第三千五百五話 神の剣なるもの(四)
「なーんて……そんなわけないでしょ!」
ミリュウは、でたらめに撃ち出される斬撃の嵐を掻い潜るように飛び回りながら、怒りを込めて叫んだ。
四方八方、やたらめったら斬撃を飛ばし続けるナルノイアの戦法は、ミリュウにとって極めて不利であり、不愉快なものだった。ナルノイアが消耗し、力尽きて手を止めるというのであれば、逃げ続け、避け続ければいい。しかし、ナルノイアは神将だ。おそらく獅子神皇の加護と祝福を多大なまでに受けているであろう彼らの体力が無尽蔵であるということに疑いを持つ必要すらなかった。
持久戦となれば、不利になるのはこちらだ。
ラヴァーソウルとの邂逅、最終試練の突破によって、召喚武装の維持や能力の行使による消耗は、極限に近く減少している。最終試練以前と比較するのも馬鹿馬鹿しくなるくらいの差だ。いま現在の消耗度合いさえ、試練以前ならば考えられないくらいに軽微だった。
だが、ミリュウは人間だ。
人間には体力の限界があり、精神力の限界があり、生命力の限界がある。
無限に長く逃げ続けられるわけもなかったし、そもそも、ナルノイアとの戦いに時間を費やしていられるはずもなかった。
一刻も早く打倒し、一秒でも早くセツナと合流しなければならない。
斃すべきはナルノイアではない。
討ち滅ぼすべきは獅子神皇であり、この戦いは、前哨戦に過ぎないといっても過言ではないのだ。
持久戦に持ち込むなどありえないことだったし、あってはならないことだ。ただでさえ薄い勝ち目を、限りなくなくしてしまうことなど、考えるべきではない。
飛ぶ斬撃の嵐は、剣神の間の壁や床、天井をずたずたに切り裂き、もはや原型を留めなくなっているが、被害はそれだけではなかった。
既にミリュウの体にも被害は及んでおり、体中、様々な箇所を斬りつけられていた。致命傷や重傷こそ辛くも回避できているのだが、度重なる負傷は、軽傷とはいえ、全身に痛みを生じさせるに至っている。
危うく腕を切り飛ばされそうになったり、胴を真っ二つにされかけたのだ。
そのたびに九死に一生を得たと想ったし、このまま逃げ続けることに意味はないと悟った。
逃げ続けられるものではない。
既に避け切れていないのだ。
飛ぶ斬撃の発射間隔が時間とともに狭まっていることも関係しているだろう。
それはなぜか。
ナルノイアが短剣でも飛ぶ斬撃を繰り出すようになってきていたからだ。
刃片による術式の構築を阻止するべく投げつけていた短剣でも飛ぶ斬撃を放つようになってきた理由は、考えずともわかることだ。短剣を投げつけることなく、飛ぶ斬撃でもって刃片群を蹴散らせるからだ。
そして、それによって、ナルノイアの手数は大幅に増加した。
あるときは術式を破壊するために斬撃を飛ばし、あるときは、ミリュウを攻撃するために斬撃を飛ばす。しかも長剣と短剣による絶え間ない連続攻撃は、飛ぶ斬撃の嵐を加速度的に強化していくものだから、ミリュウが避けきれなくなったのも当然の話だった。
道理といっていい。
ミリュウが怒りに任せて声を張り上げたのも、一方的に殺されそうになっている事実への不満や憤激からだった。
だからといってその場に立ち止まったりはせず、最大速度で飛び続けているのだが、ナルノイアの手が止まることもない。
「なにをいっている?」
「逃げ続けたってどうにもならないってことよ!」
「わけがわからないな?」
「そりゃああんたと会話してたわけじゃないし」
「ふむ」
ナルノイアが苦い顔をしながらも、剣を振る手を止めないのは、さすがとしかいいようがない。ミリュウは、ラヴァーソウルの磁力を操り、とにかく飛び回って攪乱するほかなかった。
「……君とは、やはり相容れないな」
「そんなこと、わかりきっていたことでしょ!」
「ああ、そうとも。君のことは、最初から気に食わなかった」
それこそ、ナルノイアの――ミシェル・ザナフ=クロウの本音だったのだろう。
「君は、ザルワーンの武装召喚師だった。我がガンディアを食い物にするべくログナーをけしかけてきたザルワーンの」
しかもミリュウは、ザルワーンにおける支配階級の出身だった。それがガンディアの貴族であり、国を心の底から愛し、国のため、民のために尽くすことしか考えていない彼には、到底認められないものだということは、なんとはなしに想像できる。
もっとも、ザルワーンの五竜氏族には、彼のような考え方の持ち主は少ないだろうし、それがガンディアとザルワーンの命運をわけたことは、いうまでもない。
国や民のことを第一に考える貴族が少なすぎた結果、ザルワーンは滅び、ガンディアのものとなった。
そう。
国や民のことを第一に考えるのであれば、個人的な感情など胸の奥底に仕舞い込み、心底毛嫌いしているはずのミリュウとも交流を図ろうとすることだってできるのだ。
ミシェル・ザナフ=クロウは、そういう人物だった。
だから、決して嫌いではなかったのだが。
「あたしもよ」
相容れない人間ではあったという事実を、ミリュウは、改めて思い知るようだった。
ミリュウは、自分が所詮ザルワーンの五竜氏族の人間だと、身を以て理解している。自分本位で、国も民もどうでもよく、己が目的のためならばいかな犠牲も厭わない。まさにミリュウ自身が毛嫌いしてきた五竜氏族そのままだ。
傷口から流れ落ちる赤は、それこそ、ザルワーンが数百年の長きに渡って醸成し、連綿と受け継がれてきた五竜氏族の血そのものなのだ。
どれだけ嫌おうが、どれだけ憎もうが、どれだけ悪し様に想おうが、それを否定することは出来ない。
「あたしも、あんたのような人間は嫌いよ」
利他的な自己犠牲主義者。
一見、絢爛たる輝かしさに包まれた在り様に見えなくもないが、ミリュウには、とてもではないが好意を持てるような生き方ではなかった。
「ううん」
もっとも。
「セツナ以外、大っ嫌い」
その、セツナへの好意すら、本当に自分の想いなのか、疑問を持ったこともあった。
だが、いまならば胸を張って、いえる。
はっきりと、心の底から、大声で。
「セツナだけを愛しているわ」
「はっ」
ナルノイアが笑ったのは、ミリュウの大真面目な告白があまりにも場違いだったからだろう。
が、ミリュウは、至って真面目だったし、真剣そのものだった。
でなければ、術式は完成しない。
「なんだ……これは?」
不意にナルノイアが訝しげな声を上げた。
彼の視界に光が映り込んだからに違いない。
「擬似魔法だと? 馬鹿な!」
ナルノイアが察したように、それは、擬似魔法の光だった。
術式の完成と擬似魔法の発動を告げる光が、剣神の間の四方八方に生まれていた。まばゆいばかりの緋色の光。それはさながらミリュウの熱情を具現したかのような勢いで膨張し、加速度的な勢いで戦場を席巻した。
あっという間に真紅に塗り潰されていく世界に在って、ミリュウはなおも飛び続けた。いつナルノイアが攻撃してくるかもわからない以上、擬似魔法がナルノイアを攻め立てるのを見守り続けるわけにはいかないのだ。
ナルノイアは、全周囲、あらゆる方向から迫り来る真紅の光芒に対し、やはり、飛ぶ斬撃を放った。
しかし、ミリュウが全身全霊でもって作り上げ、発動した擬似魔法は、神威を帯びた斬撃ですら断ち切ることはできなかった。
真紅の光が洪水のように押し寄せ、ナルノイアを包み込んでいく。




