第三千五百十九話 神の盾なるもの(三)
紫電の矢が五本、それぞれ別々の軌道を描き、尾を引きながらナルガレスに向かっていく。
ナルガレスは、動かない。
その長身を覆い隠すほどに大きな盾を前面に構えたまま、微動だにしなかった。オーロラストームによる攻撃など、かわす必要もない、とでもいうのだろう。実際、いままではその通りだったのだから、悔しくもない。事実を事実と受け止め、冷静に対処することが重要なのだ。
(隙を突くのよ)
そのためには、相手が隙を見せなければ意味がない。
現状、ナルガレスに隙はなかった。前面に大盾を構えているだけだが、それはつまり、こちらの動きを十全に見ていられる状況でもあるということだ。
実際、ナルガレスは、真っ直ぐに飛来してきた矢だけではなく、背後に回り込んだ矢すらも大盾で受け止めきった。
そして、その際にこちらに背中を見せた瞬間を見逃すファリアではなかった。
ナルガレスが背後からの攻撃を受け止めるであろう瞬間に合わせ、特大の矢を放っている。
莫大な電力を束ねて作り出した蒼雷の矢は、螺旋を描きながらナルガレスが見せた背に突き進み、見事、直撃した――かに見えた。
「この程度、隙ですらないよ、ファリア」
蒼雷の矢が巻き起こした爆発の後、立ちこめる爆煙の中で、ナルガレスの声がはっきりと聞こえた。極めて落ち着いた声からは、確かな余裕を感じ取ることができる。煙が消えると、大盾をこちらに向けていたことが判明した。
背後を襲った矢を受け止めてからでは到底間に合わない速度だ。
おそらく、最初の矢は、体で受けることにして、蒼雷の矢のほうを大盾で受けたのだろう。どちらのほうが威力が高く、より損害を受けるかと考えた場合、ナルガレスの判断は正しい。もっとも、それができるのは、ナルガレスが人間ではなく、無尽蔵の生命力と回復力を持った神将だからだ。
人間ならば、紫電の矢でも致命傷になる。
無論、その場合でも、蒼雷の矢の直撃を回避するほうが、生存率が高いことはいうまでもない。
「我が名は、神の盾」
大盾を脇にずらしながら、彼は、告げてきた。
「獅子神皇が盾にして、絶対守護者。我を討ち斃さんとするのならば、それ相応の覚悟を以て、臨むことだ」
「そんなこと、いわれなくてもわかっていますよ」
ファリアは、オーロラストームの矢を連射しながら、言い返した。
覚悟は、疾うにしている。
わずかな人数でナルンニルノルに突入すると決まったときから、生き残れる可能性が薄いことはわかっていた。
斃すべき敵は獅子神皇。だが、ナルンニルノルには、獅徒と神将たちが待ち受けていて、それらと戦わざるを得ない状況に追い込まれる可能性だって十二分に考えられた。たとえそれらを打ち破れたとして、獅子神皇との戦いの中で死なないとも限らない。
すべての戦いに勝利した暁に生き残っていられるかどうかは、わからない。
そんなことは、わかっている。
わかっていて、だれも口にしなかった。
だれもが覚悟を決めているからだ。
自分たちがやらなければならない、と、わかっているからだ。
自分たちの双肩にこの世界の未来がかかっている。
世界の存亡。
(まったく、大それた話よね)
いまさらのように苦笑する。
なぜ、自分たちがそのような役回りになったのか。
原因は、わかっている。
セツナと行動をともにしていたからだ。
セツナを中心として、生きてきたからだ。
セツナが黒き矛の、魔王の杖の護持者であり、魔王の使徒であったがために、神々の王たる獅子神皇と対立し、対決する羽目になった。それだけのことだ。
それだけのことだが、そこに命を懸ける意義はあったし、理由はあった。
なぜならば、ファリアの中心には、セツナがいるからだ。
セツナとともに生きる未来のためには、世界が存続してもらわないと困るのだ。
そのために命を懸けている。
そのために死んでは、本末転倒だ。
「随分と、余裕があるようだ」
「余裕?」
ファリアは、ナルガレスの勘違いにも苦笑いした。先程の苦笑が、ナルガレスにも見えていたらしい。そしてそれが、余裕の態度に見えたのだろう。
「そんなもの、ありませんよ」
無数に撃ち放った雷光の矢は、尽く、ナルガレスの大盾によって無力化された。
ナルガレスは、といえば、ファリアの射撃が極めて単調で変化のないものだと理解すると、大盾を前面に構えたまま、距離を詰めるべく前進を開始している。先程までに比べ、ファリアとナルガレスの距離は半分にまで縮まっているのは、そのためだ。
ナルガレスから攻撃を受けないために稼いだ距離があっという間になくなろうとしているが、ファリアは、構わず撃ち続けた。
最終試練によってオーロラストームのすべてを理解したいま、能力の発動による消耗効率は、飛躍的に改善している。
いま連射している程度の矢ならば、ほとんど消費なしに撃てているといってよく、相手が並の人間ならば負ける可能性など皆無に近かっただろう。皇魔や神兵が相手でも、だ。
だが、いま、ファリアにゆっくりと迫ってくるのは、神兵とも比較にならないほどの強敵だった。
神将。
その能力の高さは既にわかりきっている。
それでも全力ではないのだから、ナルガレスが本領を発揮したとき、どれほど圧倒的な力を見せつけるのか、わかったものではない。
(つまり、いまのうちに斃すべきだってこと)
ナルガレスが余裕を見せ、全力を発揮していないいまこそ、付け入るべき隙なのだ。
ファリアは、雷光の矢の連射に結晶体を織り交ぜ出した。クリスタルビットだけを操り、飛ばすことも不可能ではないし、その制御も格段に楽になっているのだが、そうはしなかった。それでは、ナルガレスに看破される恐れがある。
雷光の矢も、矢と化した結晶体も、やはり、すべて、大盾に防がれる。雷光の矢は爆発し、結晶体は弾き飛んでいく。
その間、ナルガレスは、前進を止めなかった。
やがて、ファリアとの距離をさらに詰めると、大盾の裏で剣を構える様子がわかった。さらに距離を詰め、ファリアを一閃しようというのだろう。
ファリアは、構わず、連射を続けた。雷光の矢と結晶体の矢を交互に撃ち続ける。オーロラストームの左右に展開していた結晶体がつぎつぎと消えていき、それらすべてが容易く弾き飛ばされる様は、なんとも虚しいものだが、それもファリアの狙い通りだった。
狙い通り、弾き飛ばされた結晶体はすべて、ナルガレスの後方に集まり、もうひとつのオーロラストームを構築している。
クリスタルビット・オーロラストームとでもいうべきそれは、ファリアが最終試練を乗り越えたことで可能となった能力の使い方だ。
クリスタルビットは、オーロラストーム本体でもって制御し、操作するものであり、極めて精神力の集中が必要だった。消耗も決して軽くはなく、オーロラストーム本体との同時併用は、研鑽と鍛錬を重ねた後でさえも容易いことではなかった。
しかし、最終試練を突破し、オーロラストームの能力の使い方を完全に把握したいまならば、オーロラストーム本体に集中しながら、クリスタルビットを想うままに操ることなど、造作もなかった。
故に、もうひとつのオーロラストームを作り出すことすら、可能となったのだ。




