜けていった。
(なんだ?)
疑問に思うまでもない。
それは、ファリアのいうクリスタルビットという奴であり、オーロラストームの翼たる結晶体だった。盾の間の四方八方に飛び散っていたそれらが、ひとつ、またひとつと、オーロラストームの元へと戻っていっているようだった。
ナルガレスは、戦いを終えたオーロラストームが本来の状態に戻るために結晶体を呼び戻しているのだと考えた。ほかに考えられるような事象はない。
召喚武装は、使い手がいなければ、通常兵器と同じなのだ。ただの置物と化す。勝手に力を発揮することもなければ、能力を用いることもない。
つまり、いま、オーロラストームに起きている事象は、オーロラストームがその役割を終える際に自動的に行う処理か、あるいはファリアが死ぬ間際に命じていたこと――。
ナルガレスは、クリスタルビットと呼ばれる結晶体が、オーロラストームの翼に収まるのではなく、ファリアの欠損した左腕や左足の断面に集まっていく様を目の当たりにして、茫然とした。それがなにを意味しているのか、想像がつかない。
ファリアは死んだ。死んでいるのだ。心臓は止まっているし、微動だにしない。死体だ。
ただの死体になにをしようというのか。
しかし、彼はそれを無駄なことだとは想わなかった。
召喚武装がなんの意味もなく、自発的に行動を起こすとは思えない。ナルガレスの武装召喚術の知識などたかが知れているが、それでも、召喚武装が使用者の制御を無視することはないという不文律だけは知っていたし、それが絶対的なものだということも認識していた。
だからこそ、世界を越えて、力を顕現することができるのだ。
結晶体がファリアの左半身をほとんど覆い尽くしたとき、閃光が走った。
蒼白い雷光とともに聞こえた雷鳴は、どこか心音に似ていた。




