第三千五百十四話 塗り替える(二)
ひとり、またひとりと消滅していく光景は、壮観といってよかった。
獅徒のことだ。
ナルフォルンの力によって生み出された獅徒の幻像たち。
対峙するは、エインの思考を読み取って生み出された突入組の面々であり、ナルフォルンがエインとの采配勝負のために用意した広大な盤上では、突入組と獅徒、そして神将たちが、エインの想像力を軽く凌駕した凄まじいまでに激しい戦闘を繰り広げていた。
それこそ、戦闘の余波だけで遠く離れた場所にいるはずのエインが吹き飛ばされそうになるほどであり、もしエインがただの人間としてこの場にいたのであれば、命を落としていたとしても不思議ではなかった。
これまで、幾多の戦いを経験し、様々な戦場を体験し、それこそ、神々との戦いさえも目の当たりにしてきたエインだったが、いま目の前で繰り広げられている戦闘は、記憶に存在するありとあらゆる戦いを超越するものであり、故に彼はただただ絶句し、見届けるほかなかった。
ナルフォルンのいうとおりだ。
エインが口を挟む余地など、どこにも存在しなかったのだ。
見守るしかない。
そうして、世界を震撼させるような激闘は膠着状態に陥っていたといってよかったのだが、突如として、変化が起きた。
獅徒のひとり、アルシュラウナが、ラグナシアとエリナの前に敗れ去ったのだ。
獅徒アルシュラウナの敗北と消滅を皮切りに、突入組の面々が、つぎつぎと獅徒を打ち破っていった。
エスクが獅徒オウラリエルを撃破すれば、エリルアルムが獅徒イデルヴェインを撃ち倒し、獅徒ファルネリアをシーラが打倒した。
獅徒ウェゼルニルはレムが、獅徒ミズトリスはウルクが、それぞれ討ち果たしている。
ちなみに、どうでもいいことではあるが、エインが獅徒の名を知っているのは、都度、ナルフォルンが教えてくれたからだ。
そして、戦況は変わった。
戦力差が激変したのだ。
突入組は、ひとりとして欠落していない。
一方、敵は、残すところ獅徒ひとりと四名の神将だけとなった。
(その後が本番なんだけど)
いまは、そのことは考えないようにしていた。
なぜならば、その本番を迎えられるかどうかは、いまナルンニルノル各所で繰り広げられている戦いの勝敗如何にかかっているからだ。
『さすがは、この世界の希望たちだな』
マユリ神が心の底から褒め称える聲を聞きながら、エインは、ナルフォルンを見ていた。
ナルフォルンは、獅徒の大半を失いながらも、追い詰められたというような気配さえ見せていなかった。むしろ、余裕さえ窺える。
彼女を含め、残された戦力は五名しかいないというのに、だ。
無論、そのいずれもがほかの獅徒とは比べものにならない力を持っていることは、比較するまでもなくわかっている。
ヴィシュタルは獅徒の長であり、かつて傭兵集団《白き盾》の団長を務めたクオン=カミヤなのだ。召喚武装にして無敵の盾シールドオブメサイアの能力は、獅徒として生まれ変わったいまでも健在だという話であり、ヴィシュタルを打ち破るのは容易いことではない。
神将の実力は未知数だが、獅徒の上位に位置しているのは間違いないはずだ。
つまり、神将を撃破するのは、獅徒を打ち倒すよりも余程困難であると考えるべきなのだ。
そして、突入組のうち、ファリア、ミリュウ、ルウファがそれぞれ神将と対戦していることは、幻像たちの様子からはっきりとわかっている。
セツナは、獅徒ヴィシュタルと死闘を繰り広げていた。
ナルフォルンは、神将のだれひとりとして脱落するはずがない、と信じているのだろう。
だからこその余裕であり、悠然と戦況を見守ることができているのではないか。
エインがセツナたちを信じながら、どこかに焦りと恐れを感じているのとは、わけが違う。
エインは、もちろん、セツナに全幅の信頼を寄せていたし、彼ならば獅子神皇をも討ち斃し、この世界を破滅の未来から救ってくれるものと信じているのだが、だからといって突入組のだれひとり失わず、完全無欠の勝利を収められるものだとは想ってもいなかった。
突入組は、連合軍選りすぐりの精鋭ではない。
獅子神皇に抵抗し、対抗しうるものたちで構成されており、その大半が黒き矛の庇護下にあるというだけの理由で選ばれたといってよかった。
でなければ、獅子神皇と戦うことすらできない可能性がある。
獅子神皇の打倒こそが唯一の目標である以上、そうするほかなかったのだが、その結果、エインは突入組の面々に犠牲を強いなければならない可能性さえ考えていた。
その結果、セツナに嫌われようとも構わない。
エインにとって、それは、名状しがたいほどに悲壮な決意だった。
だから、いまのところ、だれひとりとして脱落していない事実に胸を撫で下ろしているものの、安心しきってはいなかった。
斃せたのは、獅徒なのだ。
神将はひとりとして斃せていない。
ナルフォルンの余裕も、そこにあるはずだ。
神将ならば、獅徒に打ち勝った突入組の面々を蹴散らすことくらい容易いとでも想っているに違いない。実際、その通りなのかもしれないし、だからこそ、エインは連戦連勝の中でも不安を拭いきれなかったのだ。
しかし、そのときだった。
ミリュウが、神将ナルノイアを打ち破って見せたのだ。
無論、エインたちの目の前では、幻像が幻像を撃破したことでしかない。が、この幻像がナルンニルノル各所で行われている戦いを限りなく再現したものであることは、ナルフォルンの言動を信じる限り確かであり、彼女の発言を疑う道理はなかった。
故にこそ、エインは狂喜した。
「やった!?」
『ミリュウが、やったようだな……!』
エインに続くマユリ神の反応はどこか誇らしげですらあったが、対するナルフォルンの様子はといえば、神将ナルノイアの幻像が跡形もなく消滅していく光景を目の当たりにしても、睫ひとつ震えないほどに代わり映えがしなかった。
『神将は獅徒以上に強いはずだが、ミリュウはそれを討ち斃したのだ。アズマリアの試練とやらも決して無駄ではなかったというわけだな』
「信じていなかったんですか?」
『そういうわけではないが……』
どこまでいっても信用の置けない人物である、とでもいいたげなマユリ神の言い分も理解できるものだ。
とはいえ、ファリア、ミリュウ、ルウファの三人が異世界での試練を乗り越えたことで、武装召喚師として一回りも二回りも成長――、いや、進化を果たしたことは、武装召喚師ですらないエインにもはっきりとわかることだったし、それそのものは、マユリ神も認めるところだろう。
だからこそ、この大博打ともいえるような突入作戦に納得したのだ。
そして、だれもが想像以上の戦果を上げているという事実は、エインは無論、マユリ神をも興奮させたことはいうまでもない。
「ナルノイア殿を打ち破るとは、さすがはミリュウ様、ですね」
一方、同格であろう神将を討たれても顔色ひとつ変えないナルフォルンは、むしろ、ミリュウの健闘を湛えるばかりであり、その態度に不穏なものを感じずにはいられないエインだった。




