第三千五百七話 神の剣なるもの(六)
「猶予?」
ミリュウが足を止めたのは、突如として飛ぶ斬撃の嵐が止んだからだ。
斬撃が止んだのは、ナルノイアの全身が光り始めたのと無関係ではあるまい。
ナルノイアは、いまのいままで、飛ぶ斬撃を繰り出すことに集中していたのだが、突如として攻撃の手を止めたのだ。それと同時に彼の全身が光を放ち出している。鋭く、激しく、まばゆいばかりの光。神威の光だろう。神々しく、畏れ多いもののように感じられた。
踏ん張らなければ、ミリュウの意識まで持って行かれそうなほどに強い力があった。
「貴殿らはさすがだ。さすがはかつてガンディアの隆盛を牽引し、ガンディアの武力、その大半を担っただけのことはある。いや……」
ナルノイアが、頭を振る。
「そうではないな。たかがガンディアの軍事力の大半を担ったところで、このような状況を作り出すことなど不可能だ」
「さっきからなにをぶつぶつと……」
ミリュウは、ナルノイアの言動に注視しながらも、この機を逃すまいと全力でラヴァーソウルに命令を飛ばしていた。ラヴァーソウルの刃片たちを磁力で制御し、呪文を構築し、術式の完成を急がせる。ナルノイアが斬撃を飛ばさなくなったということは、いくらでも複雑で精緻な術式を構築することが可能であり、先程の擬似魔法よりもさらに強力な擬似魔法の発動に漕ぎ着けることすら不可能ではないのではないか。
無論、ナルノイアがいつ攻撃に打って出てくるのかはわからないため、陽動のための術式も作っておく必要があるが、その点で抜かりはなかった。
破壊されても構わない術式をいくつも作っておくことで、本命の術式を隠し、完成と発動へと漕ぎ着けたのが、先程の擬似魔法だ。いくら相手が隙だらけとはいえ、本命の術式を曝すような愚かな真似をするミリュウではない。
「現状だよ。我々の置かれている状況が激変しているという現実を、貴殿にも伝えておきたかった」
「なんでよ?」
「貴殿も知っておくべきだ。貴殿とともにナルンニルノルに突入した仲間がいかにして戦い、いかにして打ち勝ち、いかにして生き延びているのか。その事実を」
「皆、無事なのね? 生きている? 勝った?」
「そうとも。貴殿らの活躍によって、我が戦力は大打撃を被った」
淡々と告げてくるナルノイアの発言のひとつひとつが、ミリュウの感情を、心を、飛躍的に昂ぶらせていく。興奮せざるを得ない。
やはり、ミリュウ以外のだれもが自分と同じように敵と対峙し、戦わざるを得ない状況に追い込まれていたようだが、皆、無事に戦い抜き、生き残ったというのだ。
これを聞いて喜ばないわけがない。
たとえセツナ一筋だとしても、仲間は仲間だったし、大切な弟子もいるのだ。素直に喜ばしかった。
ナルノイアが欺いているとは、微塵も考えなかった。
ミリュウの心を揺さぶるために欺いたり、騙したりするのであれば、逆の内容を告げるべきだろう。味方の勝利や無事を告げられて、精神的に動揺する人間がどこにいるというのか。
そういう観点から見ても、ナルノイアの発言を信じることができた。
それに、だ。
「獅徒は、もはやヴィシュタルを残すのみとなり、彼と我ら神将のみで、貴殿らを殲滅しなければならなくなった」
莫大な神威の光を発散するナルノイアの姿からは、ミリュウに精神的動揺を与えることで勝利を得ようとするような、そんな小狡い考えを持っているようには見えなかった。
全身全霊、持ちうる限りの力を発揮して、圧倒し、叩き潰す。
そんな覚悟が感じ取れるほど、ナルノイアの力は爆発的であり、絶大だった。
「もはや、貴殿ひとりだけを相手にしていればいいわけではなくなった、ということだ」
「……やっと本気になった、ってわけ?」
「そういうことだよ、ミリュウ殿」
ナルノイアの声が、一際強く聞こえたのは、彼がその力を完全に解放したからなのだろうか。ミリュウの視界を真っ白に塗り潰していた光が次第に収まっていくのも、それが理由なのかもしれない。ゆっくりと視界が正常化し、感覚もまた、戻っていく。
「そして、こうして全身全霊の力を発揮するのは、貴殿がそれに値する存在だと認めたからだ」
ナルノイアの声は、耳に突き刺さるだけではなかった。鼓膜を貫き、脳へ至り、心の奥底、魂にまで到達するほどに力強かった。心が揺さぶられ、魂が震えるほどの声。
(なに……これは……?)
ミリュウは、いつの間にか自分の胸に手を当てていることに気づき、はっとした。胸が高鳴っている。鼓動の加速。血流の加速。感覚の加速。震えている。身も心も命も魂も、なにもかもが震えている。
まるで、畏れているかのように。
「わたしがすべての力を以て相手にしなければならないほどの存在だと、改めて認識したからだ」
やがて、それは姿を現した。
ミリュウの世界を真っ白に塗り潰していた光の根源たるそれは、もはやひとの姿をしていなかった。いや、そもそも彼は人間ではない。ひとの身を捨て、ひとの在り様を捨て、ひとのすべてを捨て、神将となっていたのだが、人間に似た姿だったこともあって、認識にずれが生じていたのだ。
彼の真の姿を目の当たりにすれば、その考えがあまりにも愚かだったのだと想わざるを得ない。
元が人間だったこともあり、人体に近い構造をしてはいる。頭があり、首があり、胴体に繋がり、腰があって足が二本、ついている。しかし、肉体の表面を覆っているのは肉でも皮でもなく、装甲のような硬質ななにかだった。白く淡く発光しているそれらは、神秘的な装飾が施されており、やはり、肉体の上から甲冑を纏っているように見えなくもなかった。
頭部にしたって、そうだ。異形の兜を被っているように見える。顔面を覆う仮面に四つの目があり、金色の宝石のように輝いていた。
頭部のみならず、胴体も肩も、腰も、足も――全体的に鋭角的な印象を受けるのは、気のせいではあるまい。
両腕がなかった。
両肩は刺々しい巨大な肩当てに覆われているため、どうなっているのかはわからないのだが、両腕が存在しないことは間違いない。肩から先がないのか、肩そのものが存在しないのか、その程度の違いでしかないのだ。
両腕がない代わりなのか、肩の先に剣が浮かんでいた。右と左にそれぞれ一本ずつ、極めて巨大な剣は、彼の身の丈ほどもあるだろう。
そしてそれは、ミリュウの身長を優に超えていることを示している。
ナルノイアの身長そのものが大きくなっているからだ。
さらに彼に圧倒されるのは、その真後ろに浮かぶ光背のせいだろう。
神属がその神秘性を象徴するかのように背負う光は、神によってその姿形を変えるが、彼が背負うそれは、無数の剣だった。
何百、何千では済まない数の剣が、ナルノイアの背後に複雑かつ精緻な紋様を作り上げているのだ。
「そして、わたしがそう考えを改めたからには、死を覚悟したまえよ」
神将ナルノイアは、そう、静かに告げてきた。
決定された事項を通知してくるような、そんな冷ややかさで。




