第三千五百十七話 神の盾なるもの(一)
それでこそ。
そういって、ナルガレスは、大いに笑った。
実に嬉しそうな笑みは、彼の本心からの表情に違いない。
ファリアを見くびらず、過大に評価しているわけでもなく、ただ、純粋に賞賛している。
ファリアには、それが実にラクサス・ザナフ=バルガザールらしい反応に想えてならなかった。
王立親衛隊《獅子の尾》の隊長補佐を務めた彼女は、《獅子の尾》にあって、ルウファのつぎにラクサスと関わりの深い人間だったはずだ。少なくとも、セツナとラクサスが話した回数や時間は、ファリアのそれよりもずっと少ないだろう。
セツナは、隊長としての役割を隊長補佐のファリアと副長のルウファに分担させていたからだ。王立親衛隊の幹部が集まるような会議も、セツナが顔を出すことは少なかった。
セツナには、隊長としての務めを果たすよりも、ガンディア最強戦力として勝利に貢献することを期待されていたため、隊長としての職責のほとんどを免除されていた。
そして、その依怙贔屓と陰口を叩かれても当然のようなセツナの扱いも、彼の度重なる武功、燦然と輝く戦績が保証していた。
だから、だれも文句ひとついわなかったし、陰口もほとんど聞いたことがなかった。
むしろ、ラクサスやミシェルは、セツナの負担を気遣うことのほうが多く、ファリアとルウファは恐縮したものだった。
そう、ガンディアとは、良く出来た国だったのだ。
と、彼女は、いまさらのように想い、胸の奥に棘が刺さったような痛みを覚えて目を細めた。
一瞬のうちに数度、ナルガレスの剣が閃き、そのたびに凄まじい激突音と衝撃が吹き荒れた。ナルガレスの剣撃をオーロラストームで受け止め、弾き、捌いたからだ。火花が散り、雷鳴が唸った。
無論、ただ敵の攻撃を捌いていたわけではない。
ファリアは、ナルガレスの剣撃が吹き荒ぶ中、クリスタルビットを射出すると、相手が剣を振りかぶるのに合わせて雷光の矢を撃ち放った。ナルガレスが瞬時に屈み込んで雷撃をかわしたときには、ファリアも飛び退いている。
ナルガレスは、ファリアを追いかける。すると、その背中を雷光の矢が強く打ちつけた。小さな爆発が連続的に発生し、さしもの神将もわずかに体勢を崩す。
ナルガレスが避けた矢がクリスタルビットに跳ね返され、その背を打ったのだ。もちろん、ファリアの狙い通りの結果だ。
そして、小爆発の連鎖によって体勢を崩した瞬間を見逃すファリアではない。透かさず、クリスタルビットをオーロラストーム本体の左右に展開し、翼を補強する。すべての結晶体が励起し、雷光を加速度的に増幅していく。
「ああ、いいな」
ナルガレスが、体勢を立て直しながら、うなった。強い感情の籠もった一言は、ファリアの耳朶にも深く突き刺さる。
「これだ」
ファリアは、ナルガレスが真っ直ぐにこちらを見つめてくるのもお構いなしに、オーロラストームに充溢した雷光を解き放った。莫大な量の雷光が、視界を蒼白く塗り潰していく。周囲の大気を震撼させるほどの電熱の嵐が、一点に、ナルガレスに収束していく様は、圧巻としか言い様がない。
だが、ファリアは、蒼白く染まっていく視界の真っ只中で、ナルガレスが大盾を構える様を見ていたし、だからこそ、すぐさまその場を飛び離れ、電熱の嵐の結末を見届けなかった。
盾神の間に反響する爆音と散乱する閃光は、オーロラストームの破壊力を大いに見せつけるものだ。しかし、それが無意味に終わることを彼女は理解していたし、実際、その通りになった。
爆音が止むと、充満した煙が流れていく。
すると、そこには、当然のように無傷のナルガレスが立っていた。
「ファリア」
盾神の間を司る神将であり、かつて王の盾たる《獅子の牙》の隊長を務めたラクサス・ザナフ=バルガザールの成れの果てなのだ。
大盾が並外れた防御能力を持っていることは、想像に難くなかった。
神将を打ち破るには、おそらく獅徒同様“核”を破壊しなければならないのだろうが、その前に大盾の防御を突破しなければ、ファリアに勝ち目はない。
「やはり君は強い。並の人間では太刀打ちできるわけもなく、武装召喚師の大半すら、君の足下にも及ばないだろう」
「……ええ、まあ、そうでしょうね」
ナルガレスの発言内容を、胸を張って、肯定する。
それは、事実だからだ。
世界中数多といる武装召喚師全員の実力を知っているわけではないが、ファリアは、武装召喚術の総本山リョハンの出身であり、リョハン最高峰の武装召喚師たちを幼少の頃からずっと見てきたのだ。実の祖母ファリア=バルディッシュは、最高位の武装召喚師といっても過言ではなかったし、父も母も優れた武装召喚師だった。それに限らず、リョハンには、極めて優れた武装召喚師が多くいた。
リョハン以外にも、優秀な武装召喚師は存在した。ミリュウがそうだったし、ルウファも十二分に優れていた。グロリア=オウレリアなどもそうだ。
そういった実力者たちと比べてもなお、自分の実力が上位であると断言できるだけの自信が彼女にはあった。
過信などではない。
並外れた研鑽を修練を積み重ねた上で、異世界での最終試練を乗り越えたのだ。
それによって、自信と確信を得た。
もちろん、自信過剰に陥ってはならないし、油断してもいけない。自分の実力を見誤り、相手との力量差を見失っては、せっかくの鍛錬も、最終試練も、水泡と化すだろう。
(冷静に)
ファリアは、慎重にナルガレスのことを見ていた。
ナルガレスは、鉄壁の防御を誇るが、いまのところ、攻撃面においては決して対処の難しい相手ではない。剣による攻撃は、いずれも凄まじい速度と威力を持っているようだが、オーロラストームで受けきることのできる代物だった。
とはいえ、それもこれも、ファリアが最終試練を乗り越え、オーロラストームの真価を発揮できるようになったからこそだ。
以前のファリアとオーロラストームならば、斬撃を受け止めることもできず切り捨てられたに違いない。
オーロラストームの強度は、最終試練以前に比べて格段に向上している。
「君ほどの能力を持ったものを失うのは、実に惜しい。大いなる損失だよ」
「ネア・ガンディアにとって、でしょう」
そんなものに興味はない、と、いおうとしたが、いえなかった。ナルガレスがすぐさま言い返してきたからだ。
「世界にとって、だ」
「……そんな世迷い言、だれが信じるというのですか」
「真実をいっているつもりだが」
茶化されたとでも思ったのだろう。多少、眉を潜めるようにして、彼はいった。
「君だけではないよ、ファリア。ミリュウ=リヴァイアも、我が弟も、当然、セツナ殿も」
ファリアが自分の意見代わりに矢を射ると、ナルガレスは、涼しい顔で剣を薙いだ。神威を帯びた刃が、紫電の矢をばらばらにする。
「世界にとって、必要不可欠な人材にもなり得る。そう、わたしは想っている」




