第三千五百十八話 神の盾なるもの(二)
「だのに、この有り様だ」
ナルガレスは、ファリアが矢を射た事実などなかったかのように話を続けてくる。
「だれも彼もが己が命を燃やし、魂をも灼き尽くさんとしている」
命を懸けて戦っているのは、ナルガレスが言及したものたちだけではない。シーラもレムもウルクも、エリナでさえも、そうだ。
突入組の双肩に世界の未来がかかっているといっても、過言ではないのだ。
だから、ファリアの心が揺れることもない。
「このままでは、皆、命を落とす。死ぬのだ」
どれだけナルガレスが心の底からそう想っているのだとしても、心に響かないのだ。なぜならば、覚悟を決めているからだ。
「実に勿体ないと想わないか?」
「あなたたちがこの世を滅ぼそうとしているから、命に代えてでも討ち斃そうとしているんですよ。わたしたちを殺したくないというのなら、必要不可欠だというのなら、最初からそれ相応の態度で示すべきだった」
もっとも、と、ファリアは、続けた。
「たとえ、必要だといわれたとしても、相応の立場や地位を約束されたとしても、わたしたちのだれひとりとして、ネア・ガンディアに靡くことはなかったのですが」
だれひとりとして――その言葉を強調したのは、ナルガレスに断絶の意志を突きつけるためだ。ファリアだけではない。セツナもミリュウも、シーラたちも、そしてルウファすら、ネア・ガンディアに帰属する意志を持たなかった。
ラクサスの実弟であり、獅徒となって蘇った実弟ロナン=バルガザールに直接交渉すらされたルウファでさえ、だ。
ネア・ガンディアが、その名の通り、新生ガンディアならば、良かった。
その旗手がレオンガンドであれ、だれであれ、ガンディアの名の下にこの混沌とした時代を生き抜き、国を再興しようというのであれば、話は随分違ったはずだ。
既にリョハンの戦女神であったファリアは、新生ガンディアに帰属することはなかったかもしれないが、それでも、ガンディアに配慮して手を打っただろうし、協力を惜しまなかっただろう。セツナは、ガンディアのために力を振るったかもしれないし、そうなれば、ミリュウやレムたちも、同様に動いたはずだ。無論、ルウファは喜んでラクサスやロナンたちとともに、バルガザール家の一員として、ガンディア王家に忠を尽くしたに違いなかった。
ネア・ガンディアが、言葉通りの存在ならば。
「あなたたちの同胞となって、世界を滅ぼすことになるくらいなら、死んだほうがずっとまし――皆、口を揃えてそういうでしょう」
「……そうか。実に残念だよ」
「わたしもですよ」
ファリアは、心底、そう想っていた。
ラクサス・ザナフ=バルガザールは、死んだ。
死に、神将として生まれ変わった。神将ナルガレスに、だ。
ナルガレスには、ラクサスの気配を多分に感じる。姿形、声音、言葉遣い、態度、反応――様々な部分にラクサスの気配がある。
だから、ファリアは、感傷を禁じ得なかった。
懐かしくも輝かしいガンディア時代、《獅子の尾》の一員だったころには、何度となく顔を突き合わせ、様々な話をし、意見を交わしてきた相手だ。ひととなりはよく知っているし、ガンディア王家のため、レオンガンドのためにすべてを捧げようという彼の精神性には尊敬の念さえ抱いていた。
神将ナルガレスの中にラクサス・ザナフ=バルガザールが生きていて、その高潔にして苛烈なる精神性のまま、輝かしい魂のままならば、話し合えば、互いを尊重し、理解し合えるのではないか。
そんな淡い期待さえ抱いてしまっていた。
だが、そうではなかった。
(いいえ)
そこまで考えて、ファリアは、胸中、頭を振った。そうではない。そうではないのだ。
むしろ、彼は、ナルガレスとして生まれ変わったことで、より忠烈になったのではないか。レオンガンドへの揺るぎない忠誠心は、獅子神皇に対して、さらに強固で頑健たるものへとなり、故にこそ、獅子神皇を絶対的な存在として見るようになったのではないか。
獅子神皇と、それ以外、という価値観に支配されるようになったのではないか。
かつてのラクサスも、ガンディア王家を、レオンガンドを絶対視してはいた。ガンディアにおける武門の名家バルガザール家に嫡男として生まれ、アルガザードの薫陶を受けて育った彼にとって、天地の中心はガンディア王家であり、ガンディア国王こそ、世界を支える柱というべき存在だと認識するのは、当然といえば当然だ。
しかし、それでも、以前のラクサスには、もう少し柔軟性があった。
レオンガンドと、それ以外、という価値観ではなかったのだ。
だから、話し合えた。
だから、理解し合えた。
だから、尊敬していた。
(いまは……)
ファリアは、オーロラストームに蓄積した電力を束ね、高威力の矢を撃ち放つと、瞬時に飛び退いて、ナルガレスとの距離を取った。
もはや斃すべき敵でしかない相手と認識した以上、感傷は不要だ。覚悟は決まっているし、揺るぎようがない。
問題があるとすれば、斃せるかどうか、という点だけだ。
そしてそれが極めて困難な問題であることは、これまでの戦闘でわかりきっている。
ナルガレスは、未だ全力を発揮していない。
余力を残している。
ファリアを殺す気がなかったからだ。ファリアを説得し、味方に引き入れるつもりがあったからだ。だから、力を抜き、ファリアを試すような戦い方をしていた。
随分と舐められたものだが、致し方がないことでもあった。そこに憤るのであれば、そのような隙を見せたことを後悔させるくらいの大打撃を、致命的な一撃を叩き込むべきだった。しかし、ファリアには、そのような真似ができなかった。
感傷に浸っていたからではない。
純粋に、それだけの隙がなかったからだ。
ナルガレスが大きく余力を残していて、それだ。
全力を発揮したならば、全身全霊で戦うようになったならば、状況は大きく変わることだろう。
より、逼迫した戦いにならざるを得ない。
(だから、戦いの主導権を握るのよ、ファリア)
みずからに言い聞かせるように胸中で告げ、立て続けに矢を放った。最初に放った雷光の矢は、ナルガレスの大盾に阻まれ、四散している。二本目の矢も、同じ結果に終わるだろう。ナルガレスが動かなければ、だが。
ナルガレスは、大盾を前面に構えたまま、動かない。
当然、二本目の矢も、大盾の中心に吸い込まれるようにして直撃し、爆発、四散した。大盾が揺らぐこともなければ、ナルガレスに微々たる損害を与えることさえできない。
やはり、ナルガレスを討ち斃すには、大盾の防御を突破するか、大盾に護られていない部分から攻撃する以外に方法はない。
(その場合、まず試すのは、後者よね)
ファリアは、複数の矢を同時に射出しながら、断定した。
大盾の防御力がとてつもないことは、これまでの戦闘経験からわかっているのだが、その限界がどれくらいなのかは未だ判明していないのだ。
ファリアの発揮しうる最大威力の攻撃で破壊できなければ、大盾を破壊した上でナルガレスに致命傷を与えられなければ、こちらに万にひとつの勝ち目もなくなるのだ。
だからこそ、まずは相手の隙を突くことに注力するべきだ。
本体が大盾以上の頑強さを誇るとは、考えにくい。




