第三千五百十一話 神の剣なるもの(十)
「ふむ……」
ナルノイアが、両腕たる巨大剣を止めたのは、ミリュウがあまりにもあっさり回避して見せることを不審に思ったからだろう。
斬撃は愚か、斬撃によって発生する余波をも容易くかわして見せたのだ。ナルノイアが疑問に思っても不思議ではなかったし、むしろ、当然といえた。
「どうしたのかしら? あたしをもう一度殺すんじゃなかったの?」
「殺すとも。殺すが、しかしそのためには、貴殿に起きた異変を、その実態を見極めておく必要がある」
「異変? なんのことかしらね」
「とぼけても無駄だ」
ナルノイアが呆れるようにいってきた。攻撃の手を止め、立ち尽くす異形の騎士は、その多数の目だけで、ミリュウの動きを追っている。
「貴殿がこうして立ち上がり、飛び回っていることそのものが異常事態なのだぞ」
「それもそうね」
ミリュウは苦笑とともに認めた。確かにその通りだ。このわずかばかりに残された命の時間そのものが異常事態であり、異変といってよかった。
「でも、もう遅いわよ」
遅すぎる、と、いっていい。
ミリュウの戦闘準備は、完璧に近く整ってしまった。広大な剣神の間の全域にラヴァーソウルの刃片を撒き散らし、磁力の結界の再構築に成功したのだ。これで戦場のどこにでも自由自在に飛び回ることができたし、既にそうしている。
加速し続けながら飛び回れば、ナルノイアの目から逃れられるのではないかと考えたのだが、それはどうにも浅はかだったようだ。
どれだけ加速しても、ナルノイアの視線がミリュウから外れることはなかった。
だからといって、巨大剣による斬撃が避けられないわけではない。
ナルノイアが巨大剣を振り抜こうとすれば、ミリュウは、即座にその斬撃に対応した回避行動を取ればよかった。そうするだけで、斬撃も、衝撃波も、容易くかわしきれる。
そして、擬似魔法を発動するのだ。
ナルノイアがミリュウに集中する余り、対処を怠ったのだろう刃片群は、ミリュウの意思のままに術式を構築し、擬似魔法を完成させており、彼女が発動するその瞬間を待っていた。
発動の瞬間、まばゆい光が螺旋を描き、ナルノイアの頭上に収束した。ナルノイアが巨大剣を交差させて頭を庇った直後、擬似魔法の光が稲妻のように降り注ぎ、巨大剣は愚か、ナルノイアの巨躯そのものを飲み込んでいった。
目が眩むほどの閃光と、凄まじい爆発音。
大気の震撼を肌で感じながら、ミリュウは、刃片群の磁力を操り、ナルノイアに向かって自分自身を撃ち出した。
あの程度の擬似魔法でナルノイアが撃破できる、などとは思ってもいない。並の神兵、使徒ならばいざしらず、神将なのだ。神に等しいどころか、並の神々以上の力を持っていることは、ミリュウにもはっきりとわかる。
ただの目眩ましに過ぎない。
ナルノイアの懐に潜り込むだけの時間的猶予が欲しかったのだ。
ナルノイアが巨大剣を振り回している限り、その間合いに入り込む余地はなかった。剣の結界といっても過言ではない。暴風そのもののような剣閃の数々が、隙間なく空間を埋め尽くし、結果的にナルノイアを護っていた。
それでは、ナルノイアに接近することもままならない。
なぜ、ミリュウがナルノイアへの接近に拘るのかといえば、現状行使可能な最大威力の擬似魔法を以てしても撃滅できないことが判明しているからだ。
どれだけ強力な擬似魔法を外から叩きつけても、それでナルノイアを損傷させることができたとしても、つぎの瞬間には元通りに回復しているのだ。
“核”を破壊しなければならない以上、それでは意味がない。
擬似魔法の絶え間ない連打で肉体を破壊し尽くし、“核”を消滅させるには、圧倒的に火力が足りないのだから、そんなことで精神力を浪費するのは間違っている。
残された時間も、精神力も、命も、決して多くはない。
一片たりとも無駄にはできない。
「擬似魔法を目眩ましにして、わたしの懐に潜り込む、か。しかし」
ナルノイアが少なからず残念がったのは、ミリュウが彼の間合いに滑り込んだ直後のことだった。
「そんなことでは、わたしの剣撃を防ぐことはできんよ」
ナルノイアが最後通牒のように告げてきても、ミリュウの背筋が凍るようなことも、寒気に襲われるようなこともなかった。
わかりきっていたことだ。
ナルノイアがいまのいままで両腕を振り回すだけで、斬撃を飛ばすだけでミリュウの相手をしていたのは、いざというときに光背の飛剣群を用い、虚を突くためだったに違いなく、実際、その通りのことが起こった。つまり、ナルノイアの間合いに滑り込んだミリュウを、無数の飛剣が待ち受けていたのだ。
前後左右上下――全周囲、ありとあらゆる方向、角度を、何千何万の剣がミリュウを包囲していた。彼女が身動ぎするだけの空間的余裕すらなかった。わずかでも動けば、皮膚が切り裂かれ、血が流れるに違いない。
まさに絶体絶命の窮地。
「こんなことで、あたしを止めることができると想ってんの?」
ミリュウは、ナルノイアに言い返すと、ラヴァーソウルに命じた。柄から発振される信号を受けて、刃片が磁力を操作し、斥力を生む。ミリュウをその場から弾き飛ばすための強烈な力。ナルノイアの懐に潜り込み、一矢報いるための最後の飛翔。
「まさか」
ナルノイアがどこか歓喜にも似た声を上げたのは、どういうことなのか。
ミリュウは、数え切れない刃の群れの真っ只中に飛び込みながら、神将の四つの目が輝く様を見ていた。巨大剣が振りかぶられている。全身至る所を切り裂かれ、突き破られ、ずたずたの肉塊同然となったミリュウが懐に飛び込んできたとき、真正面から切り捨てるために、だ。
ナルノイアに油断はない。
手加減など、あろうはずもない。
ミリュウの目論見を看破してさえいる。
だが、だからこそ、付け入る隙があろうというものだ。
(そうでしょうとも)
ミリュウは、自分自身の肉体が細切れになっていくのを認め、意識の内側に洪水のように押し寄せる痛みの数々に歯噛みしながら、ナルノイアの人格を見据えていた。
ミシェル・ザナフ=クロウという自尊心の極めて高い男の成れの果て。それこそが神将ナルノイアであり、それがすべてといっても過言ではなかった。
だから、彼はミリュウに止めをさせなかったのだし、いま、ミリュウの最終手段を完膚なきまでに叩き潰そうとして、待ち受けているのだ。
ずたずたに突き破られ、ばらばらに切り裂かれた肉体は、莫大な磁力の収束によって辛うじて人体の形を保っている。だが、もはや全身から溢れた血液を取り戻すことはかなわず、凄まじい速度で生命力が失われていくのを認めざるを得なかった。
それでも、ミリュウは、ナルノイアに近づいていく。
すべては一瞬の出来事だ。
一瞬にして、ミリュウは、飛剣の包囲網を突き破って、ばらばらになった肉体を繋ぎ合わせ、ナルノイアの元へ到達したのだ。
そして、ナルノイアが、まるでミリュウを迎え入れるようにして、両腕の巨大剣を振り下ろす。
ミリュウは、笑った。




