第三千五百六話 神の剣なるもの(五)
さながら、ミリュウの心情を具現したかのような真紅の光の洪水は、ナルノイアによって切り刻まれた地面を舐め尽くし、ナルノイア自身を包み込んだ。空間が揺らぎ、激しく震撼する。音は、しなかった。いや、爆音が轟いたのかもしれない。しかし、ミリュウの耳には聞こえなかった。聴覚が拒絶するほどの轟音だったのだろう。
瞬く間に生じた連続的な閃光が、つぎつぎに心臓型に炸裂し、空間そのものを破壊していく。
ミリュウが精魂込めて作り上げ、発動に漕ぎ着けた擬似魔法だ。生半可な威力ではなかったし、とてつもない精度を誇っていた。
神兵ならば一撃で消滅しただろうし、並の使徒でも同じ結果に終わっただろう。分霊とて、生き延びれるものかどうか。
もっとも、相手が神ならば、話は別だ。
神を滅ぼしきるには、ただ破壊力の高い攻撃を叩きつければいいというものではないからだ。
神を滅ぼすには、魔の力がいる。
魔法は、魔の法とはいうが、魔の力ではない。
人為的に法を歪め、奇跡のような事象を引き起こす悪魔のような所業――それが魔法なのだ。
よって、それを再現した擬似魔法で、神を滅ぼすことは不可能に近い。
しかし、相手は、神ではない。
獅子神皇に仕える将であり、使徒に似て非なる存在なのだ。
ミリュウは、そこに一縷の望みを持ったが、音なき爆発につぐ爆発が収まり、白くまばゆい爆煙が視界を包み込んだあと、待ち受けていたのは、ナルノイアの声だった。
「術式は破壊したはずだ。だのに、なぜ。なぜ、擬似魔法が発動した……?」
それは、彼の自問であり、ミリュウに対する問いかけではなかった。
仮にミリュウへの問いかけであったとしても、彼女が答える道理はなかったし、答えるつもりもなかった。ナルノイアの虚を突き、滅ぼしきれなかったにせよ、大打撃を与えることができたはずの擬似魔法、その発動方法を披露し、みずからを窮地に追い込むほど、ミリュウは愚かではない。
そして、擬似魔法の一度の発動で満足するほど、浅はかでもないのだ。
ミリュウは、ナルノイアの無事を確認するやいなや、落胆することなく、つぎの一手を打った。擬似魔法の発動だ。
続いての擬似魔法は、輝く爆煙そのものを苗床とするものであり、先程発動した術式に仕込んでいた擬似魔法だった。
(これがあたしの時間差連鎖術式よ)
胸中、だれとはなしに告げたとき、魔法の爆煙から無数の光の糸が伸びた。それは爆煙そのものが糸状に変化したかのようであり、一瞬にして視界が良好となったときには、ナルノイアを光の糸で雁字搦めに絡め取っていた。
瞬く間もない。
当然、ナルノイアが回避する暇もなかっただろうし、そもそも、回避行動に移ろうという考えさえ起きなかったはずだ。
最初の擬似魔法ラブハートの炸裂直後に発動するものではなかったのだ。もし、ラブハートによって消滅させることができていれば、発動させる必要がないからだ。ラブハートで斃しきれない場合の保険として仕込んでいたのが、対象を拘束するための擬似魔法プリズンプリズムなのだ。
そしてそれは、見事、彼女の思惑通りに発動し、成功した。
ナルノイアは、ラブハートの直撃を受けて、ずたぼろといっても過言ではない有り様のまま、無数の光の糸に絡め取られていた。並外れた回復能力を持っていてもおかしくはないはずなのだが、どういうわけか、まったくもって復元していない。
虚を突けたから、だろうか。
ラブハートの直撃による損傷を回復するよりも早く、プリズンプリズムが発動し、ナルノイアを拘束した。プリズンプリズムは、ただ相手を絡め取り、拘束するだけの擬似魔法ではない。光の糸に触れている対象の力を抑え込み、制限することにこそ、その本質があるのだ。
そのプリズンプリズムの性質が、ナルノイアの回復能力を抑え込むことに成功したのかもしれない。
(そんなに上手くいくとは、考えにくいけれど)
ミリュウは、極めて慎重に状況を見ており、ラブハートが炸裂し、プリズンプリズムによって相手を拘束することに成功したからといって、手放しに喜んだりはしなかった。相手がただの使徒ならば、声を上げて喜んだかもしれないが、そうではないのだ。
神将。
獅子神皇の側近中の側近なのだ。
並外れた力を与えられているはずであり、その加護と祝福たるや、獅徒に勝るとも劣らないはずだ。
油断してはならないし、一瞬たりとも気を緩ませてはならない。
故にミリュウは、この間も術式を構成しつつあった。
「なるほど。そういうことか。理解したよ」
擬似魔法の光の糸による拘束の中で、ナルノイアは、腑に落ちたとでもいわんばかりの表情をした。全身、様々な箇所を削り取られ、失い、見るからに瀕死の重傷といった有り様だが、彼の反応を見る限りでは、そんな様子は微塵もなかった。
まったく効いていない、と、見るべきだろう。
やはり、神将を斃すには、ただ大打撃を与えるだけでは駄目なのだ。
ミリュウは、再認識すると、術式の完成を急いだ。
「認識した。はっきりとな」
ナルノイアがそう言い切ると、彼の周囲に無数の剣閃が走った。神将を雁字搦めに絡め取っていた無数の光の糸が、あっという間もなく、ばらばらに切り刻まれ、ナルノイアの肉体が自由の身となる。そして、つぎの瞬間には、ナルノイアの肉体は元通りに復元したものだから、ミリュウは、憮然とするほかなかった。
「やはり、素晴らしい」
再び、剣閃が嵐のように巻き起こると、ナルノイアを中心とした全周囲、ありとあらゆる方向へと斬撃が飛んでいった。
ミリュウは、飛来する斬撃を回避するのに精一杯であり、構築中の術式を護ることができなかった。各所で呪文を構築中だった刃片群がつぎつぎと粉砕され、空中に散らばっていく様を認識する。
「それでこそだ」
「なにが」
「それでこそ、《獅子の尾》の隊士だといったのだよ、ミリュウ・ゼノン=リヴァイア」
ナルノイアは、斬撃の嵐を巻き起こし続けながら、こちらを見つめてきた。斬撃の嵐を起こすためだろう――全身、至る所から生えた刀身は、まるで彼自身が剣にでもなるかのような、そんな感じさえした。
「呪文と見ればすぐさま粉砕していたはずだというのに、なぜ、擬似魔法が発動したのか。それは、だ。端から呪文が打ち砕かれることを見越していたからだろう? 我が刃によって打ち砕かれてこそ、真価を発揮する呪文であり、破壊されることで完成する術式だったからだ。だから、あのとき、擬似魔法が発動した」
ミリュウは、なにも反応しなかった。
つぎつぎと飛来する斬撃を回避するのに精一杯だったこともあるし、図星だったからでもあった。しかし、反応しないからといって、ナルノイアを騙せるはずもない。
当たっている。
看破されてしまった。
その事実が、多少なりともミリュウを焦らせたのもまた、当然だった。
「認めよう。貴殿は、我が斃すべき敵だ」
「……そんなことを改めていわれても、なにひとつ嬉しくないんだけど」
ミリュウは、斬撃の嵐の中を掻い潜りながら、体中、至る所に生じる痛みに歯噛みして、目を細めた。
ふと見れば、ナルノイアの全身が神々しい光を発し始めていた。
「そういってくれるな。こちらにはもう猶予がないのだ」




