第三千五百二十一話 神の盾なるもの(五)
つまりは、防壁だ。
神威による防御障壁。
神やその使徒が基本的な能力として駆使する、見えざる力の壁。獅子神皇の使徒たる獅徒が用いていたのだから、より上位の存在である神将が使えないわけもなかったし、なにより、神の盾を自称するナルガレスが展開できないはずもなかったのだ。
いまのいままで防御障壁を展開しなかったのは、その必要がなかったからに違いない。
大盾の防御力だけで十分だと判断されていたというわけだ。
しかし、姿形までも変貌させたいま、防御障壁を惜しむ必要もなくなった、ということだろう。
(つまり、必要だと判断した……ということよね)
四方からの絶え間ない雷撃の連射には、さすがの神将も堪えたのだろう。あるいは、危機感を覚えたのかもしれない。
いずれにせよ、まったくの無意味ではなかったことは間違いなく、故にファリアは己の力と技への自信を深めるとともに、ナルガレス打倒が不可能ではないと認識した。
「しかし、まさか“真聖体”を曝すことになるとは、考えてもいなかったよ」
「しんせいたい?」
「そう、“真聖体”。この姿のことだ」
それは、いわれずともわかる。
「獅徒と神将が真の力を解放するための姿だ」
ナルガレスは、極めて静かに、そして冷ややかに告げてくる。その声音は、さながら絶対的上位者が、下位の存在に向ける哀れみの如くだった。だからといって、彼が己の力を過信している様子はない。
「つまり、君にはもはやわずかたりとも勝ち目はないということだ」
「それはどうでしょう」
ファリアは、その場から飛び退きながらオーロラストームから雷撃を放った。激しく蛇行する紫電の矢は、敵の発想の隙を突くのに適している。が、広大な防御障壁には隙間などはなく、紫電の矢は、ナルガレスの遙か手前で、突如としてあらぬ方向に飛んでいってしまった。
防御障壁に激突するのではなく、防御障壁によって進路をねじ曲げられてしまったのだ。
それは、ナルガレスの防御障壁が、ファリアがこれまで見てきた防御障壁とはまったく質の異なるものであるということを示していた。
(随分と……厄介ね)
ファリアは、再び矢を放ち、それが先程とまったく同じ結果に終わったことを確認すると、目を細めた。
雷の矢は、対象に直撃すると、相応の規模の爆発を起こす。雷による痛撃と、爆発による痛撃。それこそ、オーロラストームの特性であり、強さの所以といってもいいのだが、ナルガレスの防壁は、そのどちらも無力化してしまうのだ。
防御障壁の多くは、敵の攻撃を受け止め、力で抑え込むものだ。故に、それ以上の力を叩き込めば、打ち破れる。
しかし、ナルガレスの防御障壁は、敵の攻撃を受け流すという特性を持っているようであり、そのため、どれだけ破壊力の高い攻撃を叩き込んでも、まったくの無意味に終わる可能性があった。たとえそれが防御障壁を破壊しうる威力を秘めた攻撃であったとしても、受け流されてしまえば意味がない。
無論、可能性の話だ。
本当にそうなるかどうかは、試してみなければわからない。
「どうもこうもないさ」
ナルガレスは、見えざる巨大な防御障壁の中心近くで、悠然と佇んでいた。その表情は、もはやわからなくなっている。異形の獅子とでもいうような兜が、彼の頭を覆い尽くしているからだ。
「現に、君の攻撃はわたしには一切届いていないのだ。わたしを斃すどころか、傷つけることすらかなわない。それが現実だ」
ナルガレスの発言を否定する言葉をファリアは持っていない。
いまのところ、ファリアの攻撃は、防御障壁にねじ曲げられてばかりなのだ。本体による二度の射撃だけではない。三つの結晶弓による絶え間ない射撃も、尽く防壁に受け流され、あらぬ方向に飛んでいってしまっていた。
防御障壁だ。
防御障壁をどうにかして打ち破らなければ、まともに攻撃を当てることさえできない。“核”を破壊しなければならないというのに、その異形の肉体を損壊し、“核”を探し当てることすらできないのだ。これでは、到底勝ち目がない。
ナルガレスのいうとおりではあった。
しかし。
「それは、お互い様でしょう」
ファリアは、オーロラストームの力を集めながら、いった。
ナルガレスは、“真聖体”とやらに変貌してからというもの、攻勢に出てくる様子がなかった。身動きひとつせず、ただただこちらの攻撃を受け流しているだけだ。まるでファリアが消耗し、疲弊するのを待っているかのような、そんな様子ですらあった。
防御障壁は、その特性上、展開したまま攻撃することができない。
相手を攻撃する際には、防御障壁を解除しなければならないのだ。使徒は愚か、神々もそうだし、セツナだってそうだった。つまり、防御障壁で身を守り続けるだけでは勝ちようがないということであり、ナルガレスもそうであるはずだ。
確かに、ナルガレスの防御障壁の性能は群を抜いている。神の盾を名乗るだけのことはあるだろう。
だが、それだけでは、ファリアが打ち負かされるいわれがないのだ。
「ふむ……なるほど。君の考えは読めたぞ。わたしが神の盾を維持したままでは、攻撃することなどできるわけがない――と、そう考えている」
図星を突かれたものの、ファリアは、表情ひとつ変えなかった。そのまま、強力な雷光の矢を撃ち放つ。蒼白く輝く雷光の奔流が、ナルガレスに向かって突き進んでいき、やはり、途中でその進路を激変させた。防御障壁によって受け流されたのだ。
かなりの力を込めた矢ですら、ナルガレスの神の盾の前には受け流されてしまう。
引っかかりすらしない。
だからといって、全身全霊の力を込め、最大火力を叩き込もうという気にはならなかった。それで同じ結果に終わるようなことがあれば、目も当てられない。
それこそ、ナルガレスの思う壺だ。
ファリアが力を消耗し尽くし、疲弊しきったところで、防御障壁を解除し、攻撃に転じてくるだろう。そうなれば、敗れ去るしかない。
殺されるのだ。
いくらナルガレスがファリアたちのことを惜しんでも、彼の立場がファリアたちの生存を許しはしないだろう。
ファリアが命乞いをすれば、話は別かもしれないが、そんなことは万にひとつもありえない。
「そう結論づけるのもおかしな話ではないか。普通、このような状態で攻撃することは難しい」
ナルガレスは、四方から雷撃の連射を浴びながら、しかし、それが自分に到達することのない状態を満喫しているかのような、そんな様子だった。ファリアの攻撃が一切通用していない事実を確認し、故に勝利を確信しているのだろう。
「しかし、わたしは神の盾だ」
彼は、告げてくる。
静かに、しかし、耳を塞いでも聞こえてくるような、冷厳な声で。
「大いなる神々の王、獅子神皇様が盾なのだ」
その直後だった。
ファリアは、突如として巨大な圧力によって吹き飛ばされたのだ。




