第三百五十話 出陣間際(三)
「あなたと隊長の仲の何処が不穏なのかしら……」
ファリアが顔をしかめたのは、ミリュウがファリアの背後から抱きつくようにして立っているからだ。自然、ミリュウの声はファリアの耳元に発生することになる。ミリュウが遠慮なく叫べば、ファリアが表情を歪めるのも当然だった。もっとも、ミリュウは頓着していない。気づいてさえいないのかもしれない。
「引き裂くって……」
「セツナの信奉者とかいうなら、セツナの幸せを願うべきよ」
「はあ」
「セツナの幸せってことは、あたしと付かず離れずいることよね。うんうん」
「そ、そうですか」
エインは愛想笑いを浮かべながら、呆れ果ててものもいえないといったようなファリアの表情と、周囲の空気を感じた。一方、ミリュウの大袈裟な言動に混じる軽薄さに意識を留める。
(本気でいっているのかな?)
ミリュウがセツナに拘っていたのは、最初からだ。彼女は捕虜になってからずっと、自分を負かしたセツナの存在に固執していた。尋問の中でも、ずっと、彼のことを気にしていたのだ。その理由は、エインにはわからない。説明されていないのだから当然ではあるが、必ずしも理解できないことでもないのかもしれなかった。
エインも、彼女と同じようなものかもしれないのだ。
エインがセツナを目撃したのは、ログナーの戦場だった。当時、エインはアスタル=ラナディースの親衛隊に所属していた。そして、目の前で繰り広げられた黒き矛の苛烈な戦いは、エインの思考を止めた。
圧倒的な暴力が同僚たちを殺戮していく様を目の当たりにして、彼は衝撃を受け、価値観が激変した。黒き矛が描く軌跡にさえ感動し、その穂先についた血が、斬撃とともに飛んで行く映像が網膜に焼き付いている。
死そのものだと思った。
死がきたのだ、と。
しかし、後悔はない。死がこれほどのものならば、喜んで受け入れよう――。
もっとも、彼は生き残り、戦争は終わった。多数の死傷者がでたものの、犠牲が最小限で済んだことは疑いようがない。あのとき、アスタル将軍が敗北を認めなければ、もっと多くのログナー人が殺されていただろう。
アスタル将軍の判断を責める声もなくはなかったが、勝敗を見極め、死者の数を最小限に留まらせたのは、その英断にほかならなかった。あの場にいた誰もが認めるところだろう。
だからこそ、ログナー軍人の中でアスタルの評価は変わらないのだ。アスタルの判断が間違いであれば、戦後に人望を集めていられるはずもない。
エインは、気がつけば、黒き矛の武装召喚師のことばかり考えるようになっていた。彼に逢いたい一心で、ここまできたのだといっても過言ではない。
そう考えれば、軍団長失格かもしれない。
エインは、私情でここまで来たのだ。
それは、いい。
引っかかったのは、ミリュウの言動の妙な軽さだ。わざとらしい振る舞いは、本心を隠すための防壁のように思えるのだ。本当は、そんなこと微塵も思っていないのではないか。セツナに近づいたのも、セツナの名を口にするのも、そうしていればだれもなにもいってこないからではないのか。
セツナ・ゼノン=カミヤという、特別な立ち位置にいる人物に寄りかかっていれば、滅多なことでもしでかさない限り、だれも文句もいえないだろう。セツナ自身は自分の立ち位置を理解していない節があるが、彼の発言力や影響力は小さくはない。むしろ、ガンディア軍においては大将軍、左右将軍に次ぐほどといってもいいのではないか。彼が積極的に利用しないからわからないが、彼がその気になれば派閥を形成することくらい用意だろう。セツナ派というものが作られれば、真っ先に参加する自信がエインにはある。
ミリュウは、彼の庇護下にあるということを主張しているのではないか。
もっとも、それだけではないというのは、意識不明のセツナをずっと看病していたという事実からも窺えるのだが。
(妙なひとだな)
嫉妬はない。
エインが女ならば妬んだかもしれないが、男である以上、そういう感情が沸くことはないのだ。
「まあしかし、だいそれた作戦ではありますなあ。まさか、ふたりのカミヤ殿を囮に使うとは」
「囮?」
ドルカの発言に、エインは苦笑を漏らした。勘違いするのはドルカが悪いのではない。エインの軍議での説明を聞けば、だれもがそう思うだろう。実際、そういう部分もないではないのだ。
「敵の最大戦力に対し、こちらの最大戦力を叩きこんだだけです。もちろん、簡単に倒せるとは思いませんし、陽動であることに違いはありませんけどね」
ドラゴンの力は圧倒的だ。セツナが苦戦を強いられ、意識不明の重傷に陥るほどの相手だ。召喚武装を模倣するという、武装召喚師にとっては天敵ともいえるような能力を有している。
それはミリュウ=リバイエンの召喚武装である幻竜卿に酷似した能力であり、彼女自身もその類似性を言及していた。彼女によれば、試しに召喚してみようとしてものの、幻竜卿は彼女の要請に応じなかったということであり、なにかしらの関連性があるかもしれないとのことだった。
ミリュウ=リバイエンは、ザルワーンの武装召喚師育成機関、魔龍窟出身の武装召喚師だ。彼女の召喚武装は、魔龍窟の武装召喚師が教わる術式であり、魔龍窟出身者ならだれもがその呪文を諳んじることができるらしい。
しかも、契約の欺瞞によって、契約者――つまり、最初の召喚者ではなくても扱うことができるということであり、仮にミリュウが召喚できなかったとしても、ほかのだれかが召喚している可能性も低くはないのだとか。
だが、魔龍窟の武装召喚師はほぼ全滅しており、幻竜卿を召喚できる人物は、ミリュウが知るかぎりでは三人しかいないという。そして、龍府にいるはずの当該人物が幻竜卿を召喚する必要性は薄い。
ビューネルに出現したドラゴンが、ファリアのオーロラストームを模倣し、さらにカオスブリンガーを模倣したとき、ミリュウは幻竜卿との関連性を疑ったのだ。そして、幻竜卿が召喚できないことが確認できたことにより、疑惑は確信に近づいた。
幻竜卿だけではない。彼女は、念の為にとすべての武装召喚術を試したらしいのだが、どれもこれも召喚できなかったらしい。ザインが用いた魔竜公、クルードがファリアを追い詰めた光竜僧、ジナーヴィが装備していたという天竜童、フェイ=ヴリディアの双竜人、それに火竜娘、それに地竜父。魔龍窟の武装召喚師にとって基本とされる竜人までも召喚できなくなっていたことには、ミリュウも驚いたらしいのだが、そんなことはどうでもよかった。
大事なのは、彼女のもたらした情報だ。
ドラゴンと武装召喚術の関連性については、《白き盾》の武装召喚師たちからも報告に上がっていた。ドラゴンが出現する際に目撃した光は、武装召喚術の召喚の光に酷似したものだった。
そこへ、ミリュウの話があった。
武装召喚術に近い力が働いているのは間違いないと見ていいだろう。ドラゴンの召喚、あるいは、ドラゴンの存在そのものに魔龍窟の召喚武装が関わっているのかもしれない。が、ガンディア軍に所属する武装召喚師たちにも想像がつかないことらしく、だれもが答えを見出せなかった。
《大陸召喚師協会》の総本山ともいわれる空中都市リョハン出身のファリア・ベルファリアですら首を捻っていた。
答えが出ないのなら考えても仕方がないと、彼は結論した。もちろん、セツナとクオンには、手に入れた情報を整理して伝えてはいる。しかしながら、彼らの戦いにとって意味のある情報とも思えなかった。幻竜卿と同じような能力を持っているからといって、対処のしようがないのだ。
召喚武装を模倣するのなら、模倣されないように通常の武器、兵器を使うというのが正しい答えだろう。だが、通常の武器や兵器では、ドラゴンに傷をつけることすら難しいのは、中央軍の偵察部隊が実証済みだった。矢は外皮に弾かれ、剣も槍も鉄槌も、龍の鱗に爪痕さえ残せない。
「最強の矛と無敵の盾ですよ。陽動程度で済むと思いますか?」
「確かに、ふたりのカミヤ殿ならなんとでもしそうではある」
なにもかもを諦めたかのようなドルカの口振りに、エインは表情を緩めた。
ふたりのカミヤ。ふたりの規格外の少年。セツナとクオン。絶大な破壊力を秘めた黒き矛と、絶対的な防御力を誇る白き盾。なにもかもが両極端で、相反する存在のように思えるし、実際、セツナはクオンに対してわだかまりがあったようだが、いまではそういったものを微塵も見せなかった。
作戦説明のときのふたりは、仲のいい友人にしか見えず、だからこそエインはクオンに対して嫉妬せざるを得ないのだ。おかしな話だと自分でも思うのだが、感情というのは完全に制御できるものでもないらしい。もっとも、作戦説明中、エインはそういった感情を表に出すことはなかったし、説明後も平常心を保つことができた。それはひとえにセツナに嫌われたくない、という想いがあるからだろう。
「そういえば、あっちもカミヤなのよね。セツナ=カミヤにクオン=カミヤ、か」
見ると、ミリュウはファリアの肩に顎を乗せるようにしていた。ファリアは彼女の態度には、もはやなにもいえないといった様子だった。とても仲が悪いようには見えない。むしろ良好そのものだ。
「知り合いなのよ、あのふたり」
「知ってるわよ」
ミリュウが口を尖らせると、ファリアが怪訝な顔で後ろを振り返った。
「なんでよ?」
「いったでしょ」
「……ああ、そういうことね」
憮然とするミリュウに、ややあってファリアがうなずく。エインにはわからない事情があって、それを思い出したのだろう。それでわかったのは、エインたちの尋問では答えなかったようなことも、ファリアには話しているということにほかならない。
やはり彼女は、ただ生き延びるためにセツナたちに取り入ったというわけではなさそうだった。ただ取り入るだけならば、尋問にも隠し通すようなことを教えるとは思えない。
「いま、羨ましいと思ったでしょ」
「そうね、少し」
「あたしもあなたが羨ましいわ」
「どうして?」
「あなたには未来がある」
「……?」
ファリアが不思議そうな顔をした。
ふたりの会話の内容はまったく理解できないが、口を挟んではいけない気がした。
「あなたにも、あるでしょう?」
「どうかしらね」
ミリュウはファリアから離れると、頭上を仰いだ。
彼女のいいたいことは、わからなくはなかった。ミリュウは捕虜だ。戦争が終わったとき、彼女に待ち受けるのはどのような処分なのか、いまのところ不透明だった。有能な武装召喚師である彼女を無碍にはしないだろうが、上層部がなにを考えるのかなど、エインにわかるはずもない。
いや、そもそも、彼女はこの戦いを生き延びることができるのか。
恐らくミリュウはそのことをいっているのだ。
彼女は、死地に赴かなければならない。