第三千五百十二話 神の剣なるもの(十一)
二本の巨大剣が斜めに交差し、ミリュウの肉体を四つに断ち切る。
その痛みが想像を絶するものだったのは、まず間違いなく、莫大な神威が込められた斬撃だったからだ。しかし、神威による肉体の侵蝕はなく、白化し、変容するようなことはなかった。魔王の祝福とやらのおかげなのか、どうか。
ともかくも、意識が消し飛ぶような痛みの中で、それでも、ミリュウは笑っていた。
肉体を四つに割かれた直後だ。
巨大剣の刀身が突如として爆ぜた。ナルノイアには、なにが起こったのか瞬時には理解できなかっただろう。それはあまりにも唐突だった。
つぎに、間髪を容れず起こったのは、爆砕の連鎖だ。爆砕に次ぐ爆砕が、四つの肉塊と化したミリュウ、その全周囲で発生すると、終わることを知らないかのように連鎖し続けた。なにが爆発し、砕け散っているのか。剣だ。ナルノイアの光背たる無数の飛剣。その一本一本に付着したミリュウの血液が、巨大剣の刀身を吹き飛ばしたのと同じように炸裂し、爆発を起こして血を飛ばす。
飛び散った血液が別の剣に付着すると、瞬時に爆砕し、さらに飛び散るものだから、爆砕の連鎖は収まりようがない。
二本の巨大剣があっという間に跡形もなく消し飛んでしまったのも、爆砕の連鎖によるものだ。爆発のたびに飛び移る血液が、巨大剣を影も形も残さず吹き飛ばしてしまった。
そして、ついにはナルノイア自身にも血液が付着すると、その異形の巨躯を爆砕の連鎖が襲った。
血液が完全に消滅するまで終わることのない爆砕の連鎖が、剣神の間をただただ震撼させ、閃光と爆音を絶え間なく轟かせていく。
爆発しているのは、血そのものではない。血中の鉄分が呪文を成し、術式となり、擬似魔法を発動させているのだ。
つまり、ミリュウは、ラヴァーソウルの能力によって、みずからの肉体を構成する鉄分さえも制御し、呪文を構築し、術式を構成して見せたということだ。
それはまさに己の命と引き替えに発動させた最終最期にして最大最凶の術式であり、それは彼女の想定通りの結果をもたらしたのだ。
連鎖する爆砕が止まったのは、凄まじい爆発の連続の中で引き金となる血液が完全に消滅したからであり、そのときには、巨大剣も飛剣もひとつ残らず消滅していたし、剣神の間そのものが完膚なきまでに破壊され尽くしていた。
剣神の間が元々壊滅的な状態だったことはいうまでもないが、それにしたって、擬似魔法ブラッドオブラブハートの威力は桁外れだ。
(我ながら素晴らしい命名よね)
ミリュウは、擬似魔法に即興でつけた名称を自賛しながら、周囲を見回した。
爆砕に次ぐ爆砕、大爆砕の絶え間ない連鎖によって、剣神の間はもはやなにもない荒野と化していた。獅子王宮の中を模していたはずの空間とは想えないくらい、なにもないのだ。壁も床も天井も、なにもかもが徹底的に破壊され尽くし、消し飛ばされている。
そんな爆心地を見回せば、目につくのは、わずかに残ったナルノイアの肉体の一部だ。
胸から上だけが、剥き出しの地面の上にあった。
再生していないことから、“核”の破壊に成功したのだと確信を持てる。
ミリュウは、そう認識したからこそ、ナルノイアに歩み寄った。ナルノイアが不意打ちを狙って、再生を遅らせている、などとは考えなかった。
彼にそのような戦い方ができるとは到底想えない。
「見事だ。ミリュウ殿」
先に声をかけてきたのは、ナルノイアからだった。もはや再生もできず、むしろゆっくりと崩壊を始める上半身の一部だけが残された彼は、最初の姿に戻っていた。つまり、人間に近い姿であり、故にその表情がはっきりと見て取れる。
どこか清々しささえある表情からは、ミリュウへの敵意や殺意といってものが消えて失せていた。
「最後に教えてくれないか?」
「なにをよ?」
「貴殿がなぜ、わたしに勝てたのか。その理由だ」
「……そうね」
ミリュウは、ナルノイアに多少の同情を覚えた。
自分に残された時間の少なさを自覚しているから、かもしれない。
ただし、その同情は、彼の境遇に対して、ではない。いま、まさに滅び行く理由を知らないということに対する同情であり、共感だ。
ミリュウ自身は、自分が死ぬ理由を知っている。ナルノイアに殺されたからだ。いま、こうして辛うじて生きている振りが出来ているのは、ラヴァーソウルの能力のおかげであり、力尽きた瞬間、命もまた、尽き果てる。肉体は肉塊と成り果て、物言わぬ亡骸と成って果てるのだ。
理由を知り、理解しているからこそ、納得もできる。
一方、ナルノイアは、どうか。
なぜ、どうやって負けたのかわからないままでは、滅びるのも納得が行くまい。
「あえていうなら、騎士道精神……かしら」
「騎士道精神?」
ナルノイアが訝しげな顔をした。まるで理解できないとでもいうように、だ。
ミリュウは、彼の感情などお構いなしに続けた。
「ええ。それがあなたの弱点だった」
「ふむ……」
ナルノイアが、寄せていた眉根をゆっくりと解きほぐしていく。崩壊は首まで進んでいた。
「嫉妬深いわたしには、程遠いものだと想っていたのだがな……」
「そんなわけ、ないでしょう」
ミリュウは、多少呆れながら、いった。
「最後の最後まで君主に仕え、死してなお、主の剣たろうとしたあなたほど立派な騎士はいないわ。たぶんね」
最後に小さく付け足したのは、なんともいえない気恥ずかしさからだった。
しかし、彼が騎士道精神を体現したような人物であり、神将と生まれ変わってもなお、その精神性に支配されていたことは、疑いようがない事実だった。
ミリュウと正々堂々戦い、真正面から叩き潰そうとした結果、彼は敗れ去った。
いや、痛み分けに終わった、というべきだろう。
「ふっ……」
「なにがおかしいのよ」
「君が……セツナ殿以外の男を褒めるなど、めずらしいこともあるものだと……そう想ったまでのこと」
ナルノイアの頭部は、口元を残してほとんど崩壊していた。何故口元が最後で残ったのか。彼が言葉を発するのに必要だったからに違いない。
そして、言い切ると、口元までも消滅した。
「そうね。本当にそうよ」
意識が薄れていくのを止められない。
力の流出。力の喪失。
命の流出。命の喪失。
わずかに与えられた制限時間を超過しようとしているのだ。
「おかしい……わ――」
ぼやけた視界がぐらりと揺れた。立っていられなくなったのか、それとも、肉体の結合が解け、ばらばらになっていくのか。
いずれにせよ、命の火が消えようとしているという事実を受け止めなくてはならない。
(嫌だな)
ミリュウは、本心からそう想った。
せめて、最期は愛するひとの腕の中で迎えたかった。
(セツナ……逢いたいよ……)
地面が近づいてきたそのとき、なにかが目の前に現れた。
(セツナ!?)
ミリュウが心臓が飛び出るほどに驚き、胸中で凄まじい音量の声を上げたのは、ぼやけた視界には黒髪の少年が見えたからだったし、その少年が彼女の体を抱き留めてくれたからだった。
ミリュウをそんな風に大切に扱ってくれる人間など、この世でただひとりしかいないのだ。
すると、途端に意識がはっきりしてきた。なんだか体が軽くなった上、全身を苛んでいた痛みという痛みが消えて失せる。
ああ、死んだのだ。
と、彼女は想った。
死んで、この世のありとあらゆる苦しみから解放されたに違いない。
だから、身も心も軽くなったのだ。




