第三千五百九話 神の剣なるもの(八)
勝負は、決まった。
ナルノイアは、真っ二つに両断したミリュウ・ゼノン=リヴァイアの体を見ていた。
見事なまでに戦い抜いた戦士の肉体は、全身、余す所なく負傷しているといっても過言ではない。よくもまあ、意識を失わず、戦い続けられたものだと感心するよりほかはなく、尊敬に値する、と、彼は想うのだ。
まだ、絶命してはいない。
その事実からも、彼女の生命力の凄まじさを感じるし、自分が如何に矮小な存在であるかを認識するしかない。
自分は、彼女のような状況になって、なお、生きられただろうか。絶望せず、希望の光を燃やし続け、敵に食らいつき続けることができただろうか。
このような惨状になってもなお、足掻こうとしただろうか。
頭を振る。
そんな人間が、神将になど、なろうはずもない。
彼は、自身の胸の奥底に燃えていた醜悪な嫉妬心が、いまや影も形も残っていないことに気づいた。ミリュウ・ゼノン=リヴァイアとの戦いの中で、自分の愚かしさを理解し、悟ったからだろう。
《獅子の尾》への嫉妬は、結局の所、ミシェル=クロウという人間の愚かしさの象徴だったのだ。
ミリュウの目が、いまもなお、炎のように燃えて、こちらを睨んでいる。いまにも命の火が消えようとしているものの目ではない。
だが、直に死ぬだろう。
彼女は、武装召喚師だが、人間だ。
ただの人間なのだ。
どれだけ召喚武装の能力が強力だろうと、胴体を真っ二つにされて生き続けられるはずもない。そういう能力ならばまだしも、彼女のラヴァーソウルにそういう能力はないはずだ。
擬似魔法で生命を繋ぎ止めるという可能性も考えられたが、残念なことに、彼女は、彼の剣を避けることに集中する余り、構築中だった術式を維持することすらできなくなっていたようなのだ。つまり、擬似魔法による延命は不可能と見ていい。
そもそも、いまのいままで剣神の間を磁力で掌握していたラヴァーソウルの刀身の破片が、ミリュウが真っ二つにされた直後から地に落ち始めていたのだ。彼女が制御していたからこそ、剣神の間全体に飛散し、磁力の結界となり、彼女自身が自由自在に飛び回れる空間を維持できていたのだろう。
その制御が失われた。
そのまま、永遠に、失われるのだ。
惜しい、と、想った。
彼女ほどの人間は、そうはいない。
卓越した技量も、圧倒的な力も、透徹した意思も、なにもかもがそうだ。
彼女ほどの水準に達した人間は、この世に数えるほどしかいないのではないか。
だから、惜しんだ。
惜しみ、手を差しだそうとした。
ナルノイアは、獅子神皇に選ばれた神将であり、神将には様々の権限が与えられていた。その権限のひとつが、神化させることであり、神化させ、己の直属の部下に加えることだった。神将のだれひとりとして、その権限を用い、部下を作っていないのは、それに相応しい存在に遭遇したことがないからにほかならない。
そしてそれには、神将が外に出向くことそれ自体がなかったからというのが理由として大きいだろう。
ナルノイアはともかく、ナルガレスやナルドラスが直属の部下を持たないのは、そういう理由からだ。
しかし、ナルノイアの手は、剣と化した腕は、空を切った。
というのも、ミリュウが起き上がったからだ。
「なぜだ」
「首を切り離さないでくれて、ありがとう。そのお情けに、いまはただ、感謝するわ」
真っ二つにされたはずの胴体をどういうわけかくっつけた彼女は、魔女のような艶然たる表情で、こちらを見ていた。多分に含まれているはずの怒気がむしろ魅力的に見えるのは、どういうわけなのか、ナルノイアにはわからない。
いや、そもそも、なぜ、彼女が起き上がったのか、その理屈すらわかっていない。
「なぜ、生きている?」
「死んでいるわよ、ほとんどね」
彼女は、いった。
「本当、腹が立つわ」
怒りと哀しみに満ちた声は、彼女の本音だったに違いない。
「あたしは生きたかったのに」
慟哭。
「セツナと、セツナたちと、ずっと一緒に生きていたかったのに」
彼女は、ナルノイアが切り飛ばした右腕をどうやってか引き寄せ、胴体と同じようにくっつけると、ラヴァーソウルの柄を強く握り締めて見せた。
「こんなところで死んでしまったわ」
「だったらどうして、立っていられる!」
「死者が仮初めにも生きられる世界よ? いまさらなにをいっているのかしら」
ミリュウは、薄ら笑いを浮かべると、ゆらりと、溶けるように後ろに飛んだ。
ナルノイアの巨大剣が空を切ったのは、彼女の笑みに見取れたからに違いない。
死んだ。
死んでしまった。
こればかりは、どうしようもない事実だ。
ナルノイアの一撃を受けたのだ。死ぬしかない。人間なのだ。ただの人間がどれだけ強靭な鎧を身に纏おうと、並の神以上の力を持った存在に斬りつけられれば、殺されるほかない。肉体が跡形もなく消し飛ばされなかっただけよしとしなければならなかった。
人間の肉体の強度を上げる手段はない。
皇魔のように、竜のように、神のように頑強な肉体を持つ手段はないのだ。
頑丈な鎧にも限度はある。
召喚武装の能力で身を守るにも、限界はある。
この隔絶された領域では、皇魔の魔法で護ってもらうことも、神様の加護を得ることもかなわない。
結局、肉体は人間そのものであり、そこが弱点といえば弱点だった。
どれだけ鍛錬を重ねても、どれだけ研鑽を積んでも、どれだけ召喚武装と分かり合っても、肉体の強度には限界がある。
強度を容易く凌駕する攻撃を受ければ、破壊されるしかない。
そのために、ミリュウの肉体は真っ二つに切り裂かれた。容易く、軽々と、真っ向から、なんの種も仕掛けもなく、あっさりと。
本来ならば、それで絶命するはずだった。
胴体を真っ二つにされたのだ。
上半身と下半身に切り離されたのだ。
それで意識を保ち続けられることなど、通常、ありえない。
即死するのが普通だ。
だが、ミリュウは即死しなかったし、意識を保っていられた。
《ミリュウ》
聲が、聞こえた。
ラヴァーソウルの聲が脳裏に響いたかと想うと、自分が即死していないことに気づいた。いや、肉体的には死んでいる。もう、生き返ることなどできはしないだろう。
しかし、意識があり、感覚があった。
なにより、切断されたはずの胴体から、血が流れ出していないことを知った。即死どころか失血死を免れることができたのだ。それもこれも、ラヴァーソウルのおかげなのだと理解し、その力を頼った。
磁力で覆われた切断面を接合すると、上半身のみならず、下半身も思うままに動いた。以前よりも反応が機敏な気さえした。
ナルノイアが突如として起き上がったこちらを見て、愕然としたのだろうと思うと、多少なりとも溜飲の下がる想いだったが、それも一瞬のことだ。
それ以上の怒りと哀しみが湧き出して、どうにも止まらなかった。
死んでしまった。
いまは、ラヴァーソウルの能力によって辛うじて繋がり、まるで生きているかのように動いている肉体も、この精神力が消耗し尽くした暁には、その役割を終えるのだ。
たとえ、ナルノイアを斃せたとして、その先に幸福な未来はない。
ない、が、だからといって、ここですべてを放棄するほど、ミリュウは無責任ではなかった。




