第三千五百十話 神の剣なるもの(九)
(ここで諦めたら)
ミリュウは、もはや残された時間が数えるほどしかないという事実を認め、全身が燃えたぎるような怒りと、胸が張り裂けるような哀しみの中にいた。
致命的だ。
致命的な失態を犯し、結果、命を落とした。通常ならば、死んでいたのだ。仮初めに生き長らえ、命を繋ぎ止められているのは、すべて、ラヴァーソウルの能力のおかげであり、ラヴァーソウルの加護のおかげといってよかった。
もし、召喚武装がラヴァーソウルでなく、彼女の最終試練を終えていなければ、間違いなく絶命し、すべてを失っていたことだろう。
こうして、立ち上がり、ナルノイアと対峙することなどできなかったのだ。
(ここで、諦めたりなんてしたら、セツナに嫌われちゃうわ)
無論、セツナがそんな薄情な男ではないことは、ミリュウも心の底から理解している。
セツナとは、呆れるほどひとのいい男なのだ。
ミリュウのような厄介な女を見離さず、突き放すこともなく、側に置いていてくれるだけでなく、慈しみ、愛してくれさえした。
いい男だ。
ただ思い浮かべるだけで、それだけでそのたびに惚れ直すほどにいい男だった。
だからこそ、だ。
そんな男に相応しい女でありたい、と、彼女は想うのだ。
胸を張って、セツナを愛していると宣言できる、そんな女でありたかった。
いまはまだ、到底、理想の自分には届いていない。
セツナがほかの女と話しているだけで嫉妬の炎が燃え上がり、セツナの目も耳も心もすべて独り占めにしたいという欲求がふつふつと沸き上がってしまう。
どこまでも卑しくて、どこまでも欲深で、どこまでも我が儘な、どうしようもなくちっぽけな女だった。
とはいえ、それでも変化したほうだ、と、想ったりもする。
少なくとも、セツナに惚れた直後よりは余程。
ただし、想いは、あの頃以上に強く、深く、烈しくなっている。
だからこそ、ミリュウは、いまにもこぼれ落ちそうな命を結び直し、残された時間の一秒たりとも無駄にはしないという覚悟を以て、ナルノイアを睨み据えた。
「死んだはずだ。わたしが殺したのだ。この手で、確実に」
ナルノイアが右腕そのものたる巨大剣でもって斬りつけてきたが、ミリュウには、その凄まじい速度と精度の斬撃がはっきりと見えていたし、故に避けることができた。
「でも、息の根を止めなかった。同情かしら? だとすれば、あまりにもむごい仕打ちだと想うわよ」
ナルノイアの息も吐かせぬ連続攻撃を軽々と飛んでかわしながら、ミリュウは、自分の五感が異様に研ぎ澄まされていることに気づいた。だからこそ、ナルノイアの剣の太刀筋が見えるようになり、その斬撃が生み出す余波が及ぶ範囲すらも予測し、最適な回避行動を取ることができている。
巨大剣による斬撃は、ただ剣を振り回しているだけではない。とてつもなく巨大な飛ぶ斬撃を発生させる上、極めて広い範囲に破壊を巻き起こすのだ。
そんな巨大剣の一撃を受けて、よくもまあ、上半身と下半身が綺麗に断ち切られるだけで済んだものだ、と、ミリュウは想う。
それもやはり、ナルノイアなりの情けだったのかもしれない。
勝てるはずのない相手に戦いを挑むしかなかったミリュウを哀れみ、せめて、亡骸を残そうとでも想ったのかもしれない。
だから、止めを刺さなかった。
「だって、まだ息があったんだもの。痛かったわよ。死ぬほどね」
ミリュウは、胴体を両断されてなお、意識が残っていたことを覚えているし、その意識が塗り潰されるほどの激痛の中で、それでも声を上げなかったのは、ナルノイアに情けない姿を見せたくなかったからだった。断末魔の声を上げる様を見て、情けないなどとは思うまいが、それでも、ミリュウは嫌だった。もし、そんな最期の姿をセツナや皆に報されるようなことがあったら、と思うと、死んでも死にきれない。
ミリュウはいま、己のそんな自尊心の高さに感謝していた。
あのとき、断末魔の声を上げていたら、恥ずかしさのあまり、戦いにならなかったのではないか。
「ならば、死んでいればよかったのだ」
ナルノイアが左腕も交え、凄まじい速度の連続攻撃を繰り出してきた。巨大剣と化した両腕は、胴体と繋がっておらず、故に斬撃の方向も角度も自由自在だった。真後ろに斬撃を繰り出すこともできれば、頭上も眼下も、どこもかしこも死角がないのだ。
だから、嵐のような斬撃と、それによって生じるまさに暴風のような衝撃波の数々から逃れ続けるのは至難の業だった。
安全圏などどこにもない。
戦場のどこもかしこもナルノイアの攻撃範囲内といっても過言ではなかった。
「そうすれば、また殺されることもない。再び、死ぬほどの痛みに苛まれることも、醜態を曝すこともない」
「そうね。でも、その場合、あなたを斃せないわ」
「どう足掻いても、わたしは斃せないさ」
「そうかしら」
「そうとも」
ナルノイアが自負とともに振り下ろした二本の巨大剣が、十字に交差し、十字状の飛ぶ斬撃を発生させた。直線上に存在するありとあらゆるものを切り裂き、吹き飛ばす衝撃波は、しかし、ミリュウを捉えることはできない。空を切り、遙か彼方へと消えていく。
ミリュウは、いまや再び剣神の間に満ちた磁力と完全に同化しているといってもよかった。
ナルノイアに両断されたとき、ラヴァーソウルの刀身の破片もまた、地に伏した。が、それはミリュウが斃れたからではなかった。ラヴァーソウルがその力を集中させ、ミリュウを仮初めにも蘇生させるためだった。
ラヴァーソウルの能力による強引な蘇生法によって一時的に生を得たミリュウは、まず、この戦場全体に再び刃片を撒き散らす必要に迫られた。地に落ちた刃片から刃片へと、斥力と引力を利用して飛び移り、磁力でもって弾き飛ばしていく。
また、ナルノイアの飛ぶ斬撃も利用した。
巨大な衝撃波そのものたる飛ぶ斬撃は、刃片を再び空中に撒き散らすのに大いに役立った。
飛ぶ斬撃は、その巨大さ故に、最小単位にまで分解した刃片を切り裂くことができない。いや、そもそも、微粒子に等しい刃片を粉砕することなど不可能に近かったし、たとえできたとしても、さらに小さな刃片になるだけのことだった。
ラヴァーソウルの能力を弱らせるには、刃片を消滅させるしかない。
が、ナルノイアの能力では、刃片を消滅させつことはできまい。できるのであれば、とっくにしているはずだ。
結果、ナルノイアの斬撃の嵐は、剣神の間を再びラヴァーソウルの、ミリュウの掌握下に置く羽目になってしまった。
もっとも、それだけでナルノイアに勝てるはずもない。
それだけで勝てるのであれば、ミリュウの胴体が真っ二つにされることなどなかったのだ。
(でも、いまは、違う)
ミリュウには、どういうわけかナルノイアの行動が手に取るようにわかっていた。彼の一挙手一投足が脳裏に描き出された軌跡を辿るのだ。つまり、ナルノイア自身の攻撃を回避することそのものは、決して難しくはないということだ。
巨大剣による斬撃も、斬撃が生み出す衝撃波も、その攻撃範囲を予測して飛び回れば、完璧に回避できた。
ただし、そのためにはラヴァーソウルの能力が剣神の間全域に及んでいなければならないが、それもいまや完成した。
(つぎは、あたしが勝つ)
その結果、再び命を落とすことになっても。




